【I LOVE…】
人に執着する事なんて、無いと思っていた。
他人に興味は無かったし、特に深入りしたいと思った事も無い。
逆もまた然りで、僕自身他人に踏み込まれたくも無い。
相当排他的な性質なのだと、我ながら思う。
なのに―――全部を捨てるのが急に怖くなって。
いつからだろう?
たった一人で良い、『愛したい』と思うようになった。
そしてこの喉の渇きにも似た思いを、君はその持てる全てで潤そうとしてくれる。
けれど決してそれが満たされる事は無くて。
どうしてだろう?
君の事は好きなのに。
……ゴメンね。
本当はちゃんと、君を愛してみたかった。
【どうして】
料理そのものは多分母親の方が上手だったように思う。例えばそれは技術的なものや、盛り付けひとつとっても。
だがどんなに豪華で綺麗に盛り付けられた飯でも、それを食う俺は独りきりだった。
そんな風に育ってきたから、正直食事なんて空腹を満たす事さえ出来ればそれで良い、その程度にしか思ってなかったんだが。
『……美味い』
『本当? 良かった』
アンタの部屋で、アンタの作る飯を一緒に食うのはどうして、あんなにも美味かったのか。
どうして俺の心は幸せで満たされたのか。
生きる事自体、正直どうでも良いとすら思っていた俺が、初めて知った日常の中の幸せ。
それは、いつも傍らで微笑んでくれるアンタとだから感じる事が出来て、分かち合えたんだな。アンタを喪った今なら判る。
「命日くらい、夢でも良いから俺のとこ来いっての」
嗚呼、アンタの作った飯が食いてえなぁ。
【ずっとこのまま】
しつこいナンパ男から私を救い出してくれた彼は、ちょっと怒った様に無言で私の手を引きズンズンと大股で歩いていく。
私は彼に手を引かれたまま、ただ後ろ姿を見詰めているしか出来なくて。
背は平均より高い方でも、痩せ型でひょろっと手足が長く少し頼りない。そんな印象だった彼の背中が、思いの外広い事を初めて知った。
少しだけ格好良いな、なんて見直したけど、認めるのが何となく悔しい。
(何か言って)
広い背中も、いつにない無口さも、その身に纏う雰囲気も。やはり怒っているのか、その全てが普段の彼とは別人の様で。
何だか調子が狂う。
(こっち向いて)
隙だらけだった私が悪いのは判っている。これからは気を付けなきゃって反省しているから……
(お礼くらい、面と向かって言わせて)
「……キミさぁ、反省してる?」
振り向きもせず、彼は呟くように問う。
「うん」
「なら良いよ。柄にもない説教とか、僕もしたくないから」
「あの、助けてくれて有難う。それと……ゴメン」
返事の代わりに彼は握っていた手に力を込め、私もその手をそっと握り返す。その温もりは、下手な説教なんかよりもずっと、私を安心させてくれた。
ずっとこうして、ずっとこのままこの手を握っていて欲しいと。
この手を離すものかと、初めて思ったんだ。
けれどこの気持ちが、胸の痛みが……この溢れる涙が何なのか、私にはまだハッキリと解っていなかった。
『ああ……私、彼が好きだったのか』
結局その答えが見付かったのはずっとずっと後の事で、彼に二度と会えなくなってしまってからだった。
会いたくて、恋しくて、叶わぬ想いに絶望しながら、それでも彼を思わない日は今まで一日たりともなかった。それなのに―――
私はどうして、あの広い背中しかもう思い出せないのだろう。
【手を繋いで】
翌日眼を覚ますと、僕達はずっと手を繋いだままだった。まだ眠っている彼女に何気なく眼を向けて、僕は心臓を鷲掴みにされた気がした。
透き通る程白い彼女の頬に残る、涙の跡。
(あぁ、君は……僕の代わりに泣いていたのかも知れない)
繊細な彼女にはきっと、繋いだ手から僕の欝屈した思いが伝わってしまったのだろう。
それが例え僕の痛い妄想に過ぎなくても、眼の前の彼女に心が締め付けられ、愛しく思う気持ちに嘘偽りはなかった。
独りで居られたら、なんてどうして思ったりしたのだろう。
彼女が側に居てくれて、僕はどんなに救われたか知れないのに。沢山の思いを優しさを、彼女から貰っていたというのに。
自分が彼女を苦しめてしまったと気付くのは、いつも後になってから。
自分が満たされてからでないと気付けない、僕はそんな年だけを重ね身体が大きいだけの子供なのだ。
情けなくも僕は、彼女が居ないともう一歩も進めなくて―――
