『微睡みを譲る』 テーマ:小さな勇気
部活帰りのバスの中。運良く座れた通路側のボックス席で、僕は程よい揺れに身を任せていた。
冬の夜はうんと薄暗い。街の灯りだけでは参考書もろくに読めず、かといってスマホは眩しすぎて目に痛い。何より、ほのかに暖かな車内が眠気を煽る。だから自然と僕は、微睡みのまま目を閉じようとした。その時のことだった。
僕の顔に影が落ちるのが分かった。すぐそばに、誰か立ったらしい。
薄目を開け、ぼんやりとした視界で脇を見る。子ども連れじゃないかとか、妊娠してないかとか、ご老人じゃないかとか、そんなことを素早く確認するのだ。
近くに立ったのは、サラリーマンのおじさんのようだった。若干顔が疲れているけど、背筋をしゃんと伸ばしている、しっかりした感じの人。
僕は改めて目を閉じた。席を譲るべき人が居たら譲るし、普通に元気そうな人だったらそのまま座ってる。おじさんは別に大丈夫そうだから、譲らずに座ってることにした。
僕のマイルールに従った判断だけど、倫理的に間違っては無いと思う。間違ってないよね、多分。うん。……席を譲るのも、譲らないのにも小さな勇気を必要とするのは、公共交通の悪い所だと思う。
なんて考え事をしつつ目を閉じていたけど、何だか影がチラチラするのが気になり、また目を開けた。近くに立っていたおじさんが、立ったままで大きく船を漕いでいた。
前にぐんにゃり、後ろにがっくり。
首がぐるんぐるん動くのを見て堪らず、おじさんの腕を叩いた。跳ね起きる彼に、小声で話しかける。
『良かったら、座ります?』
おじさんはばね仕掛けの人形のような動きで手と首を横に振った。
『おじさんみたいな健康な大人が学生さんに席譲って貰うのは、ちょっと、どうかと』
『でもほら、今日は多分僕の方が健康ですし』
結局、半ば無理やり座らせる。おじさんは物凄く恐縮した様子で縮こまっていたけど、すぐにまた、うつらうつらし始めた。
これで合ってたんだろうか。いや、そもそも合ってるとか合ってないとか、そういうの無いんだけど。それにしたって、この前妊婦さんに席を譲った時はこんなに迷わなかったのに。
ぐるぐる考え事を続ける。ふと顔を上げると、近くの席の見知らぬお婆ちゃんと目が合った。お婆ちゃんが生暖かい笑顔を僕に見せてくる。
どうやら間違ってはいなかったらしい。
それでもやっぱり気恥ずかしくて、僕は視線を窓の外に逸らした。
流れる街灯が、やたらとぴかぴかして見えていた。
2025.01.28
1/27/2025, 4:25:49 PM