《哀愁を誘う》
高校受験を控えている2人の男子中学生の会話ログ。
「金剛、次のテスト範囲を教えてくれないか?」
「あ、飯田橋君!勿論いいよ。教科書のここから…」
「62点か…金剛は?」
「100点!」
「流石だな。」
「へへ、お母さん喜ぶといいなぁ」
「そうだな。…お昼は食べたのか?」
「まだだよ。飯田橋君は?」
「あー…お腹空いてないからな。金剛の見とく。」
「ちゃんと食べないとダメだよ?いただきまーす!
…んー!今日の玉子焼きは甘めだ!飯田橋君も食べて!」
「ん、…む。……確かに甘くて美味しいな。ありがとう。」
「どういたしまして!やっぱりお母さんの作るお弁当は美味しいなぁ〜!」
甘さとは正反対の、飯田橋の口に広がるしょっぱい玉子焼きが彼の哀愁を誘った。
今日も”金剛 日向”は砂を食み、空想の味を楽しむ。
”神様”から与えられた餌を、残すまいと必死に。
《もうひとつの物語》
「何してんのー?」
「ぅひゃっ!?」
放課後の教室、突然後ろから声をかけられて飛び上がった。
地味で目立たなくてぼっちの僕に話しかけてくる人なんていないからだ。
「少年、もう空が真っ赤だぜー?
帰らなくていいのかい?」
「す、すみません…」
”少年”…いや、クラスメートでしょ…
…という言葉は飲み込み、目の前のマイペースな彼の名前を口に出す。
「金剛…日向、くん…?」
「わし、少年に名前教えたことあったっけ」
「いやあの…日直記録帳に書いてあるので…」
「あれを丸暗記してんの?変わった趣味だね」
そう言いながら目の前の”金剛 日向(こんごう ひなた)”は、校則で禁じられているはずのお菓子の包み紙を目の前で堂々と開けて口に入れる。
僕が風紀委員だったら立場上止めなきゃいけないんだろうけど、生徒指導室常連の彼を僕ごときが止められる気がしない。
それでも日直日誌を読み全クラスメートの名前を丸暗記するのが趣味な変人と思われたくないので弁明する。
「ま、丸暗記はしてませんし、趣味でも無いですよ…」
「もしかしてわしのことが好きとか…!?すまんの少年、わしは故郷に妻がいてな…ほらこの通り指輪も」
「そういうのじゃないです…しかもそれポテコじゃないですか。かなりクラスで目立っているので覚えてるだけですよ。」
「ちぇ、真面目だなぁ」
不服そうな顔をしてさくさくと薬指にはめたポテコを食べる彼。こんな癖の強いキャラが狭い教室にいたら嫌でも名前を覚えるだろう。
でも不思議と嫌じゃない。むしろ友達になりたいような…
「それ、気持ちいいくらい白紙だね」
急に現実に戻される。彼が指でとんとんと白紙の”進路希望調査書”を示す。
「今日までじゃなかったっけ?」
「はい…でも、埋められなかったから明日の朝イチに持ってこいって先生が…」
「なるほどなー。それで少年は居残りしてるわけだ」
「そうですね…」
頭の上で腕を組みながら彼は能天気にグミを食べる。そういえば彼は進路は決まったのだろうか?
「金剛くん…」
「日向でいーよ。タメだし敬語も外してくれよなー」
「…日向は、提出したの?」
彼のお菓子を食べる手が止まった。
「おー、渡されたその日に出したぞー」
「え!?」
「何だよー。そんなびっくりすることある?」
「い、いや…ごめん…
…ち、ちなみになんて書いたの…?」
「医者」
「えぇっ!?」
「声デカー」
予想外すぎる。ギャップとかいうレベルじゃない。
マイペースでやる気がないキャラが戦闘になるとめちゃくちゃ強い…なんていう、まるでゲームのような。
呆然とする僕に今度は彼が問いかける。
「少年は?」
「ぼ、僕は…まだ決められてなくて…」
「ふーん。じゃ、夢は?」
「へ?」
情けない声が出てしまう。
夢?…将来の夢なんて、とっくの昔に諦めたのに…
彼は続ける。
「やりたいこととか、好きなこととかないの?」
「え、っと…それは…」
「それとか、少年が好きなことなんじゃないの?」
僕のスケッチブックを指さす。
「でも…僕には才能がないから…」
下手なイラストを眺める。
稚拙な物語のプロットを眺める。
沈黙を柔らかく切り裂くのはいつだって彼だった。
「少年は自由だねぇ」
「そ、それってどういうこと?」
「そのまんまの意味だよ」
彼の言ってることは相変わらずよくわからない。
理解出来ずにいる僕に顔を近づけて、彼は。
「少年、才能が欲しいか?」
突然、魔王の台詞のような言葉をかけてくる。
「そ、そりゃ欲しいよ。でもそう簡単に…」
「おっけー。わしに任せとけってー」
夕陽に照らされた、彼の黄金のマフラーがふわりと、まるで天使の羽のように広がって。
「ちょ、ちょっと待ってよ。さっきからどういうこと?せめて説明を__」
ただ混乱する僕の前から消えた。
”金剛 日向”という存在が、最初からいなかったように。
いつの間にか開いていた窓から心地よい風が吹いてきて、僕の眠気を誘う。
あれ、僕の名前は…
”彼”の名前は…
”彼の夢”はなんだったっけ?
