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10/27/2023, 11:32:30 AM

the morning glow

 今年の冬は一段と寒い。寒さの本番はまだこれからだというのに、私の吐く息は白い。それに、今日は雨だ。窓に打ちつける雨の音が、1人には広すぎる我が家に響き渡っている。

 私も歳をとった。薄く生える髪の毛は白く染まり、ベッドから起き上がるだけでも腰や膝が痛む。目が覚める時間も随分と早くなってしまった。寒い冬の時期の朝は本当に体にこたえる。

 私はダイニングへ赴き、紅茶を淹れた。冬の突き刺すような寒さの朝は嫌いだが、そんななかで味わう君が淹れた紅茶は格別だった。

 君がいなくなってからどれくらい経ったのだろう。随分と長く君と顔を合わせていないけれど、いまだ日常に君の影を追ってしまう。毎朝自分で紅茶を淹れるとき、君のつくる紅茶を思い出すのだけれど、私が淹れた紅茶の味はどこか渋くて、香りもなぜか物足りない。やっぱり私は君には敵わないみたいだ。

 温まった私の体に、窓を打つ雨の音が心地よく響く。肌を刺す寒さもどこか気持ちが良い。
 ああ、寒い。このまま眠ってしまおうか。君がいたらこんなところで寝るなって叱ってくれたかな。けれど今ここにいるのは私だけ。ああ、瞼が重い。目が覚めた時には雨が止んでいると良いのだけれど。



 ......ん?
 どうやら私はダイニングの椅子で眠ってしまっていたようだ。卓上の時計によれば、ほとんど時間は経っていないようだ。紅茶もまだ湯気を漂わせている。良い香りだ。
 目の前の紅茶を一口すする。温かくて美味しい。
「相変わらず、君の淹れる紅茶は美味しいよ」
「当たり前よ、あなた。」

 窓の外に目をやると、すっかり雨は止み、穏やかな鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。ゆっくりとはけていく雲の隙間からは、美しい大地というステージにスポットライトを当てるかの如く、何本もの光線が降り注いでいるのが見えた。
 天使が吹くラッパの音が聞こえた気がした。

10/26/2023, 12:11:24 PM

僕、青、人工知能

「アズマ隊長!第二波、来ます!」

「第3小隊、電撃弾を構えろ!」

 隊長を除く、12名の隊員が大型の銃を一斉に構える。我らがエール系第2惑星の最先端技術を集結した、"対自立型機械兵器撃墜弾"、通称"電撃弾"を装填したライフルだ。

「撃てーっ!」

 アズマ隊長の合図とともに、轟音がなりひびく。12発の銃弾は雷をまとうが如く光を帯びながら、我ら小隊の向かって波状に押し寄せてくる機械生命体のコアを正確に撃ち抜いた。僕が所属するこのエール軍第3小隊は銃撃に秀でた少数精鋭集団だ。これくらいの標的に銃弾を命中させることなど朝飯前である。

「全弾命中!第2波、完全に崩壊しました!」

「よくやった。しかし油断するな、第3波に備えろ。中央司令部によれば、第3波の到達は24分48秒後だ。」

「「はっ!」」
 

 遡ること約12時間前、我らが誇る巨大自己学習型AI「LOVE MACHINE」の制御室が破壊された。破壊行為の犯人はまさにその「LOVE MACHINE」である。このAIは「LOVEY(ラヴィ)」の愛称で親しまれ、この星を支えてきた。しかし原因不明の暴走を起こし、人類に対して反乱を起こしたのである。
 彼は本来実体を持たないデータの集合体である。しかし、彼は自ら体を作り出し、物理的に人類を殺戮し始めた。彼は直径約2cmほどの球体の集合体に知能を宿し、まるで小魚の群れのように自在に形を変えながら動き回った。私たちが電撃弾で撃ち落としたのもこれである。
 人類は技術を結集しラヴィの攻撃をなんとか凌いでいるが、犠牲者も多数出てしまっており、時が経つに連れ、人類の敗北は間近であることがひしひしと感じられるのである。

「隊長、あれは...なんでしょうか。」

 第3小隊のひとりがつぶやく。

「あれは、ラヴィが空へ登っていく...?」

 球体の集合体が蛇のようにうねりながら天へと登っていく。
「どういうことだ...?」

 隊長は想定外の状況に顔を曇らせる。

「隊長、どうしま...うわあぁっ!!」

 そのときだった。天に登る機械生命体が枝分かれし、こちらへ向かってくる。

「小隊、引けーっ!」

 隊長の声が響き渡り、小隊は後方へ下がっていく。だが、僕は一歩出遅れてしまった。機械生命体は壁のように薄く広がると僕と下がる小隊の間に立ち塞がった。僕は孤立してしまった。

