月森

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4/1/2023, 9:30:38 PM

 こうして手紙を書くのは久しぶりね。最後に書いたのは確か、去年の君の誕生日だったかしら。

 すごく唐突かもしれないけど、驚かないで聞いてね。今だから言うけれど、私ね、ずっと前から君のことが好きだったのよ。君に恋人が出来た時、初めてそれを自覚したの。馬鹿よね。私、何の疑いもなく信じていたのよ?君とは死ぬまで一緒にいられる、なんて。勝手にそんなことを思っていたの。だって、君と私は似た者同士だから。

 でも実際は、君と私は全然違ったし、君は私の隣からいなくなった。当たり前よね。結婚するってそういうことだもの。家庭を持つってことは、友人より優先すべきものが出来たってことだもの。
 あんなに人間不信だった君が、私の知らない誰かと幸せそうに笑っているのを見ると、正直苦しくて堪らないわ。心のどこかでは確かに祝福しているはずなのに、大半は呪いみたいな黒いものが淀んでいて、嫌になる。あの時、君と出会えた奇跡があったから、今私は此処にいられるのに、今はあの時死んでいれば、なんて考えてしまうの。君と出会えたから、誰かを好きになる幸福を知れたけど、そのせいで自分の度し難い醜さにも気付いてしまったから。



 物語を書くことは、私にとってのアイデンティティで、君のために今までたくさんの物語を書いてきたけど、もう終わりにするわ。君がもう、物語を読まなくなったから。読む必要がなくなったから。

 知らないでしょ?私が寝る間も惜しんで書いていたこと。君の喜ぶ顔が見たくって、書き続けていたこと。これからも、ずっと、死ぬまで書き続けたかったこと。

 たったひとりの読者のための物語は、これで終幕よ。

 この手紙を君が読み終える頃には、私はもう君と同じ世界の空気は吸っていないでしょう。言葉も声も届かない場所で、後悔と懺悔にくれていることでしょう。いっそ、願われない流れ星になって、燃え尽きてしまえたら幸せね。

 言われるまでもないと思うけど、伴侶のことは大事にするのよ?君がこちら側に来るのは、満腹になるまで幸福を味わってから。でないとそれこそ、本当に呪うのだから。

じゃあね、






















 そこで慌ててる馬鹿な君、手紙は最後までちゃんと読むものよ?カレンダーはめくったかしら?そう、今日は“エイプリルフール”。嘘吐きの日。

 ふふ、ごめんなさいね。今私、ひどい悲劇のような喜劇を書いているから、こんな嘘しか吐けなくて。
 執筆が落ち着いたら、そのうち君の新居に遊びに行かせてもらうから、その時はまた、君の話を聞かせて頂戴。

3/29/2023, 4:42:39 AM

 あなたにまっすぐ見つめられると、本当のことを話してしまいたくなる。あなたのこれまでの不幸は、みんな私が作ったものなのよって。なのに、あなたときたら「君がいたから、今日まで自分は生きてこられた」なんて言って笑うのだもの。何にも気付かない、本当に馬鹿な人。


嗚呼、だから、私、あなたを好きになってしまったのね。


『人間に恋をした疫病神』







 疫病神とは人に災いをもたらすもの。人に毛嫌いされるもの。けれど、君は知っていたかな?その疫病神に親切を1000回重ねると、福の神に反転することを。まぁ実際、疫病神にすすんで近付こうなんて勇気のある輩(若しくは本物の馬鹿)、なかなかお目にかかれないからね。

おや、でもあのふたり…
ふふ、もしかしたら、僕たちそんな奇跡の目撃者になれるかもしれないよ。

3/28/2023, 8:03:23 AM

 満天の星と月明かりの下、土手に座って話をした。民家の明かりもすっかり消え、ネオンの喧騒は遠い。鳥や虫や風まで今日はやたらと大人しく、まるで世界に文士さんと私のふたりしか存在していないような錯覚を覚える。
 そんな、人の目も耳も気にしなくて良い空間だったからか、適当に話して終わらせようと思っていたはずなのに、自分でも驚くほど言葉が出てきて止まらなかった。

 ああ、そうか。そういえば、しばらく君と話していない。君に恋人が出来てから、ずいぶん声をかけづらくなったのだった。まぁ、君のことを君本人に相談するわけにもいかないし。私には君の他に話が出来る友もないから、必然感情を抱え込むことになった。私はそれを誰かに聞いてほしかったのかもしれない。


 話し続ける私に嫌な顔ひとつせず、文士さんは時折相槌をうちながら聞いてくれた。彼の閃きの手助けに、自分の愚痴がなっているのなら幸いだが。
 私の舌が乾いてきた頃合いで、文士さんが栓を開けた缶ジュースを差し出してきた。ずいぶん気の利く人だ。大きな赤いハートの中に可愛らしいフォントで“My Heart”と書かれている。初めて見る。新商品だろうか。私はお礼を言ってそれに唇を寄せた。
 紅茶のような香りとほんのりとした甘さ。「美味しい」と口に出した次の瞬間には、吐いていた。

