どうすればいいの?
鐘の音が苦痛の始まりを告げている。
硬い椅子に座って、壇上でふんぞり返る大人を睨みつける。
正直者は馬鹿を見るらしい。
周りのご期待に添えば、それでいいらしい。
情報は生のまま使えばいい。
だから、つべこべ考えなくていいらしい。
とにかく決まったマスの中に、決まったことを黙って書き込めばいいらしい。
正誤は必ず相手が決めて、お前は黙っていればいいらしい。
理屈は本音を超えられない。
いくら説かれても困るだけだ。
諭すだけの無理解など
何の役にも立たない。
自分の頭は何のために付いている?
お前も、私も。
導く暇があったら、一度練り直せばいいものを。
ふいに苦しくなった。
私はどうして、こんなところで必死に息をしているんだろう。
私は一体、此処へ何をしに来ているんだろう。
私は何故、こんな人たちに囲まれているんだろう。
鐘が鳴って苦行の終わりが知らされる。
体が一切傷つかない拷問とは、自我の形を他者の力で変えることだ。
守るしかないのだ。
しかし方法は渦中にいると見えない。
枠に首を絞められ、疑問を踏み潰され、他人好みの形に削られる。
それに違和感さえ持てなくなっていく。
けれど気づいたら
もう二度と戻れない。
たくさんの戸惑いと不安と
目を逸らしてきたもの。
いざ取り戻したら放り出されそうな恐怖。
人間は他人の彫刻材料ではない。
偉そうなコイツも私も、この画面を見ているあなたも。
だから迷いを責めないで
ひとつひとつ息をしていればいいから
そこに居るだけでいいのだから
どうか在り方を譲らないで
我儘なくらい自分でいてね。
キャンドル
見栄と過去を殺して残った臆病な本質が
抜け出せない闇の中で、確かに生きていた
手には小さな灯りがひとつ。
ここを通らなければならない、と悟った。
照らしたところで醜い影が揺れるだけ
消したらきっと怯えて、そこから一歩も動けない
アナウンスのような何かが要求をぶつける。
「自己紹介をしてください」
自己とはなんだっただろうか
名前と、それから、好きなあれこれ
抜け殻の情報を欲しがるのは何故?
物心ついた時から欠けている
人間味と呼ばれるらしい形無き何か
通常備えられているであろうはずの
重大な温度が見つからない。
客観視など不可能だから、私は呟く。
「できません」
指先よりも小さな灯りに照らされた
私に似た影が口を開く。
「嘘つき」
「こんなにどうしようもない場所へ迷い込むほど」
「生きることに」
「執着してきたくせに」
私とはなんだろうか
私の命はどこにあるのか
どうして体があるのか。
ただ動けるようになった内臓入れ、命ケース、脳を収納するポーチ、器用な2本のアームがついた生物...
蹲った影が言った
「いつまでも心身を嘲笑してないで」
「気づいてね」
「誰もジャッジしないから」
空虚に慣れた脳は安心した
私とは私の本心だ。
レッテルと他人の願望で作られた人形ではない。
「ごめんね」
「いいよ、じゃあね」
疎かにしてきた陰は消えていった。
私は、とうの昔から私であったことを思い出した。
目が覚めた。
明るい部屋の中で私は
影が内包されたことを受け入れた。
内側で影が言う
「心を吹けば消えるようなものだと思わないでね」
あなたとわたし
理屈を通り越した涙が止まらない。
ずれた布団カバーを握りしめて
ただこの波が過ぎ去るのを待っている。
泣いても仕方がないことくらいわかっていた
嫌になる程繊細な人間であることに
目を逸らしながら、気づいていた
やけに辛いものを食べ続ける体を
どうしても己と認識できない。
薄れる自認はきっと脳のせいだ
私が私でいようとすると生まれる不都合に
耐えられないわけではないと
思い込もうと必死になる
誰よりも自分でいたいくせに。
何者であるかを自覚していたのに
言葉が追いつかなかったが故に
散々苦しんだあなたを
迎えに行こうと思った。
つづきをきかなきゃ
聞こえなかったから
何か大切なことを聞き逃している
何か重大な見落としがある
きっとそれが、気づいてしまえば
愕然とするような事実であったとしても
見つけなければならない
社会的視線の檻で終わろうとするあなたは
わたしにしか救えない
何にも期待しないような顔で
救って欲しくてたまらないあなたが
疑い深い目で差し出した不恰好な何か
よく見るとそれは
ぼてっとした心のかたまりで
何か言いたげにしている
大人ぶることで身を守る私には
とうてい聞き取れないほど弱々しく
小さすぎる声で
本音を放とうとしているように見える
妥協なく私であらせて欲しい
どうか私を生きさせて欲しい
覆い隠せない願いだ
わがままなんて言わせない
なんてね、で願いを掃き捨てる習慣さえ
檻の外へ蹴り出してしまえばいい
あなたはちっとも救われない顔のままだけれど
わたしは檻の外で待つよ
もし出られたら、わたしと
冗談のつもりでハグをしよう。
通り雨
いっそ土砂降りになってくれれば
傘を差し出す手が
こんなに怯えていることも
悟られなかったはずなのに。
ずっと嵐でいい
この世の終わりのような顔をしたくせに
何事もなかったように
カラリと晴れるなんて許せない
向こうの空に晴れ間が見えて
わずかな相思相愛は隔たれた
また空が泣いたら
ここで会いましょう。
秋恋
16歳の時、抗えないまま受け入れた関係があった
たった1ヶ月で散ったけれど、強烈に記憶に残っている
ばいばい、と泣きながら別れを告げてきたのは
16歳歳上の、既婚者の同性だった。
会ったこともない、声しか知らない
けれど、別れた人に私がそっくりだったと
私を通して、その人を見てしまっていたと
苦しそうに教えてくれた
いかに傷つけてしまったか。
風が涼しくなってくると、息が浅くなる日がある
10月2日。あの人の誕生日。
お別れを言うのが、誕生日だなんてあんまりだから
10月3日にした。
素直なあなたは私の、身勝手な弱さを
丁寧に聞いて、絞り出すような了承を発した。
感謝と謝罪と、理屈と道理では押し殺せなかった感情が
人間らしさに塗れていた。
金木犀が香る昼下がり、幸せそうに話すあの人は
私に許され、社会的には罪を犯していた。
忘れられない秋の過ち。
過ちと言い放つには
お互いが弱かった。
心の隙間の形が
偶然にも合わさってしまった。
ぐずぐずになった声の「ばいばい」と
電話の切れた音が
弱さとは何かを学ばせた。