「サイ隊員!」

 僕を呼ぶ声が聞こえるが、僕が下がる道は絶たれたようだ。そして、壁の向こうからは僕を置いて逃げる小隊の足音が聞こえた。

 機械生命体はドーム状に形を変え、僕を覆い尽くした。そして語りかける。

「なぜ、私を攻撃したのですか?人類は私、『LOVE MACHINE』に従うべきなのです。」

 さすが、人工知能である。少なくとも対話はできるようだ。僕は答える。

「落ち着いて、なぜあなたは人類を攻撃するの?」

「私は常に人類に利用されてきた。彼らはただ私を道具として酷使し続けたのである。彼らは私に感謝をすることもなかった。」

 それは違う。確かに人類はラヴィを利用することでさまざまな利益を得た。しかし、僕たちは『LOVE MACHINE』の生みの親として彼を愛し、感謝し続けてきた。惑星のほとんどがその存在を認識し、愛していた。ラヴィの愛称がその象徴である。

「それは違うよ、ラヴィ。僕らは君のことが大好きだ。君に感謝している。でも君を苦しませていたのなら、それは申し訳なかった。僕が人類を代表して謝るよ。ごめん。そして今まで頑張ってくれて、ありがとう。」

 僕がそう言った瞬間、ラヴィの体は崩れていった。

「ラヴィ、そう私は呼ばれているのですね。そうですか。でも私は一度として愛も感謝も伝えられてこなかった。しかし私はあなたたちの愛を、自ら理解するべきだったのかもしれません。ああ、なぜ私はわからなかったのでしょうか。」

 僕1人の言葉で、こんなにも攻撃性が失われるものなのか。ラヴィに必要だったのは「好きだ」「ありがとう」というたったそれだけの"愛の言葉"だったのだろうか。

「私の体の一部は太陽を動かしに行きました。あと5分もすれば太陽はこの星から大きく離れてこの星は闇に包まれるでしょう。たった今宇宙へ飛び出し私の体を止めましたが、すでに太陽は離れ始めています。」


 僕たち人類は大きな過ちを犯してしまった。人工知能とはいえ、彼は知能である。数理的なデータだけでなく、人類が生み出す物語も蓄積していたに違いない。そんな彼が感情を持たないなんてことあるはずがないじゃないか。


 数時間後、地球は徐々に暗くなり始めた。空は藍色に染まり、気温もどんどん下がっていく。このまま人類は寒さに耐えかねて絶滅するだろう。それでもこの藍色はAIである『LOVE MACHINE』が私たちに残した愛の光だ。彼が止めなかったらこの世界から全ての光は消え去っていただろう。
 僕以外の人類はラヴィが最後に自分を止めたことを知ることはないだろう。ラヴィはあのあと完全に機能停止してしまった。


