「なんで目覚ましかけてないの?」
「かけたわ!お前が叩き落としたんだろうが!」
時刻は午前8時を少し回ったころ。
このまま何事もなければ、あと1時間ちょっとでシドニー行きの飛行機は定刻通り飛び立ってしまうだろう。
無情にも、彼を置き去りにして。
あれはナイチンゲールよ、ひばりなんかじゃないわ。
なんて優美にごまかすような状況になる前に、どうやらあたしは別れの時を告げる歌を奏でるはずのひばり改め我が家の目覚まし時計をぶん投げて黙らせたらしい。
哀れな目覚ましは役目を果たせぬままどこか不貞腐れたように床に転がっていた。
あ"ー!!と叫びながら駆け込んだ洗面所の方から聞こえてくる喧騒を、あたしはベッドの上にぼんやりと座り込んで、聞くともなしに聞いていた。
またしばらくのお別れだというのに情緒もへったくれもないなぁとへらりと笑う。
あれはナイチンゲール。だから大丈夫、まだ行かなくていいの。
真似して言ったらやっぱ帰らないって言わないかな…無理か。
急き立てられているような速さで全ての支度を終え、荷物を掴み足早に玄関へ向かう彼の後をポテポテと追う。
背を向けたままトントンと踵を靴へおさめ、ドアノブに手をかけながらじゃあな!と告げる彼の上着の裾を思わずキュッと引いてしまった。
……別に一生の別れじゃないんだし。
それぞれにいくつかの季節を過ごしたら、
また『久しぶり』と笑って共に過ごせるのだ。
わかってはいるんだけど。
掴んだ裾からそっと手を離し、じゃあねと告げるために顔を上げた刹那、くるりと振り返った彼に腕を取られグンッと前へ引き寄せられる。
勢いのまま体勢を崩して前につんのめったところをそのまま抱えるように無言で抱きすくめられた。
形のいいおでこがぽすりとあたしの肩へ置かれる。さらりと目の端で金髪が揺れるが、表情は見えない。
何も言わない背中に手を回し、ぽふぽふと宥めるように抱擁する。
……離れ難いのはお互い様だよね。
「……また来るわ」
「ん、待ってんね」
そうして彼は、再度あたしをぎゅっと抱きしめると振り切るようにガバリと身体を起こし玄関を飛び出していった。
ガンガンガンと階段を勢いよく駆け降りていく音。続く無音。
情緒もへったくれもない。
ひばりも歌声を響かせない。
それでもあたしはこういう朝でいい。
こういう朝がいい。
時を告げることのできなかった哀れなひばりを拾い上げてサイドテーブルへことりと納め、ひとつ伸びをした。
とりあえずお洗濯をしよう。
もしかしたら飛行機見えるかも知んないし。
方角知らんけど。
『時を告げる』
/遠距離恋愛のお話
9/6/2023, 3:48:17 PM