『過ぎ去った日々』
過ぎ去った日々。
そのどれもがキラキラ輝く宝物だ、なんて。
そんな風に言える人生だったならば、きっと。
こんな惨めな思いをして苦しむこともなかった。
過去の後悔に思考を引きずられることもなかった。
自分の将来に絶望するなんてこともないんだろうな。
順風満帆で、しあわせな日常を謳歌できたなら。
こんなif物語はいくらだって紡げるのに、
失敗した過去を修正することは叶わない。
時折思い出しては顔を歪めてしまう、あれやこれも、
消し去ることはできない。
それは誰もが同じこと。
それでも、こんなどうしようもない日々を肯定できることがあるとするならば。
それはきっと、君に会えたこと。
君の価値観を良いと思える感性を持つことができたのが、なにより嬉しいんだ。
君に出会って、過去の弱さを自分の強みに変えることができた。
日常が色鮮やかになって、今が一番最高だって言えるようになった。
過ぎ去った日々は変えられない。
それでも、その先に君がいるのなら。
こんな人生でも価値があると思うんだ。
『ひなまつり』
幼少の私にとって、このお祭りは日常における季節を感じるイベント程度のものだった。
お雛様の飾り付けするよ、の母の言葉で思い出し、
一対のお人形と飾り付けを済ませる。
気づけば祖母がお人形たちの横に桃の花を添えていたりして。
そして、お昼か夕飯にはちらし寿司が振る舞われ、
それを食べる。
時がくれば、おひなさまたちは梱包され、再び段ボールの中に収まる。
段ボールは滅多に開かない押し入れへ。
なんてことのない一連の出来事だ。
町がそれで賑やかになるわけでもなく、
大きな花火が上がることもない。
一家の中で起こる季節のイベント。
お祭りというにはあまりにも静かすぎる。
それでも毎年恒例イベントとして定着しているのが
不思議なものだった。
我が家の決して広くはないスペースが毎年この時期
おひなさまに占領されるわけだし。
幼い私は人型のお人形たちが、いつかこちらをその目で捉えてくるのだと怯えたりして。
そもそも、こんな盛大な結婚式なんて今時誰もしていないのではないかと思うのだけれど。
まあ、いっか。
そういえば、ひなあられを食べ忘れていたんだっけ。
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たぶん、こういう伝統行事は歴史を後世に伝えていく一手段になり得るんだろうなと考えたり。
『枯葉』
おちた葉っぱは2度と元の場所へは戻れない。
高い高い所から、冷たくなった地面に落っこちる。
冬支度をする木を見上げて何を思うのだろう。
常緑樹に生まれなかったことを悔やんだりするのだろうか。
朽ちて自然に還るその時まで。
『10年後の私から届いた手紙』
10年前のわたしへ
そんなに思い詰めなくていいよ。
何か問題にぶち当たってたとしても、
すごく悲しくて落ち込むことがあったとしても、
大丈夫だよ。何とかなるから。
あなたの10年後の、わたしが言うんだから。
もう絶対間違いないね。
絶対大丈夫。
あなたは今、あなたの全力を尽くしている。
わたしとあなたは、生きてる時が違うだけで同じわたしであるのだから、尺度もわたし。
つまり、幸せの解釈も同じ。
苦しみの感覚も同じ。努力の加減も同じ。
これってつまりは最大限の保証ってこと。
あなたがうまくできなかった部分は、
未来のわたしが受け継ぐから。
だから余計な心配はしないで。
あなたはあなたらしく生きていいんだよ。
最後に、未来のわたしから一言。
今が最高に、一番幸せです!
あなたの10年後のわたしより
『伝えたい』
あなたの言葉に救われました。
きっと何気ない一言だったのでしょう。
あなたはもう忘れているでしょう。
助けてやろうなんて考えもせずに、何となく気がかりだったから放った言葉だったのでしょう。
真っ直ぐ進むあなたへは、
弱いわたしの言葉は届く前に消えるでしょう。
もしも、伝えるだけの勇気を手に入れたならば。
ずっと閉じ込めた感謝を5文字にまとめて、
あなたに向かって全力でぶつけてみるから。
その時は。
何だこれって言って笑ってね。