でもそれを、こんなに悔しく感じたのは初めてだ。今更ガキだと自覚したからと言って、すぐに変われやしないけれど。
強くなりたい。
彼女の全てを包み込める位、側で支えてあげられる位。彼女が僕にそうしてくれた様に。
その時、もそもそと布団が動いた。
「ん……っ」
「お早う」
「おはよ……。眠れた?」
「うん」
「そう、良かった」
「多分これのお陰かな」
朝まで繋いだままだった手を、軽く持ち上げて彼女に見せた。まだ寝呆け半分の彼女も、流石に驚いて眼を見張る。
「え、これずっと?」
「そう。このままだった」
頷きながら僕が言うと、照れ臭そうに……それでいて幸せそうに彼女は笑った。つられて僕も頬が緩む。
彼女が嬉しいと、僕も嬉しい。それはこんなにも幸せで、簡単な事だったんだと実感した。
「そっか。ねえ……もうちょっと、このままでもいい?」
「うん」
その笑顔を、このささやかな幸せを守る為ならば、僕はきっと強くなってみせる。そう胸に誓い、彼女の白い手にキスをした。
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※2023/11/3 お題【眠りにつく前に】の続き
【眠りにつく前に】
飲み過ぎて足元も覚束ない上司を何とか自宅まで送り届け、もと来た道を引き返す。
外に出ると、眩しい程の月が地上を照らしていた。こんなに月の光が明るいのは、満月だったからかと今更気付く。
ふと微かに吹いていた夜風も止んだ。それは僕に、全ての時の流れも止まってしまったかの様な錯覚を起こさせる。
(ああ、何だか疲れた……)
足を止め、明る過ぎる月を見上げた。
「いいなぁ」
何に邪魔される事も無く、月はただそこに『在る』。何のしがらみも持たず独り、そんな風に生きられたらどんなにか……
月を見ると、そんな事をよく思う。
だが人に絶対の孤独など存在しない事も知っている。判っているからこその欲求だった。
なのに不意に浮かぶのは、優しくもどこか寂しげに微笑む恋人の顔で。
彼女を置いて去るのも、失うのも嫌だという己の中にある矛盾も、僕ははっきり感じている。
何もかもに疲れたこんな時は、独りの方が余程楽なはずなのに……何故か今日は、誰も居ない自分の部屋に帰る気もしなかった。
そんな僕の手には携帯電話。
開いたトーク画面は――彼女。
「あのさ、これからそっちに行っても良いかな」
『泊まってくって事だよね? 大丈夫』
「うん。ゴメンね急に」
『いいって。じゃ、待ってるね』
時計を確認すると、そろそろ日付が変わるかという時刻だった。よく承諾してくれたものだと、僕は苦笑した。
彼女の部屋に着くと、座卓にはお茶漬けが既に用意してあった。だが先程まで飲んでいた事など、話した覚えはない。
僕が驚いて尋ねれば、そっと彼女は微笑んで呟く様に答える。
「んー、何となく?」
お風呂の用意して来るね、と彼女はバスルームへ姿を消した。
風呂を済ませると、完全に酒は抜けたようだ。
良いタイミングで麦茶を渡されて飲み干すと、彼女が僕をじっと見ていた。
「どうかした?」
「普段ならお酒を飲むと口数が増えるのに、今日は静かだなぁと思って。でも、時々何か言いたそうな顔もしてるから」
彼女の眼から、すっと光が消えた。暗い視線を伏せ、今度は僕を見ずに呟く。
「――何か話したい事、ある?」
「今は、いい。居てくれるだけで」
「そっか……判った」
彼女は顔を上げ、穏やかに微笑む。それはもう、いつもと変わらない笑顔だった。
(ホント勘が鋭いったらないよ)
一旦は気に掛けつつも、僕が黙っているとなれば彼女はそれ以上余計な詮索をして来ない。判った風な口も利かないから、沈黙すら心地良い。
多分僕は、彼女のそんなところが好きで―――失いたくないと思う、一番の理由はそこなのかも知れなかった。
僕達は必要最低限の会話だけしながら、そのままベッドに入った。
どちらからともなく何度か触れるだけの軽いキスをしてから、彼女は「お休みなさい」と呟いて、眼を閉じる。
「ねえ」
「なあに?」
「手、繋いでも良い?」
彼女は小さく頷くと、布団から手を差し出した。その華奢な白い手に指を絡めて、そっと握る。
孤独を欲する心と、彼女への執着に揺れるそんな夜には、この位の温もりが丁度良い。
「温かい……このまま寝ちゃうかも」
「うん。お休み」
彼女の温もりを感じながら眠りに落ちていく瞬間、急に僕は泣きたくなって、きつく眼を閉じた。