「なるほど。これがあなたの中にあったものですか」
 まじまじと文士さんが私の吐き出したものを見つめている。毒を盛られたと思った。それはもう、とびきりおかしな。私は生まれて初めて、口から黒猫を吐いた。

 状況を理解出来ず言葉を失っている私をよそに、文士さんは続けた。
「これが今あなたの中にある1番厄介な感情です」
 毛づくろいをする黒猫を文士さんの手が示す。
「は…?感情?」
 私の理解はまだ追いつかない。
「この飲料はですね、飲んだ人間の中にある1番強い感情を体外に出してくれるんです。大きすぎる感情って、内側にあると苦しいじゃあないですか。加えて、それに実体を持たせることが出来るんです。吐き出すものは人によって違いますけど。黒猫は呪いになる一歩手前なんですよ、危なかったですね。さぁ、では、こちらをどうぞ」
 そう言って文士さんは金槌を私に手渡した。
「…これは?」
「ひとおもいに!」
「何をですか」
「決まってるじゃあないですか。あの黒猫を殴って殺すんですよ」
 文士さんは爽やかな笑顔で言った。
「は?どうして、殺すなんてひどいこと」
「ひどい?いやだな、あれは生き物ではありません。あなたの中にあった今のあなたには不要な感情です。あれを殺すことが出来れば、あなたを苦しめる恋心は綺麗さっぱり消えてなくなります。悩み解決ですね」
「そんなバカな…」
「撲殺は嫌でしたか?他にもありますけど、どれにします?」
 文士さんはサバイバルナイフやら何やらを、まるで異次元なのかと思わせるトランクから次々と出して私の前に広げた。
「いや、そんなこと出来ませんよ」
「どうして?今ある苦しみから解放されたいのでしょう?」
「そうですけど…」
「なら、躊躇わないで」
 文士さんは、私が一度返却した金槌をまた私の手に握らせた。
「ああ、言い忘れていましたが、体外に出した感情を24時間以内に殺せないと、あなたが死ぬことになります。それでもよろしいので?」
「は?」
 そんな大事な説明もなしに、なんてものを飲ませてくれたんだ。知らない人からもらったものを、警戒せずに飲んでしまった私も私だけど。
「では、私は執筆に戻ります。頑張ってくださいね。あれを殺せれば、あなたの心は晴れて自由なのですから」
 私の脳が正しく再起動するのに手こずっている間に、いつの間にか文士さんは姿を消していた。土手には私一人がポツンと取り残され、先程まで心地よかった静寂が急に怖くなる。


 夢だと思った。私はきっと今自室で眠りに落ちているのだと。
 とりあえず落ち着くために深呼吸して、試しに足元にいる黒猫にそっと触れてみる。ふわりとした滑らかな感触と伝わる体温。癒やされる。しかし次の瞬間には、フーッ!と威嚇されて右手の甲を引っかかれていた。夢にしては痛みがリアルだ。夢ではないのかもしれない、なんて予感を私は頭を振って思考から追い出した。
 すると、突然黒猫がどこに向けてか走り出す。私は遠くなっていく黒猫を呆然と眺めた。まぁ、夢なら放置で構わない。醒めるのを待てばいいだけなのだから。夢ならば。夢なら…

 私の爪先は大きく踏み出していた。筋金入りの臆病と生存本能に突き動かされて。河川敷を全力で駆け出した私を、夜空の月が笑っている気がした。

3/27/2023, 9:56:01 AM

 夜空に懸かる満月を見上げると、ふと年の離れた友の顔が思い浮かんだ。そして、年甲斐もなく焦がれてしまう。彼のように、自由で大衆を楽しませる作品が自分にも書けたなら、と。それが如何に水中に火を求む真似だと分かっていても。



 夜道を照らす満月を見上げると、ふと憧れの人の顔が思い浮かんだ。そして、痛いくらいの憧憬が僕に願わせる。先生のような、崇高で不変の美しさを持つ作品を自分も作れたら、なんて。そんなの、ないものねだりだって分かっているけれど。




『月下の羨望』

3/26/2023, 9:54:43 AM

 僕は作家だ。自分で言うのもあれだけど、それなりに売れっ子の。色々あってこの職業についたのだが、その辺は今日のところは割愛させてもらう。

「先生って、あの時代遅れな作家のこと、めっちゃ嫌いですよね」
「…何でそう思うの?」
「え〜?だっていつもネットでも雑誌対談でもガチ喧嘩してるじゃないですか」
「へぇ、君にはそう見えるんだ。なら、僕は君に転職をお勧めするよ」
「え、どうしてですか?」
「自分の頭で考えてごらん」

