『刹那』
カメラでたまたま撮れたお気に入りの画角。
1コマずつ目に焼き付けていく最高の瞬間。
短時間だったはずなのにはっきり蘇る後悔。
一瞬の煌めきとも言われるように、
短い時間に心を奪われることがある。
何気なく生きている時には気に留めることもない
1秒1秒が、惜しく思える瞬間がある。
2度と訪れることのない刹那の時。
今この時だって、その瞬間は更新されてゆく。
「刹那」って言葉、そうそう使わないですよね。
意味合いとしては「一瞬」とか「ほんの短い時間」だとかそういうもののようで。
上の文章がそうであるように、幾らでも言い換えがきく言葉だと思うんです。
それでも、わざわざ「刹那」という言葉を選択する。
そういう意図って、何なのでしょうね。
何故だか私には、この言葉は寂しく儚いように感じでならないのです。
たった漢字二文字に想いを馳せるひとときも悪くないと思うのです。
『生きる意味』
私の生きる意味って何なのだろうか。
そもそも、どうして生きているのだろうか。
きっと、いろんな奇跡が重なって何事もなく無事に
生き残ってきた結果が今なんだろうけど。
他人に優しく鈍感に、のんびりと生きてきたけれど。
能天気に、考えなしに生きてちゃダメらしい。
物心ついた頃には、「良い子」にしなくちゃいけないと思っていた。
喚いて怒鳴って癇癪を起こしては周囲を困らせる妹のようにはなってはならないと思った。
長女なんだからこれをしなさい、も守らなくちゃいけないのだと思った。
気づいたら受け身の自分が完成していて、
ずっと反抗期みたいな態度の妹の方が自立していて、
「いつまでたってもガキみたいに」って言われて。
なんだろうね。
世話のかからない子どもであろうとしていたら、
手間のかかる大人になってしまった。
いや、大人名乗れるほど完成してもいないけれど。
生きる意味って、何ですか?
どれだけ考えても、動けないまま時だけ進んで答えが出ないんですよね。
まあ、でも。
答えがないこともわかってるんです。
でも、「生きる意味」って要するに
「自分がどう生きたいか」ってことだと思うんです。
もっと簡潔に言えば「将来の夢」ってとこでしょう。
私にはそれがない。
気づいたら受け身の状態から抜け出せなくて、
自分の感情も意見も自分で否定してしまうことばかり上手くなった。
ちなみにこれは自分じゃ制御ほとんどできなくて、良いなと思った次の瞬間には自分の中でアンチみたいなのが湧いてきてあっという間に否定意見が上回る状態。
自分の本音がどこにあるのか、見つけることすら下手くそになってしまった。
相手の様子を見て出方を伺うことしかできなくて、
好きなものを聞かれた時でも、相手にとっての正解の
答えを自分の中に探している。
そんなことしてる奴が自分が追い求める夢なんてものが見つかるわけがないのだ。
何を選んだところでそこには誰かしらの影響が潜んでいるし、
そもそも助言なしには動きが鈍ってしまうし、
見つけたとしても周りの反応が怖くて立ち所に自分で自分を滅してしまう。
気づいた時点で既に詰んでいるのだ。
もうどうしようもない役立たず。
これだけの自己否定と思考の悪循環に嵌ると、無気力になって動けなくなるのを回避するために「何も考えない」をするしかなくなるのだ。
つまりは繰り返しである。
とはいえ今は、
仮ではあるが生きる意味とやらを設定できている。
あの人だけは、私の中にアンチが湧いて来ようが、
何がいいのかさっぱりわからないと他人に言われようが、揺るぎなく好きでいられた。
これからもこんな自分で生きていくしかないのだからどうせなら彩は多く、楽しい方がいい。
どうせ足手纏いなんだから何を生き甲斐にしたってかわらねぇんだから。
私が唯一最高と断言できる、
くっだらない配信のために。
無駄に過ごすあの時間のために生きてやる。
『流星に願いを』
「あ、流星」
「えっ?!どこどこ?」
1人呟いた私は、そっと願いを唱えた。
その願いをかき消すほどの声をあげ、きょろきょろ夜空を探し回る君は、しゃがみ込んで残念そうな声を上げた。
「って、もう見つからないよなぁ」
「残念だったね」
「ずるい!どこ見てるのか教えてくれなかったから!!」
「えー?予知じゃないんだから、別々のところ見てた方が確率高いじゃん」
「やだ!見たかった!」
「大丈夫大丈夫。また流星来るって」
「………。…願い事、出来た?」
「……。うん」
「なんて願い事?」
「教えない!」
「えー!?」
流星に願ったことは、
誰かに教えたら効力が消えちゃうんだって。
だから、これは教えない。
大切な、
気の置けない友人の君にだって教えてあげない。
この願いが叶うなら、他には何も望まないから。
お願い、叶えてくれるといいな。
『何もいらない』
本当に何もいらないの。
命は大事にするべきと思うし、
お金は大切だと思っているし、
時間の制限に困らされても来たけれど。
それでも、何もいらないの。
欲しいものなんて何もない。
長く生きることに重要性を求めていないし、
お金に必要以上の価値を感じていないし、
ギリギリの時間だからこそ出せる全力もある。
生活にも不自由はないし、
これといって求めるものもない。
ね。何もいらないの。
……それでも、もし。
どうしても私の願いを叶えたいっていうのなら。
それなら、ちょっとだけ聞いていて。
私の話の聞き手になってちょうだいな。
私が誰にも話せなかった秘密のお話。
『怖がり』
怖くて、すぐに逃げてしまいたい。
こんな臆病な自分が大嫌いだ。
自分が自分のことを一番許せない。
挑戦、経験、結束。
怖がらずに関われていたならば、
得られたものはきっといくらでもあった。
それでも私は動けなかった。
見ているだけで十分だからって言って、
曖昧ながらも笑い返してみちゃったりしてさ。
相手の顔色を伺っては言葉を選んで自分を消して、
相手の望んだ通りに従っておく。
そうすれば無駄に怒られることはないと知ったから。
一番精神的に辛い時なんかは、
友人相手ですら目を合わせるのが怖いけど。
怖がりは、私の処世術だった。
……
場面、状況、人、食事。
初めてのものは誰だって緊張する。
相対するそれが人ならば、自分と同じく経験を積んで今がある血の通った人間だと言える。
知識と経験は尊く、ネガティブの経験だって可能だ。
否、ネガティブからだって経験は得られるのだから、一概に悪とも言い切れまい。
これらは強かで怠惰な私の憧れから学んだことだ。
恐怖や警戒心といった感覚だって、元は生存率を上げるための本能的な仕組みなんでしょう。
現代においては不利に働くことはあれど、本来これは弱さではなかったはずなのだ。
今はまだ借りた言葉で武装して飛び込む日々だけど、
適切に勤勉に経験を積めば良い。
怖がりを打破する方法は、きっと見つかる。