『ノン・エンディング』 テーマ:旅の途中
僕たちは魔王を倒した。
ゲームのプレイヤーはラスボスを倒した。
そしたらその後、どうしようか?
「どうしようもないよ」
敵を切り伏せ、自問自答する。
目の前で倒れた敵は、何度も見たことのあるモンスターだった。もう何度も何度も打ちのめした相手。
この敵を倒す理由は、もう無い。
『レベルはもう上がらない!』
システムメッセージが鳴ったが、身体は止まらない。
自分をコントロールしていたプレイヤーは、既に操作を放棄している。
最終ダンジョン。光の差さない、石壁に囲まれた空間の中。自分はまだ、プレイヤーが最後に残した命令――「戦って、レベル上げ」をこなし続けていた。
『レベルはもう上がらない!』
それに意味なんて無いのに。
辺りを見ると、かつての仲間達が冷え切った地面に倒れている。
体力が尽き、ピクリとも動かなくなっている彼らも、教会に行けばすぐに復活できるだろう。
ただ、その機会は二度と無い。それを行えるプレイヤーは、居なくなってしまったのだから。
羨ましい、と思う心情ごと敵を切り捨てた。
自分は最強の勇者だった。おまけに装備も手厚く揃えられていた。
攻撃を受けない、受けても体力はほとんど減らない、多少減っても勝手に回復する。
だから自分だけは決して倒れない。倒れようがない。……倒れたいと思っていても。
『レベルはもう上がらない!』
敵を倒しながら駆け抜けていると、空間の突き当たりにたどり着いた。
漆黒の巨大な大扉。この先には魔王がいる。
彼の姿は、もう長いこと見ていない。
一時期は何度も戦っていたが、最後の命令を受けてからはこの扉を開けることすら無くなった。
彼は、魔王は、まだこの扉の先に居るのだろうか。確かめる機会はもう無いだろう。
このゲームは、エンディングを迎えるとラスボス前まで時間が巻き戻る仕様になっている。
プレイヤーにとっての物語はそれで終わり。
でも、自分たちの旅に終わりは無い。永遠に。
大扉に背を向け、引き返そうとした時だった。
不意に身体のコントロールが効かなくなり、困惑する。自分の身体は勝手に、大扉を押し開けようとしていた。
『この先に進むと最終決戦だ!
もう戻れないが、進もうか?』
システムメッセージを目にしながら、それでも扉を開ける。
その先に変わらず居た魔王が、自分に気づいて瞠目した。
『また、現れたのか』
そうだ。プレイヤーが帰って来た。
言葉は口に出せず、代わりに剣を握る。
そしてまた、物語は気まぐれに再開された。
2025.1.31
『麦わら帽子はまだ早い』 テーマ:帽子かぶって
「あらっ。ちぃちゃんどうしたの」
玄関から、義母がちぃちゃんを抱えて戻って来た。ちぃちゃんの小さな小さな頭には、麦わら帽子が乗っかっている。去年の夏、どこに出かけるのにも大活躍だった帽子。ちぃちゃんのお気に入りの一つだ。
「こないだ収納にしまい込んだのに。
よく引っ張り出して来れたねえ」
言いながら押し入れに顔を突っ込んだ義母は、「あらあら台風の後みたいだわ」と大笑いしている。後ろから覗くと、中は我が娘のわんぱくっぷりが存分に発揮された、酷い有様となっていた。
「ああっ、すみません。すぐ片しますから」
「いいのいいのこれくらい。
でもちぃちゃんてば、麦わら帽子なんて急に引っ張ってきてどうしたの」
義母がちぃちゃんの前に屈んで笑いかける。
可愛い我が子は義母の顔を見て、「んー?」と首を傾げた。
嗚呼。とっても可愛いけど何も分からない。幼稚園にも入園してない歳の子に、一端に説明能力があるわけ無いんだけど。
「よんで」
嘆く暇も無く、ちぃちゃんにぐいぐいと絵本を押し付けられる。麦わら帽子を被りっぱなしなので、帽子のつばもぐいぐいと顔に当たる。
