社会人になった今、風鈴の音なんて聞く機会がない。だけど、時々近所に飾ってある風鈴のチリンという音が頭にこだまするとあんなに嫌だった田舎に帰りたくなる。
うちは魔除けや厄除けの意味で一年中風鈴が飾られていた。
それでも、あの音は夏が1番似合う。涼しげなチリンという音が部屋に鳴り響く。暑くて汗が滲んでいるのにエアコンが効かなくて扇風機の前で涼む。すると奥の台所から婆ちゃんがスイカを持ってくる。
昼ご飯には素麺か冷麦をたらふく食べさせてくれる。正直言うと飽き飽きしていた。
都会はエアコンも効くし、好きな物を好きな時に食えるし、俺のやりたかった事目一杯できる。それなのに、時々無性に田舎の暑さを、婆ちゃんの素麺や冷麦を、求めている自分がいる。
あぁ、また風鈴の音が聞こえる。
今年は絶対にちゃんと帰ろう。
あの子が居なくなってからもう3週間が経つ。
学年1位でいつでも優しい、優等生なあの子。そんな子供を持った事で、少し有頂天になっていた私がいる事も分かっていた。でも、高校の卒業式の次の日、朝起きたらあの子が居ないことに気づいた。
焦って家中、町中を探し回った。どこにも居ないことに気づいて、放心状態であの子の部屋の床に雫を落とした。
ふとあの子の勉強机を見ると、山積みの参考書の横に一封の封筒があった。気になって中を見て、私は諦めた。
"レッテルを貼られるのに疲れました。今までありがとう。俺の好きな奴と一緒に旅に出ます。絶対に探さないでください。"
あの子の気持ちに気づけなかった。あの子をずっと傷つけてきた。自分のことしか考えていなかった。
自分が嫌になった。でも、あの子の最後の願いくらい叶えようと思って、あの子を探す事をやめた。
そんな私は今、あの子の写真を持って病室から窓を眺める。
まるで心だけ、逃避行をするように。
学年1位のお前と学年2位の俺の逃避行。
「せっかくだし冒険しようぜ!」
少年のように無邪気な笑顔でお前は言った。俺が見たことないような顔だった。もしかしたら今までは「学年1位の優等生」というレッテルの手前、見せたくても見せられない部分だったのかもしれない。
でも、俺はお前のそんなとこを見れてるんだよな。なんだか優越感に浸れた。
そうだな、お前とならどこまでも行けるよ。
そこから俺たちはどこまでいったかな。
手を繋いで、走って、止まって、笑い合って、人目のない場所を歩いていたかな。そんな時お前が言った。
「お前はさ、男と恋愛っていう冒険はどうかな。」
不安そうな顔に胸が高鳴る感覚を覚えた。
そうか、俺の優越感は「好きな人を自分だけのものにできた」から来るものだったのか。
それを知ってしまえばお前の誘いに乗るしかない。
勿論だ。と
これからは
学年1位のお前と学年2位の俺の
落ちこぼれ恋愛冒険物語だ。
「あの1番明るい星がおおいぬ座!オリオン座の左下ね!シリウスって言うんだよ!」
夜空の下を歩いていた少女が言った。
それに続けて、「卒業をしたら違う高校だから届けたい想いはあの星に」そう提案をした。
少女の友達はLINEの方がいいじゃん、と言う。
すると少女は頬を膨らませて怒った。
「ロマンチックなのが良いんじゃん!」
1番明るい星に2人だけの想いを届ける。そういうのが少女の憧れらしい。少女の友達は彼氏とやれ。なんて思ったが、恋人のいない少女は無理矢理小指をつなぎ合わせ約束をした。
あの頃の約束をふと思い出した少女達は星に想いをはせる。
届け……と少し離れた場所で2人笑いながら。
いまだにあの日の事を夢に見るんだ。
仲間の期待、不安、信頼を背負った、あの一球を打ちきれなかった、壁が立ち塞がる頂上の景色を。
点は25対26。あの一球を打ちきれなければ春高にはいけない。
そんな状況の中でエースの俺に託された3本目の球。
俺はあの時、最低な事を考えたんだ。頼む、俺にあげないでくれ。なんて、エースなのに情けない。ミスをするのが怖かった。もし皆んなを春高に連れて行けなくなったら、そう考えると助走が遅れた。足がすくんだ。ジャンプできなかった。腕を振りきれなかった。
おかげでブロックに捕まった。綺麗なドシャットだったなぁ。敵の歓声、仲間の嗚咽。歓喜と絶望の入り混じったあの景色。
全部全部、鮮明に覚えている。
後悔してももう遅い。一瞬でも躊躇ってしまった時点で俺の負けなんだ。
トスが悪かったと謝るセッター、カバーにいけなかったと悔やむレシーバー、俺がトスを呼んでいればと溢すアタッカー。
違う、俺が悪いんだ。エースなら決めるべき場面だったはずなのに。
そんなあの日の景色が毎晩夢に出てくる。あぁ、今日も決められずに終わった。俺はあの日を幾度も繰り返す。
今日も、あの日の景色を変える事に囚われながら。