暁野スミレ

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7/2/2024, 2:29:06 PM

『かげをおくれ』 テーマ:日差し

 よく晴れた日のことでした。
 天気が良かったので、わたしは外をお散歩することにしました。
 公園のそばを歩いていると、同い年の子たちが「かげおくり」をして遊んでいました。

 「かげおくり」は、近所の子たちの間で流行っている遊びです。今日みたいによく晴れた日、地面にある自分の影をまばたきせず十秒じっっと見ます。それから空を見ると、自分の影が空に浮かんで見える、らしいのです。

 前に学校で「かげおくり」をしたときは、あんまり上手くできませんでした。その日はくもりで、影が見にくかったのです。
 だからまた「かげおくり」がやりたくて、公園の子たちに声をかけました。

「いーれーてー」

 けれど、みんなはわたしを見るなりびっくりして、逃げていってしまいました。どうしたんだろう。いつもみんな遊んでくれるのに。
 わたしは自分をじっくり観察しました。くるりと背中を向いて、思わず飛び上がりました。なぜなら、自分の影もぞもぞ動きだしたからです。

 影の方もさぞ驚いたのでしょう。夏のプールサイドにいるみたいに、ぴょんぴょん飛び跳ねていました。もしかしたら逃げたかったのかもしれません。でも、ここはだだっ広い公園。影の居場所はどこにもありません。影は縮こまって、ぽつぽつ身の上を話し出しました。

 どうやらこの子は、影に隠れて暮らす「影の子」なのだそうです。
 しかし、今日は天気がよく、隠れる影が見つからずに仲間とはぐれてしまったようでした。おまけに、日差しが強くて自分の姿がくっきりしてしまい、わたしに見つかった、というわけだったのです。

 仲間に会いたいとめそめそする影の子に、わたしは提案しました。

「わたしが「かげおくり」であなたを空まで送ってあげる。ね、空から仲間を探してみようよ」

 わたしはお日さまに背中を見せて、影の子をじっっと見ました。

「動かないでね。上手くできないかもしれないから」

 わたしがそう言うと、影の子はぴたりと止まりました。まばたきしないよう気をつけながら、しっかり10秒数えます。
 それから勢いよく、顔を上げました。青空がちかちかと瞬いて、白い影がすうっと浮かびました。

「やった!」

 喜んでいると、浮かんだ影の子がせわしなく動き始めました。
 しかも、よく見るともぞもぞ動く影は一つじゃありません。

「あれ、もしかして……」

 気づいた途端、おかしくって大笑いしました。
 影の子たちはどうやら、ずっと一緒にいたみたいです。

2024.7.2

7/1/2024, 2:20:13 PM

『理想の空』 テーマ:窓越しに見えるのは

 梅雨が嫌いだった。
 低気圧とか、足元がぐずつくとか、そういう理由もある。けど何より嫌いなのは、あの暗い暗いねずみ色の空だった。ほこりのような厚い雲を見ているだけで、具合が悪くなった。

 今日もまた、梅雨前線の真っ盛り。私は起き上がる気力もなく、ベッドでスマホをいじっていた。
 ふと、その手が止まった。偶然開いていたフリマアプリで、偶然開いたページで、私は運命の出会いを果たしたのだ。

『雨空が嫌いなあなたへ! いつでも晴れ空を見せてくれる不思議な窓はいかがでしょう。お使いの窓枠にはめ込むだけ、工事は一切要りません』

 私は迷わず購入ボタンを押した。
 数日後のよく晴れた日、巨大な段ボールで窓は届いた。業者の手を借りて、えっちらおっちら部屋へ運ぶ。それから、ふうふう言いながら梱包を解く。
 ごく普通の、というのも変だけど、実際本当に普通の窓に見えた。キャンバスのような大きさの窓枠に嵌められたガラスは、光が当たるとオーロラのように輝いていた。

 透かして見た景色は、現実と変わりがない。半信半疑で部屋の窓にはめ込み、次の雨を待つことにした。夜の空も、いつもと同じように見えたので、私はいよいよ不安になり始めていた。

 二日後、窓の向こうから雨音が聞こえた。けれど、それにしては部屋が明るい。私は跳ね起き、カーテンを開けた。
 窓の外は、晴れ空が広がっていた。あの愛しい薄青の空が、優しく光を放つ太陽が、窓越しに見えている。なのに、雨音は絶えず聞こえている。窓を開けると、外は薄暗い雨空だった。
 すごい掘り出し物を見つけた。私は部屋着で小躍りした。

 それから何日も雨が続いたが、私の心は晴れやかだった。
 どんなに外が土砂降りでも、部屋からはいつでも晴れ空が見えるのだから。私は極力外出を避け、部屋にこもって過ごした。

 さらに数日経ったある日、気が付くと雨音が止んでいた。
 やっと梅雨が終わったのだろうか。窓を開けた私は、目の前の景色に目を奪われた。
 大きな虹が、消えかけながらも空に架かっていた。虹なんて久しぶりだったので、思わず見入ってしまう。

 ふと思い立って、窓を一度閉じてみた。窓越しに、穏やかな晴れ空が見える。でも、そこに虹は見えない。
 もう一度窓を開けた。しかし、虹はすっかり消えていた。もともと薄れていたのだから、いつ消えてもおかしくはなかった。