 ああ、嘆かわしい。先生を時代遅れな作家だなんて、僕に喧嘩を売っているとしか思えない。しかも、僕が先生のことを嫌っているだって?どうやら君の目は節穴どころじゃない。腐り落ちているようだ。僕のこの、愛情たっぷりの批評を理解出来ないなんて!好きじゃないのに、こんなでかい本棚をひとりの作家の作品で埋め尽くすわけがないだろう!たくさん付箋が貼られて擦り切れた本たちを見ても何も思わないような輩に、編集者が務まるとは到底思えないな!なんて感情を笑顔の裏に丁寧に貼り付けていると、まったく察さない編集が言った。

「近頃、強盗が増えてるみたいですから、先生も気を付けてくださいね。ほら、先生もやしだから」
 そう言って無造作に僕の腕を掴んだ。
「馬鹿にするなよ、これくらい振り払える…!」
 しかし何度編集の腕を振りほどこうとしても、それは腹立たしいことに叶わなかった。
「心配だなぁ?俺が一緒に住みましょうか?」
「いらない」
「冗談です」

 編集との打ち合わせが済んだ水曜の午後は、僕の至福の時間だ。憧れの、僕にとって神様みたいな存在の先生とネットで討論するのだ。しかし僕は、好きだからと言って媚びたり手加減はしない。先生もきっとそれを望んでいると思う。まぁ、傍から見れば喧嘩にしか見えないやりとりではある。でも、僕にとってはこの上なく有意義なものなのだ。
 それにしても、今日の最後の一言は痺れた。「雷に撃たれて死にますよ」なんて。先生は、僕を喜ばせる天才じゃあないか?これは先生のデビュー作の主人公の死に様だ。僕はあれが1番気に入っている。

 恍惚の時間はあっという間に過ぎ、僕は明日のために就寝する。戸締まりをして電気を消して、さぁ、寝るぞ!となった時、パリン!と何かが割れる音がした。僕の身体が強ばる。近所の野良猫が庭の鉢植えを落として割ってくれたというなら、僕は喜んで許そう。しかし、現実はそうではない。
 恐る恐る寝室を出てリビングに向かうと、そこには誰もいなかった。どうやらその隣の倉庫に何者かがいるらしい。控えめな物音がする。ああ、どうしよう。こわい。とりあえず、警察とついでに編集にも電話をしたら、じっとしていろと言われたのだが、あそこには僕の家宝があるんだ。他の何を失っても、それだけは守らなければならない。

 物陰に隠れていると、倉庫から黒ずくめの男がひとり出てきた。手には金品がはみ出たバッグを持っている。強盗だ。その中には命より大切な万年筆が含まれていた。

「やめろ!それだけは!!」

 自分でも驚くほど大きな声が、反射的に出ていた。強盗はひどく驚き、慌てて玄関を飛び出していく。僕はそれを追いかけた。強盗への恐怖が消えたわけじゃない。あの万年筆を失うことの方が、僕にとっては怖いだけだ。

 外は今にも雨が降り出しそうな曇天で、雷も鳴っていた。僕は裸足なのも忘れてコンクリートを駆ける。火事場の馬鹿力のようなものだろうか。普段の鈍足が嘘のような俊足で、僕は強盗に追いつき、そのまま服を掴み転倒させた。弾みで地面へ転げ落ちた万年筆を慌てて拾う。強盗はすぐに立ち上がって逃げ出した。諦めたらしい。
 僕は勝ったんだ。勝ちましたよ、先生!この万年筆は、テレビ番組の私物交換企画で先生からいただいた大切なものなのだ。アドレナリンが出まくっているためか、軋む身体も気にせずに、思わず万年筆を空に掲げたその瞬間、目の前が真っ白になった。

 雷に撃たれたのだと理解したのは少し遅れてだった。身体の感覚がない。目も開けられない。周りがどうなっているのかも分からない。ただひとつだけはっきりと分かるのは、僕という生命が今終焉を迎えようとしていること。途切れそうになる意識の中で、後悔の洪水が押し寄せる。先生の万年筆を焦がしてしまった。先生の作品をもっと読みたかった。先生ともっとお話したかった。ちょうど100通目になる先生へのファンレターがまだ書きかけだとか、いくらでも溢れてくる。
 しかし、そんな不幸の中でも一つの幸福はあった。先生の作品の登場人物のように死ねることだ。まるで自分が先生の作品の一部になれたような錯覚が、本能的な死への恐怖を和らげ、僕を銀幕の特等席へと誘った。先生と僕のダブル主演の走馬灯が上映される中で、僕はゆったりと椅子に身を沈め、重たくなった精神の瞼を穏やかに閉じた。







もしも、天国という場所が本当にあって、そこでもペンが握れるのなら、僕は作家を続けます。いつかまた、こちらで先生とお会いできたその日には、また討論いたしましょうね。

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