人の笑い声が耳につく時は、鬱の可能性があると云われているけど、あとから考えるとそうだったと思う。
心が乱れると分かっていて、身体が重いから寝っ転がって、もう一歩も歩きたくないのに、ネットの書き込みだけはダラダラと見ていて、そんな事してると頭の中のお喋りが酷くなると分かっているのに、それをやめられない……
18年くらい前、精神科を受診してカウンセリングを受けながら少しずつ現実を取り戻して行った事があった。なんて、他人事みたいに今は言えるけど、いつまたそういう状態になるか分からない。気づいたら鬱になってた……、気づかなかった……、という事もある。
わたしの初期症状は、人の話し声や笑い声が気になりだす、『ぁ、イエローゾーンだな』と認識する。それに気づくのと気づけないのとでは随分違う。
今は、近所で工事が始まってガヤガヤ男性の話し声やら、言い方は悪いけど下卑た笑い声が聞こえたりする。タバコの臭いは、窓を締めても入ってくる。
トラックのガシャガシャした音、エンジン音……いきなりの大声等。ダンダンと打ち付ける音、金具のカチャカチャ音、音、音、音、音、音、
こうやってひとつずつ音を拾って行きながら、自分がどれくらい乱されているか確認してみてみる。
ちょっと、気になるかな……
でもイライラするほどではない。
蝉の声は聞こえるけど、いつも近くで聞こえてくる小鳥たちの声は全く聞こえてこない。鶯とかヒヨドリとかセキレイとか、。
西の部屋は落ち着かないから、2階の東の部屋でラジオを聴くか、台所の窓辺で本を読んだりすれば大丈夫そう。神前の畳でゴロゴロしててもいい。今日は休みだし。缶チューハイ冷えてるから飲んでみたいけど、、飲むと神経がざわめいちゃうから飲まない、麦茶でいいゃ。
こんなに独白しておいて、自分勝手だけど、、ネット上の文章はほとんど読んでない。書くことに特化されているココだけの話しです。
掃除も洗濯も全部終わらせちゃった。
今の所、家の中は涼しい。風力、たぶん2くらい。
大きさ的にまだ熟してないかも…と思う小玉西瓜を夫が収穫して、冷蔵庫で冷やしてくれていた。
「パートから帰ったら、食べてみてー」と、言われてたので切ってみると、白いところが無く完熟してた。テニスボールより少し大きいくらいで、ちょうどよかった。
胡瓜もどんどん出来ているから、もいで洗って塩を振って食べた。それだけなのに、お腹いっぱいになった。
今日はゴーヤと玉ねぎと人参と茄子のハンバーグを作った。肉は入れない。つなぎは米粉と木綿豆腐と油揚げを細かく刻んで入れるだけなので、大きく作るとひっくり返す時に崩れます。小さめに作るのがコツ。うちはチーズも食べないけど、コクが足りないと思う場合は、豆乳チーズを乗せるか、刻んで入れてもいい、です。他に肉系のおかずが無い場合は塩味をしっかりと入れてください。
神職者、聖職者、信仰者でもない限り、肉食魚食で地獄へ堕ちるなどということはありません。そして、一定数の家畜は人間に食べられる事によって成仏できる、とも云われています。要は、どういう気持ちで料理をして、どういう気持ちでいただくのか、だということです。
食べるっていうのは大事です。
料理をする人は、とにかく元気で居ないと。料理に作った人の『気』が入ると云われてますから、それが一番食べた人に影響する、と、わたしも思います。
蜜蜂と遠雷、恩田陸さんの小説を読んだことがあったけ。全然関係ないけど、わたしは蜂の羽音がお坊さんの読経に聞こえる。
今夜はゴーヤの天ぷらを作りました。ゴーヤは庭で採れたもの。輪切りにしてワタもタネもそのまま揚げちゃいます。
明日は、卵と肉を使わないハンバーグを作る予定。パン粉も使わない、もちろん牛乳も使わない。好きな野菜を刻んで木綿豆腐、米粉と塩をよく混ぜて焼くだけ。米粉じゃなくて、餅粉を入れるとお焼きになります。
来週辺りに西瓜が収穫できそう。西瓜の緑の皮は固いけど、白い部分は炒めたり漬物に出来るようなのでやってみたい。
ミッドナイトブルー、
わたしの愛車のカラー。
目は切れ長。
誰でも人生のうちで、一度や二度、死にそうになったことはあると思う。わたしは、はしかのワクチン接種後に、その副反応で生死をさまよったらしい。
「覚悟しておいてください」と、医者から言われた母は、「どんなことがあっても死なせない」と、わたしを一晩中抱きしめていた、と言う。
ただ、悪夢を何度も見る。母にぎゅうーっと抱きしめられて、喉が乾いてカラカラで声も出ず、母親から逃れようとして暴れれば暴れるほど母親がぎゅうーっと抱きしめてくるという夢。それが現実に起こった事だったかもしれない。
きっと、そこから逃れられたら、その時はわたしは死ぬ時なんだと思う。
その次は、アレルギーショックで救急車で運ばれた。このときは、順番から言うと、最初に呂律が回らなくなる、肺が固くなる感覚があって息が吸えなくなる、心臓が縮む感覚があって、手足が麻痺して動かなくなる、脳がキューっと痺れてくる、視界がだんだん白くなって見えなくなってくる、『寒い、死ぬかもな』と思う。
死ぬ瞬間までを鮮明に覚えていようと、脳はそれを記録しようとするもんなんだと思う。
あとは、気管支喘息の発作が前よりは随分回数が少なくなって来たし、時期も限定されては来たけど、やっぱりこの発作は一生続くんだと思う。オトモダチだ。今日も足の裏が地球に着いている、このことが有り難い。
母親の胎内に居る時から、今の今まで、死ぬ瞬間までを脳は記録しようとしてる。
子供にとって、父親母親含め大人達の言動は、一番大切な部分に全て記録されていて生き方の光となったり影となったりしている。
子供の目や耳は、神様に通じているんだと思う。幼ければ幼いほど、心と脳が近い気がする。だから大人は、大人になるほど恐れた方がいい。
いつでも飛び立てるのは子供で、大人じゃない。