春爛漫、小さい頃は好きだった言葉。綺麗でワクワクする言葉。
だが今では巡る四季の中で最も嫌いだ。
散る花弁、散る花粉、広がる恋の予感、広がる花粉、吸い込む清廉な空気、吸い込む花粉。
そう花粉、貴様と言う存在が完璧で完全な春を壊している。
花粉症というものはなぜ入学できるのに卒業できないのだろうか。人間卒業はよく聞くのに、花粉症卒業を聞かないのは何故だろうか。
毎朝起きて感じるのは舌の乾き、鼻の不快感。
毎日感じるのは杉を馬鹿の一つ覚えのように植えまくった偉大な先人達への恨み。(もちろん、そうせざるを得なかった背景もわかっている)
花粉症を発症してしまったこれを読んでいる貴殿にぜひ伝えたい。仲間は沢山いる。同じ症状で苦しんでいる人がいる。だから耐えて欲しいわけではない。ともに少しでも症状を改善できるように情報を伝え合おう。ともに邪智暴虐なるかの恨めしい花粉に立ち向かって行こうではないか。
ここで私が発見した鼻詰まりを解消できる方法を伝えたいと思う。筋トレだ。
脳筋思考ではないが、少し歩いたり運動をすることで鼻詰まりがスッと消えるのである。
個人差はあるため、一概に「絶対効く!」とは言えないが、やらない後悔よりやる後悔、または当たって砕けろという金言があるのだ。一考に値すると思う。
花粉を嫌う紳士淑女、並びに同士の皆々、手を取り合い知恵を振り絞り、時には涙を流しながらめげずに花粉に立ち向かって行こう。我々は決して1人ではないのだから。我々の手に花粉症の薬、目薬、ティッシュペーパーがある限り。
「5年ぶりだっけ」
薄暗い車内の助手席に座った彼女は窓際に頬杖をついていて表情は見えない。
それでも私が頷いたのは気配で分かったのか彼女は続ける。
「貴方を探し出すのに5年もかけちゃったのね私。この5年間はまるで地獄みたいで…いきている心地がしなかったわ。5年前に何があったのかはあえて聞かないであげる。でもね」
大きく息を吸うのが聞こえたあと、彼女は小さな震える声を発した。
「私の事を少しでも思い出してはくれなかったのね」
言葉を…返せなかった。
「貴方はいつもそうだったわ。風みたいに気ままで人を無闇矢鱈に惹きつけて魅了して忘れさせない。この5年間私ずっと苦しかったわ。貴方が側にいないことに絶望して何度も死を想った。でもね、その度腹立たしいことに貴方との記憶が蘇るのよ。二人共若くてバカで浅はかで…誰よりも幸せだったあの頃を。貴方はきっとそんなことないんでしょう?ねえ」
苦しそうな彼女の声につられ、喉が張り付いて言葉が詰まる。
「答えてすらくれないのね。やっぱり―」
「車が広く感じたよ…ずっと」
彼女ははっと息を呑んでまたそっぽを向いてしまった。
「貴方のそういうところ、ずっと嫌いだったわ」
空港に着いて彼女の荷物を渡すと、彼女は顔に残った涙の跡をこすりながら毅然とした顔で私に嵌めていた指輪を突き出した。
「これ、5年前貴方から貰った指輪。あげたことすら忘れてるでしょうけど返すわ。もう二度と会わないでしょうしね」
私がそれを受け取ると一瞬泣きそうな顔になった後、彼女は踵を返して人混みの中に混ざって行ってしまった。
「さようなら、mon soleil」
この先ずっと、私の車は埋まることがないのだろう。
「ね、最後に手を繋いでよ。これが最後だからさ」
両手を切断しなければ壊死が全身に広まってしまうと診断された日、僕は彼女にそう言って手を差し出した。涙を流す優しい彼女は僕の手を握りしめてくれた。
この温もりがもう自分の手で感じられないと思うと悔しいやら悲しいやら。
「そんなに泣かないでよ、君の手は無事なんだからさ。僕は大丈夫だから、」
「大丈夫なんかじゃないでしょ!」
彼女は滅多に大声を出さないのに叫んで僕の手を力強く握りしめた。
「大丈夫なんて言わないで!元気もないし、目だって虚なのに大丈夫なんて言わないで!」
「もういいんだよ。最後に君と手を繋げただけで。もう...いいんだ」
確かに大丈夫じゃない。僕は大丈夫じゃないけど、諦めてしまっているからもう「大丈夫」なんだ。これからずっと彼女と繋いだ手の温かさ、痛みは着いて回る。そんな予感がする。それはきっと僕自身を苦しめる記憶にしかなり得ないけど、それでも最後に、いや、最期に彼女と手を繋げてよかった。
成功するかどうかあやふやな手術を受けるため、僕は手術台に横たわり麻酔を吸う。