_ぽかぽかと暖かい西陽が、僕を夢へと連れ出した。
【愛言葉】
「ふぇぇぇん…」
これは記憶?それとも夢?
少なくとも目の前で泣いている、長い前髪で両目を隠した彼女には見覚えがある。
確か、名前は…
「…またここにいるのか、深海。」
名前を思い出そうとしていたその時、自分によく似た人間が、”深海”と呼んで彼女を見下ろす。
《深海(ふかみ) すい》…彼女の、名前。
恐らく外は雨が降っていたのだろう、泥で汚れたあの野球部のユニフォームを着ている人間が…自分なのか。生憎名前が思い出せない。
「っ、ぐすっ…あ、荒川くん…?」
…タイミングがいいな。そうだ…自分は…《荒川(あらかわ) 塁(るい)》という名前だった。
”荒川”は膝をつき、”深海”と目線を合わせる。
「タオルと…ジャージ、やる。タオルは新品だし、ジャージは洗濯した。汗の臭いはしないと思う。」
「あ、ありがとう…ごめんね、雨に降られちゃって…」
よく見るとセーラー服の”深海”はびしょ濡れだ。
”荒川”はタオルとジャージを渡し、”深海”はぎこちない笑みを浮かべて受け取る。
「今日は晴れ。」
…え?
「あはは…今日ははずれだったね…」
透ける体で屋上の扉をすり抜け、空を見た。
晴れている。
なのに、何故彼女は濡れている?
何故自分は泥まみれでいる?
「またトイレ?」
「…うん。いつものだから…平気だよ…」
「慣れてはいけないといつも言ってる。」
「ご、ごめん…でも、荒川くんのその泥も…」
「…雨が降ってた」
「あはは…今日はお互い災難だね…」
「慣れてる。」
「慣れちゃダメって荒川くんがいつも言ってるよ?」
「すまん」
…思い出した。彼女も自分も、虐められていた。
クラスに馴染めない彼女がトイレに逃げると、高確率で上から水とバケツが降ってくる。
チームに馴染めない自分が自主練に行くと、高確率で地面の上に転がされる。
そんな日々を、お互い”雨が降ってる”と言って誤魔化していた。
大体ハズレだった気がするけれど。
「…明日は晴れるといいなぁ…」
「晴らせてみせる。」
「はは…ありがとう。…私も、晴らせてみせるから。」
「ありがとう」
”晴れるといいな”
”晴らせてみせる”
…お互いを繋いでいた、支えていた、合言葉のようなもの。
止まない雨をいつか止めさせる為に、”荒川”と”深海”が使っていた言葉。
「そ、そういえば…荒川くんは、進路決めた?」
彼女の手には白紙の進路希望調査票が握られていた。
それに対して、おそらく自分は…
「プロ野球選手。」
…まともにチームメイトと会話できないのに。
「変わってなかった…よかったぁ…
…よし!私も決めた…!」
彼女は鉛筆を取り出し、夢を書く。
「病気を治して、絶対に潜水士になってみせる…!」
…喘息を完治させる方法は今のところ無いのに。
「えへへ…お互い、変わってないね…」
「あぁ。叶えてみせる。」
「わ、私も!絶対叶える…!」
「「あなたに虹が架かりますように」」
…恥ずかしいこと言ってる。
「えへへ…綺麗に被ったね…」
「いつも言ってるから。」
…下校を促すチャイムが流れる。
いつもこんなに遅かったのか。
「わわ…!早く帰らないと…」
「もうそんな時間か」
「え、えと…ジャージとタオル、洗って返すね…!」
「……」
「あ、荒川くん…?」
…自分なのに、殴りたくなってきた。
我ながら最低だ。
「ん。また明日」
「…?う、うん!また明日ね…!」
________
「…ぃ、お…い……おーい…”ルイ”くん?」
「ん…?」
いつの間にか眠っていたらしい。
やはりあの出来事は夢か。
潜水服を着て、サメのようなヒレと尻尾が生えた”ディーパ”が傘を差し出し、こっちを覗き込む。
「やっと起きた…宿にいないからいつもの木の所かなって思って…ほら、あ、雨降ってきたし、一緒に帰ろ…?」
