SAKU

Open App
9/19/2025, 7:18:04 AM

世界っていうと、自分から外の世界ってだいたいの人は思うんだね。自分の世界が終わるなら、もしもではなくて、そのうちそうなる。自分が死んだら、自分の世界は広がらない。もしかしたら、誰かが引き継いでくれる、かもしれないけど。終わるというより、自分の意識は広がらない。その瞬間に持っていた意識のままが続く。持てるのは、ひとつだけ。生きているうちに最も強く感じた事をひとつだけ持って、死ぬ。


もしも、外の世界が終わるなら、人間の本性が剥き出しになって、犯罪が増える。このさいだから、あれをやってやろう、これをやってやろうと、普段は理性の奥に隠しておいたものを、『どうせ、』って気持ちでやりまくる、そんな人間で溢れかえる、それは獣性の解放だ。その混沌から【人】になれる人間も出てくる。


世界は毎日、どころか毎分毎秒終わった瞬間に始まっている。自分の何を見れば、それを感じられるか、見るのは自分で外の世界じゃない。

終わった瞬間に始まってる。始まったら終わってる、始まってる、終わってる、始まってる、の繰り返し。

それにしても、『もしも世界が終わるなら』なんて、バカップルぼくて野暮ったいテーマだね。


9/18/2025, 9:00:36 AM

今日は病院へ10:00の検査予約で、前日まで車で行くか電車で行くか悩んだけど、電車で行くことにした。車だったら約1時間15分くらい、電車を使えば1時間40分あれば到着する予定。

電車だとしたら、最寄り駅まで車で20分かかるから、予定時間にプラス30分。おおよそ2時間あれば余裕のはずだった。

今朝は雷雨で、最寄り駅は家族を送ってきた車でごった返していて、停めるはずだったパーキングも満車で、第二候補も第三候補もパーキングは満車だった。

グルグルまわってればそのうち1台くらいは空くだろうと思ってたけど、ホントに20分グルグル周って1台だけ空いた。そこへストンと車を停めて、駅へ向かうと電車が発車するところで、ギリギリ乗れて座ることもできた。乗るはずだった電車のたぶん1本後の時間だったと思う。本数は少ないから、1本逃すといろいろと予定があわなくなる、、それでも時間には余裕があるから大丈夫だと思った。

JRから地下鉄へ乗り換えて、出口も間違うことはなかった。

地下から地上へ出ると、突然方向感覚が狂った。右か左か、どちらへ行けばいいか分からなくなって、スマホで検索すると、徒歩6分。余裕じゃん。

だけど、歩けど歩けど、なんとなく違う。反対だったか…?
途中のコンビニで、目的地検索。徒歩17分?。目的地が遠ざかってる。

でもまだ30分くらいはあるから大丈夫なはず。どこかで曲がるはずなんたけど、それらしい道が分からない。マップ見てるのに、グルグル。

病院は移転していて、新しくなってからは初めて行く。それらしい建物がいくつかあって、マンションだったりビルだったり。

やっと、見つけたと思ったら、果てしなくフェンス続きで入り口が分からない。広くなった駐車場をぐるりと周ったら、ホテルのエントランスみたいな入り口で、高級なタクシーが停まってた。

ぃゃぃゃ…10:10着。遅れてしまった。
家を3時間も前に出たのに。


検査なんかしなくても、わたしはすこぶる元気だと思った。元気じゃないと病院へ自力で来ることが出来ないし…。

結局検査は4時間もかかった。
歩いたことより、検査と待ち時間でヘトヘト。若い先生が元気元気で、それが唯一の救いだった。この先生なら、『また会いたい』そう思った。

帰りは地下鉄に乗らないで、JRの駅まで迷いながら40分歩いた。

靴紐を結ぶような靴を履けるのは、元気な証拠。元気な人しか履けません。

車椅子に乗るようになると、マジックテープか、ゴムバンドの上履きだよ。

あー、お腹空いた。。

9/16/2025, 11:51:33 AM

今夜は、切り干し大根の煮物を作った。うちは砂糖は使いません。

切り干し大根を水で戻して軽く絞り、多めのみりんで煮る。じわじわと煮きる寸前で火を止め、醤油を差す。醤油を差したら、ちょっと煮てから火を止める。冷める時に味が染みるので、鍋の熱さが落ち着いてから器に盛る。

煮物は、砂糖の代わりにみりんを煮きって使えば、砂糖よりも優しい味に仕上がります。南瓜の煮物や、ひじきの煮物もみりんと醤油のみでも美味しくできます。

ただし、鍋は鉄製の重いものや土鍋などの方がいいです。じっくり鍋が冷えていくので、そのじっくりがいいんだと思います。 

そのココロは、「ごちそうさま」とカラの鍋が答えです。



9/16/2025, 5:09:37 AM

2階の和室はかつて息子が使っていた部屋で、平机が置いてあり、ラジオとわたしが気に入っている絵と、数冊の本とマグカップとルイボスティーと、PCを置いている。

その机に着くと、目の前が東の窓になっており、窓を開けると山と空が見える。

右肘を突けば、3/2が山であとは空。
左肘を突けば、3/1が山であとは空。
椅子に背中をあずければ、山と空が半々。

両肘を突けば、1時間に1本の電車が見えたりする。目を閉じれば川の音が常に聞こえてくる。春夏秋冬で、聞こえてくる音がちがうし、天気によっても違う。

昼間の家事は終わって、洗濯物もたたみ終わってしまった。

こんなに長閑な休みだと、何をしていたらいいのか、うろうろしてしまう。刺激が欲しいという自分の脳の一部分を、どれだけ抑えてコントロールできるか。。

心は感じることしかできなくて、脳は反応することしかできなくて、魂は還りたがっていて、精神は真っ直ぐ立とうとしている。


さっき、近所の働き者の奥さんから、つやつやとした栗をいただいた。雑木林で栗拾い、もう出来るのだ。昨日の夕方は、薪ストーブの匂いがした。パラソルさんのおうちの薪ストーブだ。

あぁ、山の少し枯れた葉の匂いがしてくる。

音楽は要らない。しばらく両耳を立たせてみよう、伊予ちゃんみたいな。。




9/13/2025, 5:00:28 AM

午前中は、夫と地域開催の和太鼓演奏を聴いてきた。久しぶりに、頭蓋骨から臓器から皮膚まで全て揺さぶられた。

前住んでいた地域でも伝統の和太鼓があって、和太鼓はわたしの故郷だ。

わたしは太鼓や笛の音が聴こえてくると、じっとしていられない。できれば、即興で踊りたい気持ちに駆られる。型のない踊りで、ずっと身体を動かし揺れ続けていたい。

そんなわけにもいかないから、手を叩いて、足を踏み鳴らして演奏者に応えて、響き合い溶け合い、ひとつになる。そこでは必ず、神様が人と絡み逢おうとしている。神様は実に官能的。

Next