ふわり
柔らかな布で作られたスカァトが風を視覚化する。
あ、桜色や。
ぼくが目を見開いてそう思ったら頰に衝撃が疾る。
「このう!へんたゐ!」
ぼく、悪くあらへんし。
ガシャンと地面に転げた眼鏡をボーッと見てゐると彼女はプンスカと怒って何処かへ行ってしまった。
桜色かぁ...もうそんな時期なんやね。
打たれた頰がジンジンするのとなんだか落ち着かなゐ気持ちでなんだかソワソワとしてしまう。打たれて気分悪くなるはずやのに春を喜ぶ動物みたゐに高揚しとる。
これも春風の悪戯なんやろうか?それともぼくは何か知ってはいけないことを知ってしまったのやろか。
でもとりあえず。
「もう一回...叩いてくれんかなぁ...」
そう思うぼくの頰を未だ未だ冷たゐ風が冷やしてくれてるかのやうにサラリと撫でていった。
「はぁー」
フレーは手を擦り合わせて空中に白い息を吐く。村に戻ってきたのは一年も経たないほどなのにどうしてこんなにも寒く感じるんだろうか。
オレは手袋をつけた手をコートのポケットに突っ込みフレーの頭に顎を乗せる。
「ちょっと!重いんだけど!」
「う、うるせ、っつーの...寒過ぎんだろ...」
あまりの寒さに歯の根がカチカチ鳴りながらもフレーに文句を言う。
「こ、こんな、寒いってのに、ここで何やってんだよ、お、おかげで、森の中まで、探してたんだぞ」
「ごめんごめん」
笑って謝るフレーの頬に手を当てる。冷たい!と悲鳴をあげるが、そんなこと知ったこっちゃない。それにこんなに冷たくなった原因はフレーにもある。
オレの幼馴染であり、婚約者でもあるフレーデル・アンドールは今日みたいな冬晴れの日、特に雪が積もった日は理由もなくふらっと外に出てしばらく帰ってこないことがある。
大抵は2、3時間ほどすれば帰ってくるのだが、今日は朝っぱらから抜け出して、心配になったアンドールおばさんがオレにフレーの場所を聞きにきた。
オレよりも2歳年上のくせして白い息を吐いて遊ぶなんて子供じみたことを続けてるなんて信じられない。
それにオレはマフラー、帽子、分厚いコート、裏毛のブーツを履いているのに対してフレーはマフラーとオレと比べると薄いコートしか着ていないのも信じられない。
「お前それだけで寒くねえのかよ。オレ凍えそうなんだけど」
「それは大袈裟じゃない?」
「じゃあお前の鼻なんで赤くなってんだよ」
むぎゅ、と赤くなった鼻を摘むとムッとしてオレの手を振り払う。
「はいはい、今日も私を探しにくるのお疲れ様ー。って言うか、いつもどうやって見つけるの?私いつも場所変えてるよね?」
「どうやってってお前...そりゃぁ、幼馴染のカンっつーか、お前のその髪色っつーか...雪の中でオレンジ色って目立つだろ」
「ふーん...エイベルにしてはあやふやな言い分だね。でもまぁ、それもそっか」
「おう、いい加減戻るぞ。朝飯食ってないだろお前」
「言われてみればお腹空いてきた。早く戻ろう!ほらほら、置いていっちゃうよエイベル!」
「あっ!おい待てよ!」
フレーは楽しそうに笑いながら走って木々の中に消えていった。慌てて追いかけるが地味にオレより足が速いフレーとの距離はどんどん引き離されていく。
相変わらずオレンジ色のおさげは木と木の間から見えるものの、だんだんそのおさげも小さくなっていくことに危機感を覚えた。
このまま見失ってしまうのではないだろうか。オレの手の届かない場所に行ってしまうのではないだろうか。あのオレンジ色の髪は雪景色に溶けていってしまうのではないか。
考えながら走っていたからか、フレーを見失ってしまった。
はっ、はっ、はっ、と浅く呼吸を繰り返す。
「ッフレー!どこだッ!」
木々の間に向かって叫ぶも返事は当然ながらない。
「フレー!!ッフレー!!」
しばらく呼び続けていたら木の幹からひょこっとフレーが出てきた。
「どうしたのそんな呼んじゃって...怪我でもした?」
オレの心配も知らず呑気なことを言うフレーを思わず思いっきり抱きしめる。
「うわっ、ちょっとどうしたの本当に!?」
「勝手にどっかいくなよ...心配するだろ...」
絞り出すような声で文句を言うとフレーは上げていた手をオレの背中に添えて子供をあやすように軽く叩いた。
「ごめんごめん、エイベルついてきてると思ってたの」
「ん、」
オレはフレーに自分の小指を差し出す。フレーはキョトンとした顔で小指をきゅ、と握った。
「違う、約束だ、約束。もうどっか勝手に行かないって約束しろ」
オレがそう説明すると納得したように、でも少し呆れたように笑い小指を絡めた。
「指切りげんまん、勝手にどこかに行かない、指切った」
「ふふふっなんだかエイベルのほうが子供みたい」
笑われたっていい。それでフレーが消えてしまわないなら、それでいい。
「随分良くなった」
先生はそう言ってボクの翼を撫でる。
動かせない、触られている感覚もないこの翼はもう二度と飛ぶことは叶わない。
「乱暴なことをしたね。でも、」
「逃げたボクが悪い。わかってるよ」
「わかってくれてありがとう」
先生は後ろからボクの首に手を回してそっと抱きしめる。
「外の世界で君以外に羽が生えている子はいないってわかっただろう?外の世界は君に優しくしてくれないんだ。君に優しいのは私だけなんだよ」
いつも先生がボクに言い聞かせるこの言葉も今は信じられる。
生まれた時からずっと外を知らなかったボクはこの前ここを勝手に出た。
初めて見た外は酷く眩しくて翼を持っている人は誰もいなくて酷く冷たかった。
お腹が空いたのに誰もボクにご飯をくれないし、ボクの翼をジロジロ見て、怖いことをしようとしてきた。
飛んで逃げようとしたけど先生がボクの翼を切って助けてくれた。痛かったけど、あの怖い人たちは逃げっていったから先生はボクを助けてくれたんだ。
「先生、助けてくれてありがとう。大好きだよ」
「ああ、私もだよ」
飛べない翼でも大丈夫。だってボクには先生がいるんだから。
ススキをかき分け進んでいく。
自分がどこにいるのか、どこへ行こうとしているのか、ここがどこなのか全くわからない。
でも何か誘導されるように黄金のススキをかき分けて進む。進む。進む。
ススキの穂が頬を撫でる感覚がくすぐったく、次第に笑いが募る。
意味もなくススキをかき分ける自分がバカみたいで足を止めて大声で笑った。
「ぴぴぴぴぴ、ぴぴぴぴぴ、ぴ、」
「うーん...」
アラームの電子音がけたたましく鳴り響く音で目が覚める。いつもの朝。変わったことなんで何もない。
少し塗装が剥げた古い時計。面白みのない見慣れた白い壁。乱雑に畳まれずに置かれた洗濯物。そしていつも見るススキの夢。
なんてことない朝の始まりだ。
始まりはいつも、友人からの誘いだった。
遊び、本、映画、趣味。
自分が知らないことを友人から学ぶことや挑戦することは楽しかったし、さほど疑問には思わなかった。
でも時々、自分は友人に何をしてあげられるのだろうかと思う時がある。
始まりはいつも友人から。
でも今日は違う。今日は私から誘うのだ。