「ん。ありがとう」
”ディーパ”から傘を受け取り、並んで歩く。
「ディーパ。」
「どうしたの?ルイくん」
「…虹がかかるといいね」
彼女はディーパなのに。
「…?そうだね。きっと綺麗に架かるよ…!」
…明日は晴れるといいな。
そう思いながら2人で宿に帰った。
「いくな」
戦闘の最中、戦闘不能になった仲間達が足元に転がる中、突然後ろからマフラーをギュッと掴まれ、pokaは後ろに引っ張られた。
「何だよアーティ、邪魔すんなよなー」
「…飯田橋と呼べと言ったはずだぞ、金剛。」
背伸びしてもpokaの膝ぐらいの身長しかないアーティは、必死に自分のマフラーを腕のように使ってpokaのマフラーを握り、引き止める。
事故で両腕を失くしてしまった、才能溢れる画家にもう一度筆を握ってもらうために”poka”が用意した代替品だ。
失くしたモノの代わりがある。実際その腕でアーティは大好きだった絵が描ける。魔王を倒してもエンドロールが流れることは無く、冒険は永遠に続き、退屈することも命を落とすこともない。そんな”夢のような空間”で、兎のような容姿の彼…”飯田橋 進”は一体何を躊躇っているんだろう。
「現実世界での君は”飯田橋”かもしれない。でも、ここでの君は”アーティ”なんだよ。わしが”poka”であるようにね。」
「違う。お前は”金剛 日向”だ。いい加減目を覚ませ。」
「あ、10円みっけ」
「話を聞け」
マイペースで自分勝手なギャンブラーの彼は、基本人の話を聞かない。
「…いつまでわしのマフラーを引っ張るおつもりで?」
「お前が”それ”をしまうまでだ。」
pokaの手にはいつものハンマーやコインではなく、よく尖ったロザリオが握られている。
「これが無いと皆を蘇生できないんだが??」
足元に転がる味方の屍と、恐らく次のターンで死ぬであろうボロボロのアーティと自分を見てpokaは言う。
pokaのスキルの1つである”オールイン・リザレクション”には、自分を犠牲に味方全員の蘇生と回復をするという効果がある。この世界には命という概念はないが、ゲームのようにHPが尽きれば擬似的に死ぬ。戦闘に勝つには、とりあえず味方を復活させる必要がある。それをわかっているのに、アーティはpokaを引き止める。
「他のやり方があるだろう。我が蘇生薬を描けば…」
「描くのはいいけどそれを具現化するMPが無いでしょ」
「…我が描かなくとも、アイテムを使えば…」
「蘇生薬は全回復しないし、仮にそれでアタッカーのミクスやルイを復活させてわしらが死んだら全員戦闘不能でゲームオーバーだよ」
「……だが、」
普段冷静で合理的な判断をする彼らしくもない。
「だーかーらー、わしがオルリザすれば何とかなるんだって。アーティも全快するんだから、それからわしを復活させてくれればいいじゃん?」
その方が効率がよく、勝率も上がるはずだ。
なぜ彼は、アーティは止めるのだろうか。
「というわけだから、離して?」
「…いかないでくれ」
「は?」
「これ以上、我はお前が犠牲になるのを見たくない」
珍しく彼が感情を吐き出した。覆水盆に返らず。
アーティはそのまま小さな子供のようにぽろぽろと涙を零しはじめた。
しかし、黄金色のマフラーはその手をすりぬけて。
「”オールイン”!!」
自身の左胸にロザリオを突き刺した。
__ピカッと光った瞬間、辺りに心地よい、金色の雨が降る。
死んだ仲間達が目を覚まし、再び目の前の強敵に突っ込んでいく。
「何してんだアーティ!早くpokaに蘇生薬を!!」
「…あぁ」
…pokaはここを”楽園”と呼ぶ。
まるで縋るように。宝物のように。
「…逝かないでくれ……」
身勝手な神様の死体に蘇生薬を流し込みながら、アーティはもう一度想いを零した。