ここは、夢だ。
意識がはっきりしてきてすぐのこと。
何故だか俺はそう思った。
感覚は鮮明で、起きている時とさほど変わらない。なんなら全く一緒だ。それなのに何故ここが夢の世界だと分かったのか。
いろいろ自分の中に生まれてきた違和感を説明するために手っ取り早く当てはまるのがそれ、というのもあるが。
何より、この世界には彼がいた。
彼。
そう。数年前、突然逝ってしまった彼。
なぜ今頃になってこうして夢に現れるのか。
いや、なぜ今頃になって俺は彼の夢を見ているのか、と言うべきなのだろうか。
それらはともかく、今の俺には彼に言いたいことがたくさんある。彼は病死だった。俺は彼に病気のことを詳しく聞かされていなかった。言いたくなかったのだろう。彼なりの優しさとかだったのだろう。それでも。俺は聞きたかった。少しでも彼の苦しみを背負えるのなら。少しでいいから、それを分けてほしかった。
他にもたくさん。
いつもありがとうと言ってくれる、持ってきている花について。本当に嬉しかった?無理をしてお礼を言っていなかった?
いつも元気そうに振る舞っていたこと。
本当に?実は辛かったのに、心配をかけまいと気丈に振る舞っていたりしなかった?
いつも俺がいない時、病室では何をしていたの?
こんなにお見舞いに来ても1度も鉢合わせたことのないご両親は?
大切なこと、些細なこと。
たくさんの気になることで頭がいっぱいになっていく。
ふと、何処からか、声が聞こえてきた。それは、聞き覚えのあるものだ。でも、この声が誰の声で、何処から聞こえて、何を伝えようとしているのか理解したら、もう此処にはいられない気がした。
声が聞こえないように、少し先にいる彼だけに集中する。よく見ると、彼は眠っているようだ。俺の夢の中、すなわち眠っている俺の中に更に眠っている彼がいるというのは少し不思議な感じがした。
しかし、これでは彼に質問するどころか話すら出来ない。どうしようかと迷っていると、彼の周りにたくさんの花が咲いていることに気づいた。いや、咲いているというのは違うかもしれない。その花たちは、そこにあった。それも、今まで、彼が亡くなるまでお見舞いに持ってきたものと同じものだった。
彼の記憶にそこまで残るほど自分の贈る花が大きい存在だったのか。彼にとって、そうであって欲しいと自分が思っているだけなのか。
確かな事はわからない。
でも、今、色とりどりの花に囲まれて心なしか優しい表情で眠る彼を見て、そんな事は大きな問題ではないように思えた。きっと、天国でも、こう安らかに眠れていると思いたい。
今度こそ、本物の、美しい花に。
いつの間にか手に一輪の花が握られていた。
ピンク色のそれを、本物の柔らかなそれを。
そっと、彼の胸元に置いた。
また、会える日が来ると信じて。
その日を楽しみに待っているという気持ちを込めて。
病室
「あの花が散ったら、私はいなくなる」
僕はこの言葉が理解できない。
だって、植物はどうせ枯れる。
そんなものに自分の運命を、命を預けてしまえるのか。
少なくとも僕は最後まであきらめずにいたい。
こんな僕のつまらない言葉がいつまでも心に残っているのか、親友は、僕が入院している間生花をお見舞いに持ってくる事はなかった。
僕の病室は窓の外には常緑樹くらいしか生えていないのでせっかくの四季も変わり映えしなくつまらない。
なのでたまに「ずっと同じ景色ばっかりでつまんないよね。たまには季節のお花とか見たくない?」とおねだりしていた。
そうすると、次お見舞いに来る時手にカラフルな造花を持ってきてくれる。それが何度も繰り返されて、病室の小さな戸棚はいつしか可愛いお花でいっぱいになった。決して枯れない、永遠の美しさ。
それが増えていくたび、親友との友情が枯れないつよいものになっていくようで勝手に心の中で喜んでいた。
ある日。
昨日親友にお見舞いに来てもらって、まだ目新しい窓際のお花を眺めていた日。
急に身体が痛みだし、呼吸も苦しくなった。慌ててナースコールを押すものの、看護師さんが来る前に意識を手放してしまった。
暫くして目を覚ますと、周りが少し騒がしかった。
、、、もう、助からないのだろうか。
もともと特殊な病気で、進行している自覚が全くと言っていいほどないものなのだ。定期的に検査は受けていたが、全部両親に報告され僕が何度聞いてもはぐらかされてきた。
ふと、親友のくれた花が脳裏によぎる。
最後に見るなら、あれがいい。
きっと美しく咲いているだろう。僕がいなくなっても。
そう思って管が繋がれて不自由な上いつもより重くなった身体にムチを打ってなんとか窓際に目を向ける。
すると、そこには。
———生花が、あった。
「生きる花」と書いて、「生花」。
これだけ見ると、縁起のいいように感じるけど。
でも、生きているという事は。
それは、いつか終わりが来るという事で。
親友の、彼のくれたものとは違うそれに違和感と不安を覚えた。
バタバタといういつもの足音。
でも何処か焦りの感じる足音に不安と安心感を覚えながら、再び眠りについた。なんだか、もう戻ってこれない気がした。
近くに誰かいた気がしたから、最後の気掛かりだけ伝えておいた。
「、、、、棚、花、彼に、、、」
大した声は出なかった。
まあ、きっと伝わらなくても彼がなんとかしてくれるだろう。
あの花たちは、また日を浴びることができるだろうか。
視界の端で、カラフルなものが落ちるのが見えた。
もっと知りたい
あなたを見で追うようになったのは、いつからだろう。
最初はなんとも思っていなかったのに、気づいたらいつもあなたを見ていたの。不自然なほど目が合うから、気づかれちゃってたかな?
