今日にさよなら
私は不眠症だ。布団に入ってその日1日の嫌な思い出をリセットしようとしても、記憶に雁字搦めにされて眠りに付けない。私の心はいつもあの日に帰ってしまう。
2018年2月14日。バレンタインの日に私は彼氏に振られた。
あの日、私が丹精込めて作ったチョコレートケーキはゴミ箱に捨てられていた。ショックだった。
私の彼氏はいわゆるモラハラ男だった。
占いを見たり、自己啓発本を読んだりしていると必ずこう言われた。
「自己啓発本なんてのはな、努力できない奴が、努力しないで済む言い訳を探してて、そこに目をつけた出版社が出してる本なんだよ。」
確かにそうかもしれないと思った。だけど、3年間も一緒に過ごしてて1度も優しい言葉をかけられたことのない私の理解者は、本だけだった。
ゴミ箱に捨てられたケーキを発見した後、どうも記憶がはっきりしない。事故に遭って気を失ったからだ。
最後の記憶は、私と彼が車ごと崖から海に飛び込んで行くところだった。
2重の意味で彼を失って以来、日常は現実感を失い、意志が弱くなり、ふわふわと漂っているような感覚。
元々目立たないタイプの私は一層影が薄くなり、最後に職場に行った時、同僚は1度も目を合わせようとはせず、まるで幽霊にでもなった気分だった。
またあの日の事を考えていた。後悔ばかりが募っていく。
違う結末を迎えられなかったのか?
酷いことを言われたりしたけど、私は彼を愛していた。
背が高く、端正な顔立ちで、穿った事を言う彼のことをクールで格好いいと思っていた。
そのくせ、エクボを作って「かわいいよ。」などと言ってくるのだ。
彼との思い出の地をもう1度巡ってみたい。
今は叶わない夢だけど、解放される日は近そうだ。
「ねぇ、聞いてよ、仕事の同僚がさ、サボってばっかりいるの、同じ給料なのがバカバカしい。」
「そう思うのはお前のプライドが低いからだ。プライドの高い人間はレベルの低い連中の事など気にしない。むしろ同じレベルに下がらない様に努力する。同じ給料でもいい仕事をするのが当たり前なのさ、俺たちプライドの高い人間はさ。」
この言葉が今になって役に立つとは。私の刑期は短縮されて明日仮釈放だ。
だけど、私の心があの日の牢獄から解き放たれることはないだろう。
明日からどうやって生きて行く?とりあえず今日にさようならを言ってみよう。私の心がまたあの日に戻されると分かっていても。
お気に入り
僕にはお気に入りの奴隷がいます。ボブです。
ボブは南部から逃げて来た奴隷で、命を狙われているからパパが自分の奴隷にすることによって匿ってあげているのです。
「パパ、6才の誕生日プレゼントはさ、ボブが欲しいんだけど、僕、ボブが大好き。だから所有権を僕に移してよ。」
「エミリオ、ボブは人間だ。簡単にあげたり貰ったりするような事じゃない。」
「でも、ボブは、「私は旦那様の所有物ですから」ってよく言うよ。」
「いいかい、エミリオ、天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言ってね。本来我々人間は平等でなくてはならないんだ。だけどボブは事情があってね、契約上は私の奴隷と言うことになっているが、私はボブのことを奴隷と思ったことは1度もないよ。」
「じゃあ、シュナイダーとは違うんだね。」
「シュナイダーはペットの犬じゃないか?全然違うぞ。」
天は人の下に犬を造り、犬の上に人を造る。
僕はパパの教えをしっかりと胸に焼き付けた。
「分かったよ、パパ。ボブは諦める。」
「旦那様いいじゃありませんか?私くめは坊ちゃまのことを愛しております。坊ちゃまの奴隷になれるなら本望です。」
「仕方がない、お前がそう言うならエミリオに所有権を譲ろう。」
「ボブ、今日からお前は俺の奴隷だ。だけど人間は平等だからボブが僕の奴隷なら、僕はボブの奴隷だね。」