ああ、最期に思い出すのはやっぱり彼女の手の温かさなんだな。
「涙の恩恵」
昔々、ある村では水神の気分によって天気が左右されていた。
水神が人々の喜ぶ顔を見たり、花が綻ぶ様を見て喜べば晴れ、命が消えること、植物が枯れたことに悲しむと雨が降った。
ある年、水神のもとに1匹の白い犬が現れ、大変よく水神に懐いた。水神もまたその犬をよく可愛がった。
しかし水神が喜ぶと言うことは晴れると言うこと。
ずっと雨が降らず、植物は元気をなくし枯れゆく。
このままでは冬を越せないと思った村人たちは水神の前で水神が可愛がっていた犬を無惨に殺した。
殺された犬の血が水神の頰に着くほど間近で犬の死を見た水神は深く悲しみ、何日も雨を降らせた。
水神の愛犬を殺してからしばらくの間、雨がよく降った。むしろ日の光が欲しくなってくる頃だった。
悩んだ村人たちは相談の末、父親がいない家庭から母を人質に娘を脅し、水神の機嫌を取ってこいと言いつけた。
娘は人質の母を解放すると言う条件の元、水神が住む神社へ訪れた。
緊張で震える手を握りしめてふすまの外から声をかける。
「水神様、いらっしゃいますか」
返事がない。娘はほっとしたような、がっかりしたような気持ちのまま帰ろうとする。
その時、神社の中からか細い声が聞こえてきた。
「...何の用かね」
心臓の音が一際大きく聞こえた。
娘は今にも力が抜けそうな足を叱咤して返事をする。
「この村の者です。水神様に捧げ物をお持ちいたしました。開けてもよろしいでしょうか」
先ほどのようにすぐには返事がない。しかし娘はじっと返事を待った。
すると音もなくスルスルとふすまが開き、入れとでも言うように風が吹いて娘を押す。
娘は警戒しつつも開かれたふすまを通り、神社の中に入った。
娘が一歩踏み入れた瞬間、暗く灯りの一つもなかった部屋の中の灯台に次々と火が灯り始める。
部屋の奥の火が灯った時、娘は初めて水神の姿を見た。
昔、犬が死ぬ前の水神はよく村を歩き回り、村人と話を交わしていた。その時の水神は艶々とした水色がかった淡い白髪にふっくらと色づいた頬と優しく垂れた目元の美青年だった。
今、娘が見ている水神は虚な目、少しこけた頬、艶のない髪の毛をまとめることなく床に垂らしている。
娘は衝撃を受けた。
娘は遠くからだったが水神を見たことがある。恐ろしいほど綺麗だったことを覚えている。その微笑みや川のせせらぎのような声、全てが娘にとって神なのだと信ずるに足るものだった。
今や神というより病人のような風貌の水神にどう声をかければ良いのかわからなかった。
「お前は、村のはずれで母と暮らしている娘か」
「お、覚えていらしたのですか」
「無論。我が村を歩く時、いつも遠くから眺めておった。我に話しかけるでもなく、祈るでもなく、ただ、遠くから眺めているだけの変わった娘」
娘は気付かれていたことに恥ずかしく感じた。それに、自分の信仰心のなさを指摘されているようで少し居心地が悪いような気がした。
俯く娘の目に自分が持ってきた包みが入った。
「そ、そうだ、水神様、こちらをどうぞ」
娘が差し出した包みを不思議そうに首を傾げながら受け取る。
水神が包みを解くとそこにはいくつかの果物があった。
「...これはそなたらが食うものであろう。なぜ我に」
「元気がない時、母はよく果物を私にくれました。水神様も、元気が出ればと思いまして...」
よく考えれば村で祀っている水神ならもっといろんなものを食べているかもしれない。そう思った娘はだんだん恥ずかしくなってきた。実際水神は果物を手に取るだけで食べようとしない。
「我は要らぬ。お前が食べると良い。何も嫌いだから要らぬのではない。我は食物を必要としない。だが気持ちだけ貰おう」
そうそう言うと水神はおもむろに手にした果物に口付けた。
小さなちゅ、と言う音と共に果実が少し色褪せた。
「っえ...?いま、何が、」
「この果実に込められた感情を吸い取った。味に変化はないはずだ」
食べろとでも言うように差し出された果実を恐る恐る手に取る。
「本当にお召し上がらないのですか?」
「要らぬ。我は食べれぬし、食べれたとしても我が子からは取らぬ」
我が子
それは水神が村人に呼びかけるときに使う言葉。
水神は古くから村を見守っているから村人は我が子同然なのだそうだ。
では我が子が愛犬を殺したなら?