些細な会話もドキドキするのは、なぜだろう。
頭が真っ白になって、目を合わせられなくて。どうしてだろう。いつも「話したい」「仲良くなれたら」と思っていたのに。
こんなに胸が苦しいの、何でだろう。
初めての経験で、うまく整理ができないの。考えるだけで、目にうつるだけで、それだけで。胸がいっぱい。
それでも、もっとあなたを知りたいの。
もっと同じ時間を過ごしたいの。
あなたにわたしを見て欲しいの。
もっと、あなたの考えていることを教えて欲しいの。
明るい夜だった。
月の美しい夜だった。
星が霞むほど、眩しい光だった。
満月か、と思った。
そしたら、きみが近くにいて、
これは「待宵月」って教えてくれたんだ。
時々ふらっと現れては星座を教えてくれたね。
お陰ですっかり覚えちゃった。
夜空を見上げたら、いろんな物語が見えるようで。
いつもの道が輝いて見えたよ。
一番好きなのはね、テーブルさん座。
テーブルみたいな山って意味でこの名前らしいけど
「テーブルって人みたいだよね」って
一緒に笑った時のキミの顔が、
何より美しく見えたから。
最近は星とか月とか、そういう持ち物が増えちゃった。
見るとキミのことを思い出して、買っちゃうんだ。
周りの人も「何かあったの?」って
ニヤニヤしながら聞いてくるし。
全部キミのせいだね。
でも、嫌じゃないんだ。
キミに何をされても、嫌いになれない自分がいる。
たまに、ちょびっと、「キミがいなかったら」とか、
考えたりはするけど、結局「それは嫌だ」っていつも思うんだ。
だから、勘違いしないで。
最近、顔を見せてくれないね。
変なことを考えちゃったから?
それとも、飽きちゃった?
最初は鬱陶しく思うこともあったよ。
だって、怖いくらい帰り道で会うんだもん。
でもさ、それが続くと普通になっちゃうから。
ちょっと寂しいのも、変な普通ができるのも、キミが悪いんだからね。
だから、あんまり僕をひとりにしないで。
どんどんキミが消えていく気がするんだ。
静かな帰り道に戻って、キミの言葉に悩まされることもなくなって。
どんな日々を過ごしていたのか忘れてしまいそうだよ。
でも、キミが教えてくれた星座だけは忘れたくなくて。
毎日夜空を見上げて。
ひとつひとつ確かめていくんだ。
少し寒くなってきた日。
いつものように夜空を見上げる。
「今日の月は、、、」
そこまで言って、懐かしい気配を感じて振り返る。
そこにキミはいなかった。
でも、なぜか近くにいる気がして、諦められなかった。
道でひとりでくるくる回って、、、
人が見る目も、気にならなかった。
キミを探すことだけに、必死だった。
そんな時。
刹那、キミの影を瞳が捉えた。
「、、、待宵月、もうすぐだね。」
耳元で囁かれて。
力が抜けて、壁に寄りかかる。
さっき止めてしまった動作を、もう一度。
見上げると、確かに、「幾望」が見えた。
待宵月=十五夜の前日、十四夜。幾望ともいう。
一面に咲き乱れる勿忘草に目を奪われると、隣の君が「こっちを見て」と言わんばかりに袖を引っ張る。
そんな気がした。
昔みたいに、また、一緒に。
毎年毎年変わらず咲き続けるこの花に、何度救われただろうか。思い出が、思い出すことが苦痛なこともある。でも、ここでは泣かない。
約束したんだ、最期に来たここで。
風がそよぐと、君が暖を求めるように擦り寄ってくる。
そんな気がした。
あんなに沢山着込んだのに、まだ寒がる君は。
僕のポケットがあるからと、頑なに手袋を買わずに。
得意げに手を捩じ込んでくるあなたは。
花が揺れるのは、君が笑っているから?
いつも明るくころころと、眩しいほどの笑顔で。
忘れるはずが無い。あんなに近くで。そばで。ずっと。
日が差すのは、君がそばにいるから。