暗がりの中で
普段は怖いと感じる闇も、この日ばかりは、この時ばかりはそうは思わなかった。それは、闇よりも怖い何かがあったからかもしれないし、私に闇に恐怖を覚える暇がなかったからかもしれない。
闇。それは、心が微妙な暗さを持つとき、恐怖の対象になる。
闇の暗さと、心の暗さ。
似ているようで似ていないそれが同じ場所にある。
私はそれに、恐怖を感じる。
反対に、もう、自分がどうなってもいい。全てがどうでもいい。そんなふうに思っているとき、それは安堵できる場所になる。
自分の心の底のどす黒いものが、闇の色に近づけば近づくほど、完全に溶け込むほど、そこは、どれほどあたたかい場所よりもどれほど優しさに満ちた場所よりも素晴らしい場所になる。
そんな私の救いの場所で、今日も私は何も見えない目を閉じることなく、部屋の壁など感じさせぬひたすらに続く闇を見つめる。
耐え難いほどの明るさが迫るその時に備えて。
空が泣く
蕭々と
世界に一つだけ
あなた
ここは、夢だ。
意識がはっきりしてきてすぐのこと。
何故だか俺はそう思った。
感覚は鮮明で、起きている時とさほど変わらない。なんなら全く一緒だ。それなのに何故ここが夢の世界だと分かったのか。
いろいろ自分の中に生まれてきた違和感を説明するために手っ取り早く当てはまるのがそれ、というのもあるが。
何より、この世界には彼がいた。
彼。
そう。数年前、突然逝ってしまった彼。
なぜ今頃になってこうして夢に現れるのか。
いや、なぜ今頃になって俺は彼の夢を見ているのか、と言うべきなのだろうか。
それらはともかく、今の俺には彼に言いたいことがたくさんある。彼は病死だった。俺は彼に病気のことを詳しく聞かされていなかった。言いたくなかったのだろう。彼なりの優しさとかだったのだろう。それでも。俺は聞きたかった。少しでも彼の苦しみを背負えるのなら。少しでいいから、それを分けてほしかった。
他にもたくさん。
いつもありがとうと言ってくれる、持ってきている花について。本当に嬉しかった?無理をしてお礼を言っていなかった?
いつも元気そうに振る舞っていたこと。
本当に?実は辛かったのに、心配をかけまいと気丈に振る舞っていたりしなかった?
いつも俺がいない時、病室では何をしていたの?
こんなにお見舞いに来ても1度も鉢合わせたことのないご両親は?
大切なこと、些細なこと。
たくさんの気になることで頭がいっぱいになっていく。
ふと、何処からか、声が聞こえてきた。それは、聞き覚えのあるものだ。でも、この声が誰の声で、何処から聞こえて、何を伝えようとしているのか理解したら、もう此処にはいられない気がした。
声が聞こえないように、少し先にいる彼だけに集中する。よく見ると、彼は眠っているようだ。俺の夢の中、すなわち眠っている俺の中に更に眠っている彼がいるというのは少し不思議な感じがした。
しかし、これでは彼に質問するどころか話すら出来ない。どうしようかと迷っていると、彼の周りにたくさんの花が咲いていることに気づいた。いや、咲いているというのは違うかもしれない。その花たちは、そこにあった。それも、今まで、彼が亡くなるまでお見舞いに持ってきたものと同じものだった。
彼の記憶にそこまで残るほど自分の贈る花が大きい存在だったのか。彼にとって、そうであって欲しいと自分が思っているだけなのか。
確かな事はわからない。
でも、今、色とりどりの花に囲まれて心なしか優しい表情で眠る彼を見て、そんな事は大きな問題ではないように思えた。きっと、天国でも、こう安らかに眠れていると思いたい。
今度こそ、本物の、美しい花に。
いつの間にか手に一輪の花が握られていた。
ピンク色のそれを、本物の柔らかなそれを。
そっと、彼の胸元に置いた。
また、会える日が来ると信じて。
その日を楽しみに待っているという気持ちを込めて。
病室
「あの花が散ったら、私はいなくなる」
僕はこの言葉が理解できない。
だって、植物はどうせ枯れる。
そんなものに自分の運命を、命を預けてしまえるのか。
少なくとも僕は最後まであきらめずにいたい。
こんな僕のつまらない言葉がいつまでも心に残っているのか、親友は、僕が入院している間生花をお見舞いに持ってくる事はなかった。
僕の病室は窓の外には常緑樹くらいしか生えていないのでせっかくの四季も変わり映えしなくつまらない。
なのでたまに「ずっと同じ景色ばっかりでつまんないよね。たまには季節のお花とか見たくない?」とおねだりしていた。
そうすると、次お見舞いに来る時手にカラフルな造花を持ってきてくれる。それが何度も繰り返されて、病室の小さな戸棚はいつしか可愛いお花でいっぱいになった。決して枯れない、永遠の美しさ。
それが増えていくたび、親友との友情が枯れないつよいものになっていくようで勝手に心の中で喜んでいた。
ある日。
昨日親友にお見舞いに来てもらって、まだ目新しい窓際のお花を眺めていた日。
急に身体が痛みだし、呼吸も苦しくなった。慌ててナースコールを押すものの、看護師さんが来る前に意識を手放してしまった。
暫くして目を覚ますと、周りが少し騒がしかった。
、、、もう、助からないのだろうか。
もともと特殊な病気で、進行している自覚が全くと言っていいほどないものなのだ。定期的に検査は受けていたが、全部両親に報告され僕が何度聞いてもはぐらかされてきた。
ふと、親友のくれた花が脳裏によぎる。
最後に見るなら、あれがいい。
きっと美しく咲いているだろう。僕がいなくなっても。
そう思って管が繋がれて不自由な上いつもより重くなった身体にムチを打ってなんとか窓際に目を向ける。
すると、そこには。
———生花が、あった。
「生きる花」と書いて、「生花」。
これだけ見ると、縁起のいいように感じるけど。
でも、生きているという事は。
それは、いつか終わりが来るという事で。
親友の、彼のくれたものとは違うそれに違和感と不安を覚えた。
バタバタといういつもの足音。
でも何処か焦りの感じる足音に不安と安心感を覚えながら、再び眠りについた。なんだか、もう戻ってこれない気がした。
近くに誰かいた気がしたから、最後の気掛かりだけ伝えておいた。
「、、、、棚、花、彼に、、、」
大した声は出なかった。
まあ、きっと伝わらなくても彼がなんとかしてくれるだろう。
あの花たちは、また日を浴びることができるだろうか。
視界の端で、カラフルなものが落ちるのが見えた。