水神の悲しみは計り知れないだろう。
娘は自分の手の中にある果物を見る。一口も齧られていない色褪せたまんまるの果実。
これでは水神の機嫌を上げる足しにもならない。
「水神様、水神様の好きなものは何でしょう」
「藪から棒にどうした。我の好きなものなどもう無い」
娘は無性に腹立たしくて、悲しくて空っぽになってしまった水神が哀れでならなかった。
加えて水神をこんなふうにしてしまったのは自分たち村人だと思うと腹が立って涙が出る。
水神の表情のように色褪せた果実の上を水滴が滑り落ちる。
娘が涙を流すのを見て初めて水神の表情に変化が現れた。
「どうした、どうした娘、どこか痛いのか、泣くな、泣くな」
昔見た親子のように娘を抱きしめ、袖で涙を拭ってやる。よしよしと声をかけながら頭を撫でて落ち着かせる。
こうして娘と水神は数年に渡り心を交わし仲を深める。水神は喜びで空を晴れ渡らせ、感動で地を潤した。
そんな中、年頃になった娘が嫁に行く話を聞いた水神。娘があまり喜んでいない様子から望まない結婚だと思い、水神は塞ぎ込む。
水神が塞ぎ込んだのと同時に村の天気は大荒れ。土砂崩れが発生し川が荒れ、村の建物はほとんど流された。
娘の家も流されかけたが娘の母が庇ったおかげで娘は助かる。
雨が弱まった頃に娘が水神に会いに行くと水神は嬉しそうに娘を出迎えた。
途端に晴れた天気を見て娘は母を殺した水神に怒りをぶつけた。
「どうして普通に泣かないの!?あんたが泣いたから村は壊滅して母は死んだのに!」
娘が怒りの形相で掴み掛かったことに水神は一瞬戸惑いと悲しみが混ざった表情をしたのち、娘の手を握り、指を絡める
「天上から水神の役を遣わされた我は人と似た体を得た。人と感情を交わし、人が喜ぶときは天気を晴らせ、悲しむときは雨を降らすために感情を得た。だけれども、この体は涙を流す機能が備わっていなかった。ただ自分の感情で天気を左右するためだけに存在する我は何もできぬ。悲しみ怒るお前と共に涙を流すこともできぬ。だからお前が我を殺せ」
水神はそう言って娘の手のひらを自分の胸に当て、その上から自分の手を重ねた。
ずずず...と泥にでも手を沈めるかのような感覚と共に娘は自分の手が水神の体に飲み込まれていくのを見る。
「我は自分で自分を殺すことができぬ。この手足には天へと繋がる鎖が絡まっていてそのような行為をした途端に鎖が引っ張られ動けなくなる。我が悲しめば我の代わりに空が泣く。だがその涙は可愛い我が子を悲しませ殺してしまう。ならお前が終わらせてくれ」
娘の指先に何か温かいものが触れる。思わず握ると水神は大量の血を口から吐いた。
「嗚呼、」
微笑みながら小さな嘆息と共に血を吐く水神は倒れる直前に何かを呟いた。
「我も鎖を断ち切れたのなら」
後半はあまりにも小さすぎて娘には聞こえなかった。
ひらり、はらり、またひらり。練習用のステージの上で彼女の動きに合わせて薄い布が生きているように動く。指の先から幾重にも重ねられた布一枚一枚まで計算され尽くしているような美しさがあった。
「お!新入りここにいたんだな!ウチの花形様の踊りはどうだ?凄えだろ?」
「っはい!すみません、呼ばれてたのに寄り道してしまって...」
「いいっていいって!しょうがねえよ!アイツの踊りを一度見ちまったら目を離すなんて出来ねえんだからさ!」
ガハハハ!と豪快に笑う男に少年は照れたように頭を掻く。