僕は出かける時、いつもボブを連れて歩いた。
ボブは魚の取り方や、食べられる木の実の種類、黒人の間で流行っている遊びなどを教えてくれた。
「ボブ、ボブにはお母さんがいる?」
「ボブの家族は南部の白人に殺されて1人も残っておりません。」
「そっかぁ、僕のママはね、病気で亡くなっちゃったの。だけど今度パパが再婚するから新しいママができるんだ。僕、新しいママなんかいらない。ボブが僕のママになってよ。」
「坊ちゃま、母の愛情と言う物は決して男には与えられる物ではごさいません。最初は不安でしょうが、新しい奥様も坊ちゃまのことを愛してくれますよ。」
「ねぇ、奴隷から解放してあげようか?」
「滅相もありません。」
継母は、表面上は僕のことを愛してくれているようだった。だけどボブを見る時、その目に冷たい光が宿っているのを僕は知っていた。
ある時、事件が起きた。
継母が大事にしていた花瓶が割られていたのだ。
「ボブ、これは君がやったのかね?」
「いいえ、旦那様、私には関わりのない事でございます。」
「お前が割るところを見た者がいるのだぞ。」
「そんな馬鹿な、どなたがそん事を仰っているのですか?」
「黙れ、ボブ!奴隷の分際で口答えするな。」
やっぱりな。パパも所詮人間だ。人は人の下に人を造りたがる。
「父さん、ボブは僕の奴隷です。父さんの奴隷ではありません。それにこの花瓶を割ったのは僕です。母がボブをいじめるので腹いせに僕が割ったのです。ボブの所有権を僕に移しておいて良かった。父さんには、人間を平等に扱う心がなさそうなので。」
パパは俯いてしまった。
「ボブ、僕の部屋に来てくれ、話がある。」
僕はボブを連れ立って自分の部屋に向かった。
「坊ちゃま、なんであんな嘘を付いたのですか?」
「ボブは人はみな平等だと思う?」
「坊ちゃま、私は頭の足りねぇ奴隷でございます。ですがこれだけは分かっております。平等を信じている連中は頭のおめでたい連中です。」
「僕もそう思う。奴隷の身分から解放されたいかい?」
「とんでもございません、私みたいなもんは奴隷でいた方が安全なんです。」
「僕もそう思う。」
だけど僕の行動は継母の敵対心を助長するだけだった。
フラットワイヤー家に最悪の事態が訪れる。
他人の奴隷であると知りながらボブとの奴隷契約を違法に結んだとしてパパが訴えられてしまったのだ。
ボブを引き渡さなければパパが逮捕されてしまう。
「ボブは僕のお気に入りです。手放すつもりはありませんよ。」
「分かっている。自分の保身のためにボブを手放す気はない。」
「だけどパパが逮捕されたら、いったい誰があの女からボブを守れるんです?」
「それは・・・」
「パパ、僕はボブを諦めます。だからパパもお気に入りを1つ諦めて下さい。」
「分かった。エレーヌとは別れよう。」
僕はすでに涙が止まらなかったが、ボブには僕が直接伝えなくてはならない。
「ボブ、事情は聞いているかい?」
「はい、お坊ちゃま。」
「僕のせいだね、解放するチャンスはいくらでもあったのに、お気に入りを手放したくなくて、先延ばしにしたせいで、結局ボブを手放すことに。ごめんねボブ、ごめんね。」
「ボブは坊ちゃまの奴隷でいられた日々をとても気に入っております。」
誰よりも
鏡に写る自分の姿を見て誰よりも美しいと思う。
そして狂おしい程に自分を愛している。
何人もの女と付き合ったが、出来るだけ私に似ている女にした。そうして私に似ている選手権を勝ち残って優勝したのが今の妻だ。そんな私と妻の間に娘ができた。当然私に似ている。だが、妻も娘も結局私ではない。例えば私に瓜二つの人間を10とすると、妻は5で、娘は4だ。私は妻を5愛しているし、娘を4愛している。
それは突然だった。会社から駅に向かう道すがら、私に瓜二つの男が前から歩いてくる。私は目で追ったが、その男は私を無視して歩いて行ってしまった。私は追いかけると、男の前に回り込んだ。
