とてもありふれた柄の貴女だけど
『私の猫』は貴女だけ
だぁい好きですよ
『世界に一つだけ』
/わが家の最愛
あぁ、まただ。
不意に空から降り注ぐ音に足を縫い止められてしまった。
ふり仰ぎ見つめた先、頭上のビルボードには私の知らない名前を持つ、私の知ってる彼の姿。
彼の指が跳ねるたびに、夏草に散った水滴のように弾んでは転がる音の粒たち。
音が跳ねて踊ってるみたいねと冗談めかして言ったあの日から、どれほどの季節が巡っただろう。
鍵盤の上を跳ねる指
ギターの弦を弾く指
踊るように弾むその指先を、柔らかな声で紡がれるまだ歌詞のないその旋律を。
ただ隣で聴いている時間が大好きで、大切だった。
人の心を惹きつけて止まない音。
彼の目から見た世界を、奏でる音を私は愛していた。
そしてそれは私以外ももちろん例外ではなかった。
『音楽』を愛して止まなかった彼が、やがて『音楽』に見出され、『音楽』から選ばれるのに、そう時間はかからなかった。
そうして彼は、『音楽』に手を引かれて行ってしまったのだ。
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スクリーンに写ってるのは、あの頃より少し大人びた、知らない名前の知ってる彼。
降り注ぐ音楽は今も変わらず人を惹きつけて止まない、私の大好きな音なのに。
昔、無邪気に聴いていたころより深みが、愛おしさが、衝動が、切なさが滲む音。
私の知らない誰かを想って紡がれる歌。
もう聞きたくないと思ってしまった。
金縛りにあったように動けない私に、容赦なく『彼の音楽』は降り注ぐ。
大好きだった彼の音が、空っぽな私の中を満たしてゆく。強制的に『彼の音楽』に満たされてしまう。
私に宛てられた歌じゃないのに。
満たされて、抱えきれなくて、溢れて。
頬を伝った涙がアスファルトに弾けて転がった。
『躍るように』
/かつて灯火を灯した女の子の話
「なんで目覚ましかけてないの?」
「かけたわ!お前が叩き落としたんだろうが!」
時刻は午前8時を少し回ったころ。
このまま何事もなければ、あと1時間ちょっとでシドニー行きの飛行機は定刻通り飛び立ってしまうだろう。
無情にも、彼を置き去りにして。
あれはナイチンゲールよ、ひばりなんかじゃないわ。
なんて優美にごまかすような状況になる前に、どうやらあたしは別れの時を告げる歌を奏でるはずのひばり改め我が家の目覚まし時計をぶん投げて黙らせたらしい。
哀れな目覚ましは役目を果たせぬままどこか不貞腐れたように床に転がっていた。
あ"ー!!と叫びながら駆け込んだ洗面所の方から聞こえてくる喧騒を、あたしはベッドの上にぼんやりと座り込んで、聞くともなしに聞いていた。
またしばらくのお別れだというのに情緒もへったくれもないなぁとへらりと笑う。
あれはナイチンゲール。だから大丈夫、まだ行かなくていいの。
真似して言ったらやっぱ帰らないって言わないかな…無理か。
急き立てられているような速さで全ての支度を終え、荷物を掴み足早に玄関へ向かう彼の後をポテポテと追う。
背を向けたままトントンと踵を靴へおさめ、ドアノブに手をかけながらじゃあな!と告げる彼の上着の裾を思わずキュッと引いてしまった。
……別に一生の別れじゃないんだし。
それぞれにいくつかの季節を過ごしたら、
また『久しぶり』と笑って共に過ごせるのだ。
わかってはいるんだけど。
掴んだ裾からそっと手を離し、じゃあねと告げるために顔を上げた刹那、くるりと振り返った彼に腕を取られグンッと前へ引き寄せられる。
勢いのまま体勢を崩して前につんのめったところをそのまま抱えるように無言で抱きすくめられた。
形のいいおでこがぽすりとあたしの肩へ置かれる。さらりと目の端で金髪が揺れるが、表情は見えない。