帽子を取ろうとしたけど、滅茶苦茶に嫌がるので諦めた。麦わら帽子をかぶった可愛い我が子を膝に乗せ、絵本を開く。
「あっ。そうかあ。ちぃちゃん最近この絵本が好きだもんね。そういうことかあ」
横から顔を出した義母が、絵本を見て得心したように頷く。
開いたページは丁度、ひまわりの花が一斉に開花するシーンだった。
「ああ、去年見に行ったねひまわり」
「ちまり」
「うん、ひまわり」
それこそ花のような笑顔を見せる娘の頭を撫でた。夏の間愛用していた麦わら帽子は、てっぺんがささくれてザラザラしている。
この帽子の下に、柔らかな髪の毛と小さな小さな頭がある。そう思ったら、愛しくて仕方なかった。
「ちまり」
「ひまわりはね、まだもうちょっと先かな」
「んー?」
「もっともっと暑くなったら、またお母さんと見に行こうね、ちぃちゃん」
義母の言葉を理解したのかしてないのか、ちぃちゃんはニコニコ笑っていた。まあ、理解出来たら賢くて可愛いし、分かってなくてもそれはそれで風情があって良い。ちぃちゃんの頭の中では毎日ひまわりが満開ってことなんだから、それってとっても素敵なことだ。親バカかもしれない。
「ま。麦わら帽子はまだ早いかもね、ちぃちゃん」
「んー?」
まだ分かんなくていいよ。四季に囚われた大人の言葉なんて。
2025.01.28
『微睡みを譲る』 テーマ:小さな勇気
部活帰りのバスの中。運良く座れた通路側のボックス席で、僕は程よい揺れに身を任せていた。
冬の夜はうんと薄暗い。街の灯りだけでは参考書もろくに読めず、かといってスマホは眩しすぎて目に痛い。何より、ほのかに暖かな車内が眠気を煽る。だから自然と僕は、微睡みのまま目を閉じようとした。その時のことだった。
僕の顔に影が落ちるのが分かった。すぐそばに、誰か立ったらしい。
薄目を開け、ぼんやりとした視界で脇を見る。子ども連れじゃないかとか、妊娠してないかとか、ご老人じゃないかとか、そんなことを素早く確認するのだ。
近くに立ったのは、サラリーマンのおじさんのようだった。若干顔が疲れているけど、背筋をしゃんと伸ばしている、しっかりした感じの人。
僕は改めて目を閉じた。席を譲るべき人が居たら譲るし、普通に元気そうな人だったらそのまま座ってる。おじさんは別に大丈夫そうだから、譲らずに座ってることにした。
僕のマイルールに従った判断だけど、倫理的に間違っては無いと思う。間違ってないよね、多分。うん。……席を譲るのも、譲らないのにも小さな勇気を必要とするのは、公共交通の悪い所だと思う。
なんて考え事をしつつ目を閉じていたけど、何だか影がチラチラするのが気になり、また目を開けた。近くに立っていたおじさんが、立ったままで大きく船を漕いでいた。
前にぐんにゃり、後ろにがっくり。
首がぐるんぐるん動くのを見て堪らず、おじさんの腕を叩いた。跳ね起きる彼に、小声で話しかける。
『良かったら、座ります?』
おじさんはばね仕掛けの人形のような動きで手と首を横に振った。
『おじさんみたいな健康な大人が学生さんに席譲って貰うのは、ちょっと、どうかと』
『でもほら、今日は多分僕の方が健康ですし』
結局、半ば無理やり座らせる。おじさんは物凄く恐縮した様子で縮こまっていたけど、すぐにまた、うつらうつらし始めた。
これで合ってたんだろうか。いや、そもそも合ってるとか合ってないとか、そういうの無いんだけど。それにしたって、この前妊婦さんに席を譲った時はこんなに迷わなかったのに。
ぐるぐる考え事を続ける。ふと顔を上げると、近くの席の見知らぬお婆ちゃんと目が合った。お婆ちゃんが生暖かい笑顔を僕に見せてくる。
どうやら間違ってはいなかったらしい。
それでもやっぱり気恥ずかしくて、僕は視線を窓の外に逸らした。
流れる街灯が、やたらとぴかぴかして見えていた。
2025.01.28
『事故物件』 テーマ:わぁ!