「なんで無視する?」
「当たり前だろ?自分そっくりの男に会って嬉しいか?」
「私は嬉しい。」
「お前ナルシスト野郎か?自分そっくりの俺に抱かれたい口だろ?」
「抱いてくれるのか?」
「ついてきな。」
男の部屋に通されると一瞬で性癖が分かった。壁にかけられる手錠や鞭。
「服を脱いで、ベットに上がりな。」
両手を手錠で拘束され、目隠しで視界を遮られ、裸で四つん這いになる。
ヒュン。風を切る音がしたかと思った瞬間、ムチの衝撃が地肌に走った。
私が私を痛め付ける快感。股間がドクンと言って血が流れ込んでくる。目隠しで確認することはできないが人生最大の勃起をしているに違いない。
「おいおい、1発貰っただけでフルボッキかよ。自分ばかり楽しんでないで俺のも楽しませろ。」
手錠された手で男の股間を探り当てると、男のペニスを咥え込んだ。
幸せな時間だった。時間はあっという間に経って、男は満足して寝てしまった。スマホには心配した妻からの履歴が残る。
「残業して遅くなった。今から帰る。」
帰宅すると妻が擦り寄ってきた。
「心配したよー。今日は早く帰って来るって言ってたのに。今晩いいんでしょ?」
今、私の体にはムチの跡や、ロウソクの跡、縄で縛られた跡などが残っているだろう。夫婦生活が終わるかも知れない。しかしどうでもよかった。むしろ全てを公にした上でこの女を痛めつけたいと思った。
女をベットに押し倒すと無理やり服を脱がせた。
「ワイルドなあなたも素敵ね。」
しかし、この女の余裕も、前戯もしないで挿入しようとすると悲鳴に変わった。
「痛いよ。やめてよ。」
「五月蝿い、雌ブタが。」
女の臀部を激しく打ち鳴らす。
「いやー。」
女の姿を1時間前の自分の姿に重ねる。初めて女を可愛いと思った。女のお尻は真っ赤に腫れ上がっている。私は精魂尽きるまで、腰を打ちつけ続けた。
「あなた、もっとちょうだい。もっと痛めつけて。」
初めて私に愛されている喜びが女を雌ブタにさせていた。恍惚の表情を浮かべて、私からのご褒美を待つ姿は凄く醜いと思った。
そして女の醜い姿を自分に重ねることで、人生で初めて自分のことを嫌いになることができたのだった。
10年後の私から届いた手紙
A子とB子とC子は、高校を卒業して以来、10年間続く関係だ。高校卒業10周年を記念して今日はA子の家で宅飲み。
「変わらぬ友情に乾杯ー。」
「乾杯」
「乾杯」
「卒業式の時さ、10年経っても一緒だよ。って誓いあったの覚えてる?」
「覚えてるよ。誰もいない教室で私たち3人だけ集まってA子が号泣するから、私とC子も貰い泣きしちゃって。」
「懐かしい。そんなこともあったね。」
「やだぁ、恥ずかしい。それは忘れてよ。あれから10年経って、B子は子供ができて、C子も新婚かぁ。私だけ独身だぁ。」
「A子はCAじゃない。私とC子の誇りだよ。」
「それに結婚なんていいことばかりじゃないしね。B子も私も色々苦労してるんだから。」
「ねぇ、その苦労教えてよ。今から手紙書くの。卒業式の日の私たちに向けて。高校を卒業してからどんな経験をして、どんな成長をしたかを振り返ってさ。もちろん最後には発表して貰います。」
「A子はそう言うの好きだよねぇ、私は構わないけど、C子は?」
「私も別に構わないけどさ、大した人生じゃないから書くこと困るのよね。」
A4用紙を何枚か持ってきて、それぞれ手紙を書き出した。
できた手紙は一つにまとめられて、食事の片付けが終わった後、発表会が開かれることになった。
「では、言い出しっぺの私から読み上げたいと思います。
えー、A子ちゃんへ、あなたは高校生の頃、泣き虫だと冷やかされていましたね。残念ながら10年経っても変わりません。覚悟しておいて下さい。A子ちゃんの夢はキャビンアテンダントになることでしたね。その夢は絶え間ぬ努力の結果実現することになります。実現までには何度も泣くことになると思いますが頑張って下さい。私は今だに独身ですが、仕事にプライドを持って充実した日々を過ごしています。