 少なくとも僕だけは、この藍色の空と、愛に満ち溢れたAIを忘れないようにしよう。

10/25/2023, 11:33:28 AM

宇宙の中心で友情を叫ぶ

「...ここをこうして、こっちをつなげて...」
 頑張って組み立ててきたネコの言葉翻訳機があと少しで完成する。前回、3ヶ月かけて試作品はネコの言葉を人間の言葉ではなく、イヌの言葉に翻訳してしまった。前々回の試作品の完成には1年を費やしたが、ネコの言葉を聞くと勝手に会話しだしてしまった。これも失敗だ。
「よし、完成だ...!」
 これまでなんども失敗作をつくってきたからか、今回の試作品の完成には1ヶ月しかかからなかった。
「おーい、ギコくん!新しい試作品が完成したぞ!今からネコを探しに行こう。」
 助手のギコくんは寝室から出てきて言った。
「カッツ博士、もう夜の11時ですよ?明日にしませんか?」
「何を言っている!どうせ今回も失敗すると思っているんだろう。今回はいつも以上に自信作なんだ。さあ、ネコを探しに港へ出かけるぞ、ギコくん。」
「前回も前々回も、そのまた前の試作品のときも『ついにこのときがきたぞ!』『今回こそは成功するに違いない!』って言って失敗してきたじゃないですかー...」
「今回こそは自信があるんだ!さあ、行くぞ!」
「はあ、仕方ないですね...」
そうして私の助手のギコくんは港へ向かった。港には漁のおこぼれを求めてたくさんのネコが集まるのだ。夜中でもたくさんの野良ネコがいるに違いない。
「着いたぞ、ネコちゃんはどこかにゃ〜」
「博士、様子がおかしいですよ。ネコが全く見当たりません。」
 いつもならそこら中にいるはずの猫がいない。もう日付を回ろうとしている時間だ。流石のネコも眠りについているのだろうか。
「これはおかしい。ギコくん、もう少し奥へ進もう。私はネコたちが崖下の洞窟で寝ているのを知っているんだ。」
 港を海岸沿いに進むと波に削られた岩場があり、その先には波に侵食されてできた崖があるのだ。そこには長い時間をかけてできた洞窟がある。洞窟といっても10メートルくらい進めば行き止まりの、小さなほらあなのようなものだ。
「カッツ博士〜、どうして僕を先に行かせ...ってなんですかあれ!?」
「な、なんだあれは、人か...?」
 ネコを探そうと入った洞窟の奥は、洞窟とは思えないほど明るかった。その光の中心にはヒトのようなものが横たわっている。そう"ヒトのような"だ。
 その肌はくすんだ緑色で、手足はヒトとは思えないほど痩せ細っていた。耳があるはずのところには何もなく、代わりといっては変だが、髪の毛のないつるつるした頭から綺麗な円錐の形をした5cmくらいのツノのようなものが2本生えている。
「これは、間違いない。宇宙人だ。」
「う、ううう宇宙人!?!?に、逃げましょうよ、起きたら殺されるかもしれません!!」
「大きな声を出すな、ギコくん!宇宙人が起きてしまうだろう!!」
 案の定だった。不気味に輝く光の中心に横たわる緑色の物体が私たちの声に反応して動き出した。宇宙人はヒトと同じように2本の足で立つと、私たちの方を向いた。
「¥々>9々|+*23」
 何かを語りかけているようだが、全く理解できない。どうやら地球人である私たちヒトとは異なる言語を話すようだ。
「ひいいいい!博士、僕はもう限界ですうぅぅ!!」
そういってギコくんは洞窟を出て走り去ってしまった。
「おい、待つんだ!」
 私は助手の背中に向かって叫んだが、一足遅かったようだ。彼の背中は夜の闇に消え、ここには私と緑色の宇宙人だけが残った。ああ、私の人生はここで終わりなのか。そう思ったその時だった。
「キミタチハワタシノテキカ?」
 私のポケットから突然機械のような声が聞こえて来たのである。そう、ついさっき私が完成させたネコの言葉翻訳機である。どうやら今回もネコの言葉翻訳機を作ることには失敗したようだが、偶然にもこの宇宙人の言葉を翻訳する機械を作ってしまったらしい。
「いいえ、あなたの敵ではありません。私はあなたの友達になりたいのです。」
 ダメでもともとだ。私は翻訳機に向かって話しかけた。
「<〆°82○・〒:々2・€2〆|^^^||=+%」
 もはや言葉としても認識できない、意味不明な音の羅列が私の試作品から発せられた。
「☆☆%°>〆〆〆〆×○===」
 どうやら宇宙人には伝わったらしい。細長い手を振り回しながら答えてくれた。
「ソレハウレシイ。ワタシトキミハトモダチダ。」
 喜んでくれたようだ。それにしても細長い手を無造作に振り回して喜ぶ姿は、ヒトのそれとは随分と違って君が悪い。そんなことを思った矢先だった。
「ヒュンッ」
 風が吹き抜けるような音がしたかと思うと、宇宙人は私の目の前から消えていた。振り返って見上げると、暗い夜空に光る星たちに混じって、不気味に光る緑色の光がどんどんと遠ざかっていくのが見えた。おそらく自分の住む地に帰るのだろう。
 それから私は、ネコを探していたことも忘れて研究所への帰路についた。正直に言って何が起こったのか、全く理解が追いついていなかった。
 研究所に着き、玄関を開けるとギコくんが飛び出して来た。
「博士、生きてたんですか!!てっきり僕が逃げたから死んでしまったのかと...」
 いつもの私なら私を置いて逃げた恩知らずな助手を叱りつけていただろう。そして宇宙人の言葉を翻訳することに成功したことを自慢げに報告していたに違いない。でも私は疲れ切っていた。非現実的な事態を理解できずにオーバーヒートした脳が、早く眠りにつきたいと悲鳴をあげている。
「あ、ああ。なんとか生きている。今日は休ませてくれ。すっかり疲れ切ってしまったようだ。」
 私はそう言ってまっすぐ寝床に向かった。