「だがオマエもウチのサーカスの一員になったからにはアイツみたいにお客さんの視線を集めるようになってもらわなきゃなんねぇ。覚悟はいいか?」
「はいっ!」
「よっしゃ!いい返事だな!早速オマエ向きの芸を探すとするか!」
数時間の芸探しを経て、団長も僕もヘロヘロになってしまった。
「す、すみません団長...僕、何も出来なくて...」
「き、気にすんな!サーカスってのは何も表に立つことだけが仕事じゃねえ!猛獣の世話だとか、団員たちの怪我のケアだとか裏方の仕事だって数え始めたらキリがねえくらいだ!オマエはオマエにあった仕事があるはずだ!」
頭を地面にめり込ませる勢いで項垂れる僕を団長は慌てて慰めてくれた。
なんていい人なんだ...!
「おーい!ラスカル!新入りに裏方の仕事を教えてやってくれ!オレは今日の公演の準備をする!っとそうだ、新入りのー...」
「ダニエルです」
「っそうそう!ダニエル!いや別に忘れてたわけじゃねえぞ?ただ似たような名前のやつがいたから迷っただけだからな?あー、何話してたんだか...そう!ダニエル、オマエが裏方の仕事をすることになっても、ステージに出てお客さんたちに挨拶はするからな!心の準備だけはしておけよ!」
団長はそう言ってから慌ただしそうに走って行ってしまった。
「あーらら、団長ってば段取り悪いんだから。ダニエル君でしょ?オレについといで〜。裏方の仕事教えたげるからさ」
「お願いします!」
僕はラスカルさんに頭を下げて小走りで着いて行った。
「へー!上手いじゃんか。表よりこっちの方が向いてんじゃない?怪我の手当はできる?」
「あ、はい!多分ですけど、できると思います!」
「有能だね〜おっと、そろそろ公演が始まっちゃうね、オレはともかく、ダニエル君は早めにいかないと!こっちこっち、オレが連れてったげるから着いてきて!」
「はい!あの、挨拶って何すればいいんですか!?」
「名前となんか一言いえばいいよ〜!表に出るわけじゃないから難しく考えなくて大丈夫だから!」
そんなこと言われてパッと思いつくはずもなく。
気づけばもうステージは目の前だった...
分厚い舞台袖の幕から見えるステージの向こうにはぎっしりとお客さんがいて、団長の挨拶をしている声と楽しそうな歓声や口笛が聞こえてくる。
「うわぁぁぁ...緊張して震えてきた....!失敗したらどうしよう...」
「気にすんなよ新入り!」
「そうだぞ!何かあったら俺たちがカバーしてやるさ!」
「心配しなくたって誰もアンタのことを見ないわ。アタシのことを見るもの」
みんなが励ましてくれる言葉に混じって、少し突き放すような声が聞こえた。
声がした方を見ると、エキゾチックな褐色肌と、黒いはっきりとしたアイラインに彩られた異国の太陽を思わせる金色の目を僕に向けて花形の彼女はにこりともせずに言った。
「アタシが観客全員の視線を奪うのはいつものことだわ。今更何を心配してるの?」
「おーいフェリシア、こいつは新人だぞー」
「ま、確かにお前の言う通りだけどな!このサーカス来る目的は全員フェリシアだからな!よ!さすが我らが花形様!」
周りの団員がやいのやいのと囃し立てるのを笑うこともせず、彼女はツンと前を向いていた。それは傲慢さがありながらも、気高さがあって、気品に溢れていて...
まあ、つまり僕は、花形の彼女。フェリシアに恋をしてしまった。