「暖冬」
「保ってあと1ヶ月、といったところでしょうか。」
「1..かげつ...。そんなに、悪いんですか。」
「残念ながら。」
今年の夏は暑かった。もう10月も中旬だというのに、日差しのもとを歩けば、汗が噴き出す。病院の白い壁に照り返す朝日に目が眩む。
「おはよう、れい。今日も朝早く来てくれてありがとう。すごく汗かいてるけど、今日はそんなに暑いの?」
病室へ入ると、早起きのうるはが出迎えてくれた。
「おはよう。すごく暑くて、駅前から歩いただけなのに汗かいちゃったよ。お昼には25℃まで上がるって。」
「へー、もう10月なのにね。私はずっと部屋の中にいるからわからなかったよ。」
彼女はそう言って少し笑った。
「体調はどうだ?」
「特に変わりないよ。いい感じ。もう少し良くなったら、れいと一緒にどこかお出かけしたいな。クリスマスのイルミネーションとか!」
クリスマス。10月17日の今日から数えて約2ヶ月。
昨日、主治医の先生にうるはの余命を宣告された。朝目が覚めても、その嘘みたいな事実は変わらない。
先生に、余命を彼女には伝えないように頼んだから、うるはは自分の余命を知らない。余命を彼女に伝えるかどうか、僕はすごく悩んだけれど、結局伝えない方を選んだ。残りの1ヶ月を、思い詰めることなく過ごしてほしいという、僕の、そして彼女の両親の願いからだった。
もし彼女が、僕たちが余命を伝えないという選択をとったことを知ったなら、うるはは怒るだろうか。きっとこの選択は、僕たちのエゴだろう。それでも彼女に余命を伝えることはできなかった。それほどまでに怖かったのだ。
「ねえ、れい、冬になったら雪降るかな。クリスマスの頃には、空がもっと澄んで、綺麗な星空が見られるかも!」
彼女と過ごした時間はあまりにも短かった。絶望の底から僕を救ってくれたのは彼女だ。それなのに僕は、うるはへの気持ちを十分に伝えきれていない。愛情も、感謝も、なにもかも。
彼女へ、10分だけでいいから、全人類から寿命を分けてもらえないだろうか。あるいは、僕の残りの寿命を半分にして、彼女に渡せたなら。一緒に来世へ飛び込めるかもしれない。
「れい、見て!今日はすごく満月が綺麗だよ!」
うるはがはしゃいだ声で言う。
うるはがかぐや姫なら、あの月へ帰っていくのだろうか。
人は50年前に、かぐや姫の下へたどり着いたというのに。
僕にとっては20cm先の君の方が遠い。
「うるうびと」 RADWIMPSより
にゃーっ
にゃーん!
みゃおみゃお!
みゃーーー!!
ムシャムシャ...
にゃー(grrrrrrr)
「in the wind」
「どう、シルバ。見える?」
「んー、まだ見えないな。いつもならもう海が見えてもおかしくないんだけど、今年は暑かったからな。出発が遅くなっちまった。」
「ほんと、私たちのウバが"太陽の祝福"を受けるまで、どれだけ待ったかしら。まあこれでも早い方だったけど。」
「文句はそこまでにしとけ、アンズ。それよりもウバの操縦は順調か?」
「当たり前でしょ。今年は急に寒くなったから風も強くて扇が安定して張ってるわ。」
「そうか、頼りになるな。また海が見えたら報告するよ。きっと海が見えるくらいまで進めば、風の動きも難しくなるだろうしな。」
「頼むわよ、シルバ。」
「任せとけ!」
今年はイチョウもイロハモミジも、紅葉するのが遅かったな。すでに11月も中旬というのに、イチョウの半分は青いままだし、イロハモミジも赤い部分の方が少なく見える。
けれど、いつものごとく山道を進めば、足元は枯れ葉で埋まっているし、凍える北風も吹いている。桜の散る姿には劣るけれど、紅葉した葉が落ちる姿は美しい。
ザーッ
また強い北風が吹いた。頭上でたくさんのイチョウが散る。空を舞う扇の中に、一際早く飛ぶ一枚が見える。
あの葉、随分と綺麗に風に乗っているな。まるで紙飛行機のように山を下って進んでいる。
「......!」「...!」
ん?誰かの話し声が聞こえた気がしたけれど、木枯らしに揺れる葉音か、あるいはリスでも泣いているか。こんな早朝に人間がいるわけない。
はあ、やっとついた。銀杏の実特有の臭いが、季節を感じさせる山頂で静かに佇むのは、太陽の神をまつる銀杏神社だ。毎朝、畑仕事の前にここへ参拝しにくるのが私の日課だ。
「今日も良い1日になりますように。」
「...ん?シルバ、どうかした?」
「いや、神社へ向かう人間がこちらを見ていた気がしたんだけど、気のせいか。」
「気のせいよ。こちらを見ていたとしても、羽葉の扇に隠れているから、私たちの姿は見えないわ。」
「それもそうだな。そんなことより、アンズ、海が見えてきたぞ!我らの主が現れ、そして沈む場所。おれたちの帰る場所だ。」
「さらに風が強くなるわよ!捕まって、シルバ!」
左手に朝焼けを臨む黄金色の翼は、輝く藍色の海へ向かって、空高く駆けていく。
「レッドラインを進め!」
「みんなー!それぞれ自分の分、しっかり持ったー?」
「「「おーっ!」」」
「おっけー!さあ、本日の第1陣、行くよー!それっ!」
ドクンッ!
「「「うおおぉぉ!!」」」
どでかいポンプに押し出された彼らは、顔を真っ赤にして長い長いトンネルを進む。
「さあ、みんな、今回もたくさんの荷物を運ぶぞー!」
隊長が声をあげて、みんなを鼓舞する。
彼らの働くスピードはびっくりするくらい早い。30秒も経たないうちに、彼らは荷物を全て運び終わる。それと引き換えに、彼らの顔色は悪そうだ。出発前の綺麗な赤色から、くすんだ赤茶色になっている。
「みんなー!荷物は運び終わったなー?そろそろ基地に着くぞ!そこで少し休憩したら、また荷物を持ってポンプに集合だ!」
隊長が声をかけるや否や、彼らは基地についた。
「おっ、もう帰ってきたか!お疲れ様だよ、みんな。」
「ありがとうございます、右心房さん!」
右心房、右心室を通って休憩した彼らは、肺へ向かって荷物である酸素を取りに行く。肺から心臓へ戻ると、彼らの顔はすっかり健康的な赤色だ。
「よーし、第1陣帰ってきたな!もうひと仕事頼むぞ!シーユーアゲイン!」
左心室はそういって、強力な筋肉を収縮させて彼ら赤血球が乗る血液をポンプのように押し出した。
彼ら赤血球運送は、今日も酸素を乗せて、10万キロメートルの血管を進んでいく。
「in my dream」
ねえ、今日のご飯何がいい?あ、見て!あそこのお店に売ってるお魚、すごく美味しそうじゃない?
どう?魚の煮付け、美味しい?
はあ〜、今日は疲れちゃったね。目を閉じたらすぐに眠っちゃいそう。おやすみ、また明日ね!
......おはよう!どう?びっくりした??
そうして彼の肩に手をのせて、後ろから彼の顔を覗き込む。
なんてことができるはずがない。私の問いかけに返事はない。彼の肩に当てた手は空を切る。
わかっている。私が見ている彼は幻想だ。彼はもういない。私の、彼に向けた言葉、行動、感情全てが意味をなさない、救いのない、虚構。
私の瞳に映る世界のあり方が
私の生きる意味ならば
虚構は
幻は
こんなにも美しい