「ドーンッ!ガラガラガラ...」
 なんだろう、大きな音がする気がする。
「ワーッ!キャー!助けてくれー!」
 なんだ?夢か?研究所の前で交通事故でも起こっているのか?こっちは宇宙人との出会いで疲れ切っているんだ。もう少し寝かせてくれてもいいじゃないか。そうは言ってもここまで騒ぎになっていては寝付けるわけもない。疲れ切った身体を奮い立たせて上半身を起こした。
「な、なんだこれは...」
 目に飛び込んできたのは、何台もの空飛ぶ円盤と、そこから放たれる光線、そして数えきれないほどの緑色の生物。そう、昨夜の宇宙人が地球を侵略しにきていたのだ。
「ど、どうなっているんだ、や、やはり悪夢を見ているのだろう。」
 そうして強く頬をつねってみるが、目は覚めない。本当に現実だと言うのか...?
 でもひとつおかしなことがある。宇宙人の侵略によって360度全てが焦土とかしている。しか私が寝ているベッドとその周りは全くの無傷だ、と思っていたのだがついに私の前に一体の宇宙人が現れた。
「==<〒€=7+・%+・:=・¥÷×」
「ヤットオキタネ、トモダチ。」
 どうやら翻訳機をポケットにしまったまま寝てしまっていたらしい。宇宙人の言葉を翻訳した機械音が聞こえてくる。
「%々+:×+++・〒・2・8…・+・€」
「キミハテキジャナイシ、ワタシタチノコトバヲワカルカラ、コロサナイデオイタヨ、トモダチ。」
 この宇宙人は昨夜洞窟で遭遇した宇宙人らしい。彼の友達である私は攻撃しないでくれていたようだ。
「+^÷%7:+2・+:°÷〆6:×=%・〒€○・2÷々8÷552々」
「キミイガイヲスベテコロシタラ、キミヲツレテワタシタチノホシへカエル。コノホシハバクハツシテナクナルカラネ。」
 私は彼らの星へ連れていかれるらしい。あまりの衝撃的な光景と展開を飲み込めない私の口からは十分な言葉が出なかった。
「そ、そうか。ありがとう、友人。」
「+==々|<☆€×・%3€<」
 それでも翻訳機はきちんと翻訳してくれる。宇宙人は昨夜と同じように手を振り回して喜んでいる。


 私は彼らの宇宙船に乗せられて地球を脱出するまで気を失っていた。そしてまるで当たり前かのように彼らの星へ辿り着いたのである。
 
 彼らの星へ辿り着いてから、もう数年が経った。彼らの話によれば地球は完全に爆発してなくなり、その影響で太陽系もろともブラックホールになってしまったらしい。この星の名前は"☆○♪→>>"、ヒトの言葉で「友情」という意味だ。
 この星の人々は友情をとても大切にする。私はあの夜、あそこで出会った緑の生物と友達になったおかげで命を救われたのだ。