 もっと早く窓を開けていたら、もっと虹を見られたかもしれない。
 そう考えたら、ため息がこぼれた。

2024.7.1

6/22/2024, 2:35:51 PM

『かりの生活』 テーマ:日常

 小人(こびと)一家の朝はいつも、ドールハウスに差す朝日とともに始まります。

 小人の娘は、起きてすぐ小瓶を背負い、窓辺の植物から朝露を集めてきます。二滴もあれば、小人一家には十分でした。
 小人の母親は、娘が集めてきた朝露を鍋に移し、マッチの火で沸かしました。それから生活の水と飲み水に分け、一家揃って顔を洗います。

 母親がスープを煮込む間、小人の父親はドールハウスの中を見回ります。危険はないか、傷みはないか、じっくりと確かめます。
 少し前まで、彼が朝一番にやるべきことは外の見回りでした。以前は木の洞うろに住んでいたので、住処に寄り付く動物を追い払う必要があったのです。しかしここに引っ越して、それも無用となりました。

『すっかり暮らしが楽になった』

 父親は気の抜けた様子で、スープを口に運びました。
 娘はパンをちぎりつつ、父親に同意します。

『必要なものは、あの子が持ってきてくれるもん。わざわざ大変な思いをしなくていいし、助かるね』
『でも、それもいつまで続くかしら』

 母親は、娘の皿にスープを継ぎます。その顔は浮かないものでした。

『人間の子どもは気まぐれでしょう。それに、あの子の親が私たちのことを知っているとは思えないわ。この暮らし、きっと長くないわよ』
『お母さんったら。そんなの――』

 娘が眉をひそめたときです。
 ドールハウスの持ち主が、ぬっと顔を出しました。

「朝ごはん? 美味しそうだね」

 持ち主の少女を見て、両親は飛び上がりました。娘は少女の元に駆け寄り、尋ねます。

『今日は学校、っていうのは行かなくていいの?』
「ううん」

 少女は肯定とも否定ともとれない、曖昧な返事をしました。
 両親は身を寄せ合って震えます。少女が学校というものに行かなければ、きっと彼女の親が部屋にやってくるでしょう。そしたら、自分たちのことが人間の大人に知られてしまうのでしょうか。

「昨日失敗しちゃって。それで今日、行くのが怖いの」
『今日、何か嫌なことが起きるの?』
「分からないけど、心配で」

 それを聞いて、娘はまた眉根を寄せました。

『そんなのね、心配したって仕方ないのよ。うちの親もずっと不安そうにしてるけど、それでも淡々と繰り返すのが日常ってもんなんだから』
「たんたんと、って?」
『頑張って生きるってこと』

 少女は少し考え、それから部屋を出ていきます。
 娘は何か言いたげな両親の視線をかわし、再び食卓につきました。
 一日は、まだ始まったばかりです。

2024.6.22

6/21/2024, 3:01:08 PM

『あか→むらさき』 テーマ:好きな色

 近く、私は県外に転勤することになった。
 これも良い機会だったので、中途半端に残していた実家の私物を整理することにした。

 押入れの中を片していた最中、埃を被ったアルバムが出てきた。
 色褪せた表紙には、几帳面な字で年月が記入されている。どうも、私が幼稚園に入る前の写真らしい。

 何気なくページを捲ると、幼い私の写真が所狭しと並べられていた。表紙と同じ字でひと言コメントが添えられていて、何だか懐かしさと気恥ずかしさが呼び起こされる。

 写真の中の私は、よく赤いものを持っていた。よく写っているのは、ちびた赤いクレヨン。赤い粘土をこねていたり、赤いワンピースの人形で遊んでいたり、刻まれた赤パプリカを食べていたり。どの写真を見ても、小さな私は赤に囲まれている。

 満面の笑顔で赤クレヨンを握りしめる私の写真の横に、『やっぱり、赤が大好きみたい』とコメントが書かれていた。
 まるで、他人のアルバムを見ているような気分だ。今は別に、赤が特別好きなわけでなし。この頃の私が、どうしてこんなに赤を好んでいたのか、今となっては知る由もない。

 部屋の鏡に映る私を見る。今日の私は、くすんだパープルのサマーニットを着ている。
 パンプス、財布、コスメポーチ。思い起こせば、気に入った持ち物はほとんど紫色だ。
 紫が好きになったきっかけは、些細なことだったと思う。友達に似合うと言われた服が紫系だったとか、インスタのアカウント名に使っていたとか、そんなちょっとしたこと。

 アルバムの私を見る。幼い子どもは確かに私の面影を宿しているはずなのに、私でないような気がしてくる。
 一抹の寂寥感。これがノスタルジーというものなんだろうか。お手洗いに行きたくなり、私はアルバムを閉じた。

 手洗い場の鏡越しに私を見た。さっきは気づかなかったけど、リップの色が落ちかけていた。部屋に戻り、パープルグレーのコスメポーチを開け、中からリップを取り出す。
 パッケージが脂で少し汚れていた。店で一目惚れして買って以来、しょっちゅう使っていたからだろう。蓋を開け、中身をくり出した。

 私はつい、笑ってしまった。
 リップは真紅だった。

 声を上げて笑い、それから微笑む唇をリップでなぞった。
 鏡越しに、また私を見た。唇が赤く染まっている。
 やはり、私は地続きなのだ。パープルのサマーニットに真紅が良く映えていた。

2024.6.21