日々は虎のように早く駆け抜けてゆく。
二人の人間がいた。
その速さに戸惑っている内に置いていかれ号哭する人間。
あるいは自らを叱咤し進み続け栄光を勝ち取った人間。
私はどちらに成るのだろうか。大人と子供の狭間で耽っていたとしても、答えは一向に返ってこなかった。
「進路とか知るかよぉ〜…何に成りたいとか…」
前は何になりたかったんだっけ。たしか獣医師だったかな。
家族の一員だった大好きな猫を病で天使に連れていかれてから。
そのとき農業科の高校に入ってみたいとか言ってたなぁ。結局反対されて拗ねた。まだ許してないから。
今、何になりたい…いや、何者に成れるんだろ。
これは後悔かもしれない。……いや、きっとそうだ。
うーん、後悔の悔って梅の字に似てる。種を割ったら小さい豆が出てくるんだよね〜、あれなんだか美味しい。
私が成りたいものに成れないのは、成さなかったからだ。
…私は空から飴を降らすような突拍子な天才な訳でもないのに。
「今努力したら光ってくれるかな、私の鉱石。」
子供のように夢を見たい。
子供の頃に一切の混じり気も無く言った、私の夢。
「……獣医師、っと」
成さなかった辛さと成すための辛さは違うから。
頑張ろうね、私。
菅蛾さんも頑張ります。獣医師さんではありませんが(テヘ)
『子供のように』
力を込めれば、心が込もる。
心を込めれば、必ず誰かの心に響く。
その心に響いた音は波紋を呼び、動かなかった心臓に雷を落とすように変わりゆく。
響いたその心が力をまた込めたとき、それに応じ揺り動かされた波紋が誰かの心へ届く。
心配せずとも良い。
世はこうして変わってゆくのだと。
『力を込めて』
心が躍るように高鳴った。
その揺らめく碧い瞳。
楽しそうに舞う黒い髪と、覗くピアスで穴の空いた耳。
日々がスローモーションに見えた。
平日の親友は超真面目。新雪のように白い肌には授業のときだけ赤い眼鏡をかける。本の読み過ぎで少し目が悪い。
『ワタシは完璧な美少女だもんっ』
初めて会ったときから振り回されてきた。
『ねっ、髪切ったの!』
他の友達と話してても、あの子ほどおどけてて可愛い人はいないよねと笑うほどだった。
私のカメラには全ての記憶が眠っている。
『嫌よ…ねぇ、まだ行かないで…もしそれが失敗したらいなくなっちゃうんでしょ?』
狼のようにふわふわな黒髪は雨で濡れ、悲しそうに枝垂れていた。
高校三年生の夏。
青い青い春を、ハサミで切るより無惨に、残酷に、眠りが遮った。
けれどすぐ、魂はあの声を追いたどり着いた。
『あはは、十年後に目覚めるなんて、オーロラ姫のちょうど十分の一の時間じゃない!』
抱きしめながらオーロラ姫と言われると、生きている証であるという実感をさせるようにドキドキする。
『ふっふっふ。こっちはいつでも旅行に行く準備できてるんだからリハビリ頑張るんだぞっ』
ふふ、それなら頑張れるために支えてくれるパートナーを作らないとね。
『あら、パートナーならここにいるじゃない!頼ってよ。君のために頑張ってたんだからさ!』
ねぇわざと言わせたんでしょと親友が笑う。
学生の頃も綺麗だったけれど、今の方がもっともっと綺麗だと思うと、時間の流れを目に見えるように感じた。
ねぇ、聞いて。
ありがとう、ずっと話しかけてくれて。
ありがとう、側にいてくれて。
ありがとう、私を愛してくれて。
天のような瞳が瞬いた。
過ぎた日にもっと見れたはずのその瞳には海ができて、きっとそこには想い人がいるのだろう。
「あなたを想うよ。花のような美少女さんへ」
『過ぎた日を想う』
星座はいつか綻び崩れるのだ。
だから我々人間のようなちっぽけな営みも、糸のほつれが始まりとなって容易に壊れる。