何も言わない背中に手を回し、ぽふぽふと宥めるように抱擁する。
……離れ難いのはお互い様だよね。
「……また来るわ」
「ん、待ってんね」
そうして彼は、再度あたしをぎゅっと抱きしめると振り切るようにガバリと身体を起こし玄関を飛び出していった。
ガンガンガンと階段を勢いよく駆け降りていく音。続く無音。
情緒もへったくれもない。
ひばりも歌声を響かせない。
それでもあたしはこういう朝でいい。
こういう朝がいい。
時を告げることのできなかった哀れなひばりを拾い上げてサイドテーブルへことりと納め、ひとつ伸びをした。
とりあえずお洗濯をしよう。
もしかしたら飛行機見えるかも知んないし。
方角知らんけど。
『時を告げる』
/遠距離恋愛のお話
小さく喉が鳴ったのが自分でもわかった。
白くすんなりとした脛からから続く、薄く桃色に色づく華奢なくるぶし。
そのままなぞるように目線が辿る指先には、淡く小さな桜貝の爪。
丁寧に形が整えられたその可憐な爪先は、何も塗らずとも光を反射し濡れたように光っていた。
その存在に気づいてしまったが最後、魅入られたようにその無防備な爪先から目が離せなくなってしまった。
後に、急に喋らなくなった俺を不審に思った彼女が、目線が辿る先に気付き、クッションを手に真っ赤な顔で殴りかかってくるのだが、これに関しては正直大変不服である。
……手を伸ばさず我慢しただけ褒めてくれていいと思う。
『貝殻』
僕は、七色に光る流れ星を見たことがある。
もうすぐ流れるよ。お願いごとはもう書けた?
母さんが僕の手元を覗き込みながら柔らかく微笑む。
「かけたよ!」
僕は竹灯籠を頭上に掲げ、母さんに見せてあげた。
辺りはすでに大分暗く、まだまだ寒さも残る季節であったが、それでもそこには多くの人々が集っていた。
それぞれが手元に抱える願いが書かれた灯籠には、書き終わったものから順にぽつぽつと明かりが灯り、辺りに少しずつ広がってゆく。
知らない人たちとみんなで流れ星を待つ。
それは今思い返してもとても不思議な体験だったように思う。
どれほど待っただろう。
やがて遠くの方でざわめきと歓声があがる。
熱は伝播し、興奮が津波のように僕のところにまで届く。
それは闇を切り裂く一筋の光だった。
遠くでちかりと瞬いたそれはぐんぐん速度を上げて、僕らの目の前を走り抜けていく。
七色の光の束を空へ放ちながら。
僕らの手元には願いを灯した温かな光。
闇夜の中あちらこちらで瞬いている。
まるで、きらめく星空の中に浮かんでいるみたいだと子供心に思った。
綺麗だねぇ、と母さんがぽつりと呟く。
あの流れ星が、みんなの願いを運んでくれるんだって。
そう言って流れ星が流れていった方角を名残り惜しむように見つめていた。
その時の僕は、心ここに在らずな母さんの様子に段々と不安になり、無意識のうちに母さんの服の裾を引いてこちらを向いてもらおうとした。
ハッとした様子でこちらをみた母さんは優しく僕の髪を手で梳くと、明るい調子で帰ろっか!と僕を抱き上げゆっくりと歩き出した。
「母さんは何てお願いしたの?」
ゆらゆらと揺られながら、たくさんの願いが灯った星空の中を進んでゆく。
そうねぇと答える母さんの答えに耳を傾けようとするも、与えられる腕の温もりにだんだん瞼が落ちてくる。
みんなのお願い事が届きますように、かな。
優しく答える母さんの顔が見たいが、眠くて意識がぼんやりとしてくる。
本当に、色々なことがあったから。
みんなみんな、叶うといいねぇ…
ゆらゆら、ゆらゆら
眠りに落ちる直前、最後に聞こえた母さんの言葉だけは、やけに記憶に残っている。
辺り一面の星空と、願いを運ぶために流れていった七色の光。
僕はあの日のきらめきを今でも覚えている。
『きらめき』
/流れ星新幹線のCMを観たので…