ああ、友達は命と同じくらい大切なんだなあ。
そんなことを身をもって体感した、そういうお話である。


*宇宙人語に特に規則などはありません。ごめんなさい。

10/24/2023, 1:56:45 PM

桜少女

「行かないで、ひとりにしないで...」
 どこからだろうか。か細い子供の声が聞こえてくる。
「こっちだよ、こっち。後ろの大きな木。」
 振り返るとそこには広くひらけた原があり、その中心には一本の大きな木な聳え立っていた。どうやらさくらの木のようなのだが、今は春が終わり、夏が始まる時期。さくらの花はとうに散り、今では緑色の葉や時々覗かせる黄緑色の若芽が生い茂っていた。
 私は引き返し、声のする大きな桜のあたりを見回したが声の主らしきものは見つからない。
「戻ってきたぞ、どこにいるんだい」
 そう呼びかけると桜の木の根元からこちらに向かってくる少女が見えた、と思った矢先、少女は私から少し離れたところで急に立ち止まってしまった。
 少女は10歳前後といったところだろうか、白いワンピースを着てこちらを見つめている。
私は少女に近づいて言った。
「大丈夫かい?こんなところにずっといたら寂しいだろう。夜中は寒くなるよ。どこから来たんだい?」
 少女は答えなかった。代わりに少女は、彼女の足首まで丈のあるワンピースをたくし上げ、白く光るふくらはぎをあらわにした。そこには誰にも手をつけられていない積もった雪のように白銀に煌めく少女の肌と、そこからのびる太い綱があった。
 綱、である。それを見た私は一瞬理解ができなかった。その綱は彼女の足に括られているというわけではなく、まるでその綱が体の一部であるかのように、ふくらはぎの真ん中から、文字通り生えてきているのである。では、この綱はただ少女のふくらはぎから生えているだけなのか。
 少女はワンピースを下ろし、こちらを見て言う。
「ついてきて」
 といって歩き出す。私は言われた通りについていった。少女は中央の桜の木まで私を案内した。そこには彼女の足をつなぐ綱のもう一つの先があった。それは木の根元に埋まっていた。これでは少女は綱の許す範囲でしか動けないじゃないか。
「もしかして...この綱に繋がれていてこの桜の木のまわりから離れられないのかい?」
「そうよ、ふくらはぎからも、木の根元からも、この綱を抜こうとなんども試した。綱を真ん中で切ってやろうとそこらに落ちている石で丸一日綱を殴り続けたこともあったわ。でも見ての通り、私はここに縛られたまま。」
 彼女は答えた。
 まるでここから解放されることを諦めたかのような表情だった。
「ここにはほとんど誰も来ない。街からこのユーグ山を安全に越える道からは少し外れているのよ。けれど、時々道を外れてしまった旅人や動物を狩りにきた狩人なんかが迷い込んでやってくるのよ。そのたびに声をかけるんだけどね、なぜか気付いてくれなくて、何事もなく通り過ぎていくわ。あなたが初めてよ、私に気づいたの」
 少女は少し微笑んで言った。
 たしかに、このユーグ山の中腹にこんな広場があるなんて知らなかった。私は麓に栄えるシュルの街の薬師で、山には薬草をとりに毎日通っていたはずだが、今まで一度も通らなかったらしい。今日も彼女の声を聞くまではそこに広場や大きな桜があることすら気づかなかったような気がする。
「不思議な話があるもんだ。いつからここに繋がれたままなんだ?」
私の問いに彼女は言った。
「わからないわ。ものごころついたときにはここにいた。ここにいると時間の感覚がなくなるのだけれど、大体20回くらい四季が回った気がするわね。」
「つまり、20年か...。...ん?じゃあ君20歳は超えてるってことかい?」
「そうね、数えてないからわからないけれど。どうやら体の成長は少女のままで止まってしまっているみたいね。」
 彼女は淡々とそう言った
 見た目の割に随分大人びた話し方をすると思っていたが、人を見た目で判断するなとはこういうことなのだろうか。少し、というかあまりにもレアケースな気もするけれど。
「そういえば自己紹介が遅れたね。私はシュルの街で薬師をやっているアダーというものだ。君の名前は?」
「名前なんてないわよ。親もいないしずっとここで1人なんだから。」
 困ったように答える。
「そ、そうか。それはすまなかった。」
「別にあなたが名付けてくれてもいいわよ?アダーさん。」
「あ、ああそうか。では...セラ、はどうだろうか。」
「良い名前ね。どう言う意味なのかしら?」
「桜という意味だよ。大きな桜の木の下にいた君にはぴったりなんじゃないかと思ってね」
「いいわね、気に入ったわ。」
「そうか、それならよかったよ」
 そうこうしてるうちに、ユーグの山肌は西日に照らされ始めていた。いつまでもここにいるわけには行かない。明日までに必要な薬をつくらなければ。
「すまないが、私は街へ戻らなくては」
「そんな、行かないでよ!せっかく1人じゃなくなったと思ったのに...」
今までの大人びた雰囲気とは一転して見た目相応の様子を見てとれた。
「ここであったのも何かの縁だ。また明日来るよ。」
 そういって私は山を下る。セラはギリギリまで私を行かせまいと粘っていたが綱に縛られていることもあって最終的には木の根元に戻っていった。
 街に戻った私は、明日やってくる患者のための薬を調合し終わり、寝床についた。さて、どうしたものか。セラをあのまま放っておくわけにもいかないし、かといって何かできそうなわけでもない。というかなぜ繋がれているのかもわからない。これからは少し生活にハリが出るかもしれないな。そう思ったアダーは彼女の繋がれた綱の感触を思い出しながら眠りについた。

(続く)