「詩、書いた?」
背から凛とした声がして我に帰った。長い間張り詰めた水面に雫が垂れて波紋が止まらないようで、どうにも心と頭が落ち着かない。
「‥‥‥え、えぇっと‥‥す、少しは‥‥」
振り向くとクラスメイトの真っ直ぐな視線とかちあった。虚を突かれたようで思わず逃げるように目を伏せる。後ろ手で紙を裏返した。
『ずっとずっと辛くたって永遠に輝き続けないといけないのだとしたら、わたしは星になんてなりたくないよ……』
嘘をついた。紙は端がちょっぴり折れているだけで真っ白だ。
クラスメイトはそうなの、と興味を失ったように呟くとすっくと立ち上がり友人のもとへ話しかけに行った。
教科担任から課題として出されたのは『星座』についての詩。
担任から詩のテーマを聞いてから、ある日詩家の姉がぽつりと呟いた言葉が呪いのように耳に谺して離れない。
『‥‥‥いつも見てた星なのに、どうしてかいつもより遠く見えるの。なんで、かなぁ……。希望そのものだったのに、今は見放されてるみたいなの』
姉は小学生の頃から星が好きで、よく夜空を家族みんなで一緒に見ていた。
わたしも星が好きだった。
『あの何億という星は遠い昔の光なんだって。わたしたちにメッセージを残してくれたみたいだよね!』
でもある日突然父が失踪してから、姉は壊れていくように悲観的になった。
星を、見なくなった。
『星座は一つ星が無くなったら星座じゃなくなるのかな』
『家族は一人居なくなったらこんなにも綻びがでるのに』
母は過労死寸前になって入院した。
その母は明るくて可憐なロマンチストだった。
『星は願いを叶えてくれるんだって!』
『……ねぇ、願いを叶えてくれるなら返してよ!返して!いなくなったお父さんと元気なお母さんを、そうしたらわたしの大切な妹だって、いつも看病のせいで寝不足になってクマなんかできないじゃない!返してよ!返して!返して!返して……』
『星が好きだったわたしも、返してよ……』
外では気丈に振る舞う椿花のような姉も、家に帰ると静かによく泣いている。高校の頃から身を粉にして働いた手は傷が多くて、消えそうなくらい儚い笑顔は見ると心が傷む。
『お姉ちゃんはあなたの笑顔が見れるだけで幸せなの』
その言葉を思い出した瞬間、揺らいだ水面がふっと静まりかえった。そろりと鉛筆を取り心のままに詩を書く。
________いつか、いつか心が癒えたら。
わたしが絶対に連れて行く。星が綺麗に見える所へ、また星が好きになれる場所へ。
「固く手を繋いで、一緒に星を見ようね」
『星座』
今日は喜苦楽家の設立記念日。
キクラゲをこよなく愛する我が家そして我が社は毎年世界一のパーティを開くのだが……。とても憂鬱でならない!
一度思い描いてほしい。
職人の魂が意匠を込めた重厚な扉を開けると、会場の中には白く美しい様々な器にぷるぷるなキクラゲ料理が燦然と輝いているのだ。
歩みを進めれば右手にキクラゲサラダ。左手にキクラゲの味噌汁。ご安心ください、キクラゲパフェもご用意しております。
ボクは幼い頃までキクラゲが好きだったのに。
キクラゲの美味しさをマイク越しに熱弁する祖父、聴きながらキクラゲのフルーツポンチを勧めてくる兄。片手に持ってるの何それ……キクラゲどら焼き?
すると突然大きくなった祖父の声が会場に響き渡った。
「さぁ皆様、キクラゲの栄光を捧げ踊りましょう!」
今はもう、食べないのではなく。食べられなくなった。
キクラゲのようなふりふりの衣装を着た参加者が曲と共に踊り始める。悪い夢でも見ているようだ。
ボクはキクラゲに執着している人をこう呼ぶ。
『キクラゲってる人』
『踊りませんか?』