『わぁ!』
声が聞こえて、振り返った。
誰もいない。当たり前だ。一人暮らしのこの部屋に、友達も彼氏もいない人間の部屋に、私以外の誰かがいるわけない。
私はパソコンに向き直る。この部屋の主は今、土日休みを漫然と貪っているところなのだ。
今日はひたすら、ダラダラと動画を垂れ流して見てる。適当に流されている動画は、好みの内容でなかった。
おまけに座椅子に腰掛けているだけで、寝っ転がるよりはまだ「ちゃんとしている」ような素振りをしてるからどうしようもない。
ため息を吐いた直後、部屋の隅で何かが割れる音がした。
音のする方を見やる。誰もいない。様子の変わったところもない。当たり前だってば。
またパソコンに視線を戻す。次の動画がランダム再生されるところだった。再生数が無駄に多いだけの、騒音のような音楽が流れて思わず耳を塞ぐ。適当に流された曲が好みじゃなかった時って、何でこんなにムカつくんだろ。
顔を顰めていると、今度は頭上から手を叩く音が聞こえた。雑な拍手のようなそれにイライラして、天井を見る。
誰もいない。何もない。当たり前なんだって。
もう無理。捕まえられずに耳元をブンブンし続ける蚊のような何かを、いい加減野放しにしてらんない。
私はパソコンを見てるフリをしつつ、周囲を警戒する。しばらくすると、背後に何かの気配を感じた。私は音もなくそれに近寄り――
『わぁ!』
脅かしてやった。
見えない何かが、空気を揺らしながら仰け反るのが分かった。
それから、また空気を揺らして私に詰め寄る。
『あのね、さっきからうるさいのよ。
パリンガシャンパンパン鳴り散らかして、勘弁してよね』
見えない何かはふるふると震えているようだったけど、どういう感情なのか全く読めない。
『クラップ音だっけ?心霊現象とか全っ然意味ないから。
この部屋の主、霊感全くないの』
ふるふると震えていた何かが動きを止めた。
今のは分かる。明らかに動揺してる。
マジで? マジで気づかずやってたの?
『いや私――地縛霊だから。この部屋の。
私にクラップ音とか聞こえても意味ないから』
私はパソコンと、その前に座る部屋の主を見た。自分の部屋で幽霊2体がやり合ってるってのに、全く気にならないの。呆れる。
気がつくと、見えない何かは姿を消していた。幽霊的に旨味がないと悟ったのだろう。
霊感0の人間と、先客の幽霊。
『人間から見ても幽霊から見ても事故物件なの、ホント笑えるわ』
いや笑えるかっての。
2025.01.26
『腐る』 テーマ:みかん
腐ったみかん、という言葉がある。
段ボール詰めの、大量のみかん。あの中の一個でも腐ってると、周りもどんどん腐っていく。
だから早めに捨てましょう。そういうこと。
「なら、周りがみーんな腐ってたとしたら?
爪弾きにされるのは、むしろ綺麗なみかんの方だよね?」
放課後。部活を抜け出して友達とマック。
これは青春でも何でもない。無様な逃亡兵の弔い会なのだ。
「相変わらず小難しい。
分かるのは、今のがアンタなりの強がりってことだけ」
「……そうだよ」
コーラにブッ刺したストローを噛む。
ふやけた段ボール味のする紙ストローが、惨めな気持ちを煽る。
「年三回発行の部誌、今年は無くすって」
「は。じゃあアンタら文芸部は何するわけ?」
「知らなぁい。一生オタクトークしてるんじゃん?」
言いながら、ため息を抑えられなかった。
去年入部した文芸部は、思ってたような場所ではなく。
執筆だの読書だの、そんな感じの話が出来ればと期待していた気持ちは、一年の間にすっかり掻き消された。
「アニメ鑑賞会は出来るのに部誌の発行は出来ないんですか、って気持ち」
「凄いね」
せせら笑う友達の顔は、とても見られなかった。
何度も話は持ちかけた。作品は書くべきじゃないですか。せめて部誌くらいは発行しましょうよ。そんなことを。
馬鹿馬鹿しい。
「腐ったみかんの話だけどさ」
友達が口を開く。
「こっちからすれば、誰が腐ってるのか判断しようないケド。
結局一緒に居たら、全部腐るんじゃないの」
「え。……そしたらどうなんの?」
「サークルクラッシュ」
「それ、どのみち私が悪くなるやつじゃん」
抗議する私の目線をかわして、友達はあっさり「そうだよ」と答えた。
あーあ、サークルクラッシャーってやつになるんだ私。笑えないな。
「だからさ、もう部活辞めたら?」
友達の言葉はあまりにシンプルで、だけど理解に時間を要した。
「辞めるの? 私が先に?」
「そ。よく言うじゃん?
しんどいと思ったら無理せず逃げろ、って」
「なんかそれ、負けた感じがしてヤダ」
勢いのままテーブルに突っ伏す。油がほっぺに付いちゃって、すぐに後悔した。
「勝ち負けなんてないから。
アンタだって分かってんでしょ、本当は」
はいはい分かってる。文芸部と私の関係は勝ち負けでも、段ボール詰めのみかんでもない。
言うなれば水と油。混ざり合わない人種。
「分かってるけどねえ」
未練がましくぼやく。うだうだ。ぐだぐだ。
私はやっぱり、腐ったみかん。
2024.12.29