10年後のA子より。」
読み終えたA子に拍手が送られた。
「A子の後だとやりづらいなぁ。私のは本当に内容薄いからね。」
と、手紙を読み出そうと思ったB子だが、手紙を目にすると戸惑いの表情を浮かべた。
「あれ?これ私の手紙じゃないよ。C子のじゃないの?」
「私のでもないよ。」
「とりあえず読んでみてよ。」
「分かった。読むね。B子ちゃんへ、あなたは大学で大企業の御曹司Xさんと付き合うことになります。」
「え?B子は高校の時から付き合ってたY君と結婚するんじゃない。」
「ちゃちゃ入れないの。B子も続けて。」
「Xさんは、お金持ちなのに謙虚で優しくて満ち足りた日々を送ります。しかしそんなXさんに病魔が忍び寄るのです。
Xさんを失った悲しみで失意にくれる私、しかし、そんな時励ましてくれたのがアラブの王族のZ。Zには3人の妻がいましたが、私への愛の証のため前妻とは全て別れてからプロポーズしてきました。私の生活は一変しました。Zからは一生かかっても使い切れないお金を与えられました。しかし、私はそんな生活に満足しなかったのです。ジュエリーデザイナーとしてデビューするとその活躍が話題になり、日本のテレビ番組に出演、歯に衣着せぬ物言いから時代の寵児になります。それが10年後のB子。
PSあなたが私に書いた手紙があまりにも退屈だったので内容を変更させて頂きました。
え?何これ?どう言うこと?」
「ちょっとB子何その手紙?」
「だから私が書いた手紙じゃないんだって、ひょっとして、私たちが書いた手紙が10年前の私達に届いて、その手紙を見た10年前の私達が返信を寄越してきたんじゃないかな?」
「変なこと言わないでよ。B子ってそんなキャラだっけ?」
「うるさいわね、あなたの手紙も読んでみせなさいよ。」
「はいはい。じゃあ私の番ね。えーと、手紙の内容を変更させて頂きます?何これ?私が書いた手紙じゃない。」
「えー?C子もなの?」
「だから言ったじゃない。続きはなんて書いてあるの?」
「大学に入学するとY君から告白されます。私のことをずっと好きだったと、だけどY君はB子の彼氏。私は愛か友情かを秤にかけて友情を選びました。しかしそんな私をB子は諭します。私、ずっとY君の気持ちには気付いていたの。だけど私は友情よりも愛を取った。C子はずるいや。自分ばっかり良い子ちゃんになって。これからはY君と幸せに生きて、そして私達の友情は永遠だよ。」
「ちょっとあんた?私の旦那を狙ってたの?」
「そうよ。Y君はね。私と結婚していた方が幸せな人生を送れたんだから。」
「あっ、私の手紙の内容も変わっている。A子へ、28歳にもなって結婚していないなんてガッカリです。私はパイロットと結婚したくてCAになりたかったんです。仕事へのプライドとか言って言い訳はやめて下さい。今すぐ安っぽいプライドなんか捨てて結婚すること。この際パイロットじゃなくてもいいです。何これ?10年前の私ってこんなに性格悪かったの?」
バレンタイン
恋人達の日。つまり忌むべき日、チョコの狂想曲、幸せか不幸かのジャッジメントデイ。
「あんた、今日はバレンタインデーだね?」
「なんだ、改まって、チョコでもくれるのか?」
「違うよ。バレンタインにそば屋に来るような人って、みんな1人身かねぇ?」
「そうにちげぇねぇな。可哀想な奴らよ。ちょ、待てよ。
バレンタインキャンペーン、お一人様限定、蕎麦に天ぷら一品プレゼントなんてどうだい?」
「あら、あんたいいじゃない。」
こうして、お一人様天ぷらキャンペーンは大流行し、バレンタインと言えば、お一人様に天ぷらをプレゼントする日として定着致しましたとさ。
みたいなことになるといいな。