遠い日の記憶
持っている中で一番古い記憶は
幼い私がハサミで紙を切る手元を家族が少し不安そうに見守っている、そんなとりとめのないことだった
なぜ記憶に残っているのかは分からない
ただ、まっすぐに切れた紙を見た両親は私を褒めたたえた
「手先が器用だものね。上手に使えて偉いね」
なんとも誇らしい、こそばゆい気持ちになったことだけは覚えている
あの家は今どうなっているのだろうか
古びたアパート
そこにはまだ人が住んでいて、生活をして、記憶を積み上げているのだろうか
あの部屋にはどれだけの人間のどれだけの記憶が詰まっているのだろうか
全てに嫌気が差して出たあの町を毎日のように思い出す
自分の選択が正しかったのか知るすべなど無くて
いつかこの日すらも記憶になっていくどうしょうもないことに怯えている
きっと両親は、今の私が真直に紙を切れたと見せても上手だと褒めてくれるのだろう
それで私は誇らしい気持ちになれるのだろうか。
いや、きっと情けなくなってしまうのだ。
この世界は何も変わっていない、周りの人間は何も変わらない。
変わったのはただ私だけなのかもしれない。
終わりにしよう
手を取り合った僕らを止めるものはなにもない
十分に生きづらさを感じて
十分に人生を歩んできた
そんなつもりでいた
「意外ときれいじゃん」
気の抜けたような声で君は目の前に広がる景色を眺めていた
緑に囲まれた海は、有名な観光所にもなっている
僕の手を握る君の手に力がこもる
その手がすり抜けていかないように僕も力を込めた
「満足した?」
「うん、十分すぎるほどね」
僕らは生きることが不得意で
この世界はそんな僕らをどこまでも追い詰めてきた
明日のことを考えることはできなくて
全てに嫌気が差していて
ただそんな世界でも君がいることでもがく理由になりえた
「生きるよ。今を。」
死にたがりの僕に君はそう言った
きっと今の僕の表情はとても酷いものだろう
お互いに生きることに疲弊しているというのに
君は僕を生かそうとして
自分も生きようとしている
死ぬために来たつもりの僕と
今を生き永らえるために来た君
君も涙を流していた
この世界は酷く美しく酷く残酷だ
強者が生き残り弱者はどこまでも隅にいる
きっと僕らは隅にいる人間なのだろう
けれど君がいれば隅っこであろうが崖っぷちであろうが
そこが僕の世界の中心になる
死にたがるのは終わりにしよう
僕らは今を生きていかなければならない
どれだけ生きにくい世界でも
生きるのが不得意であっても
まだ隣には君がいて
僕らはここに立っている
優越感、劣等感
「今劣等感に苛まれてるでしょ。」
開いている手元の難しそうな書に目を落としたままの君
白い病室内で1つ浮いている茶色の書はページさえも色褪せているように見える
「どうしてわかるの」
「顔に書いているから」
なんとも失礼な君は書を閉じてやっとこちらに目を向けた
「大丈夫。私はね、こう思うよ。
劣等感は、自分より優れている人がいると知れた証拠
あなたは自分の今の立ち位置をしることができたのね。
けどあなたがそんな顔をしているということは多分、相手は自分より劣っている人がいるとしれて今頃優越感に浸っているでしょうね。でも、きっとその人は、何も知ることはできていないわ。」
君の言葉は、包みこむような優しさと、全て知り尽くしているような怖さがあるんだ
だからいつもその言葉を忘れないように、何度も反芻する
「けれど、情けない。この程度なのかと知らしめられた」
「優越感に浸る人間ではなくて、そうね。自分より劣っている人がいたときに、その人に寄り添える人間になれたらいいのよ。
優劣をつけるのではなく、お互いの成長を願える人間に。
そうしたら君の世界はもう少し生きやすくなる」
「もし生きやすくなったら、その時は一緒に生きてくれる?」
ふふ、と笑みを零した君の表情は柔らかかった。
君の変わる表情はこの白い世界ではどんな色にもなり得た
「それは厳しいわ。だって私はあなたに対して劣等感を抱いているもの。」
前より少し生きやすくなった僕のいるこの世界から君がいなくなったのは
風が生暖かい7月のこと。
1件のライン
【またね】
夜中3時
太陽が昇るのはまだまだ先の時間で
そんなときに来た君からのラインは
ちょうど目覚めて煙草を咥えていた僕にとって理解ができるものではなかったんだ
すぐに打ち返したラインに君は目を通しただろうか
返す気力はきっととうになかったのだろうか
煙草の灰を落とし、眠りにつく
僕は日が刺す頃にはまた画面が光ると思っていたんだ
眩しい
スマホの画面には10時の表示
数件のラインと、何件かの通知
その中に君からのものはなくて
また煙草に火をつけた
君がこの世に見切りをつけたと知ったのは
陽が染まりだした頃だった
小さな手で拙いながらも1枚ずつ丁寧にめくればそこには沢山の世界が広がっていた。めくるたびに違う世界、違う色沢山のドキドキとワクワクが詰まっている。
幼い頃から絵本が好きだった。それは小学生になっても中学生になっても、人生24年目にになろうとしている今現在も変わることはなかった。
用紙にびっしり書かれている文字を見るよりも、びっしり敷き詰められた色彩を見るのがたまらなく好きで仕方なかった。
沢山の絵本を買った。幼い頃読んだ記憶のあるものから、今話題の芸能人が手がけたものまで。大人になって忘れてしまうものを取り戻すように、子供の頃に戻れることを願うように、1枚の絵を隅から隅まで見尽くした。
心が安らぐ感覚、目の疲れが取れる感覚、絵本を見るたび何故か心臓が少し締め付けられるような感覚が襲ってくる。
いつも、この世界に飛び込みたいと、いつかは絵本の中に入りたいと思いながら読み終える。
夜10時
仕事を終え帰宅した部屋の中には数十冊の絵本が散乱している。他者から見たら異常なのかもしれない。けれど一番これが落ち着くのだから、仕方ない。
その中で特にお気に入りの1冊を手に取り、表紙を開いた。
くまの親子の話。
母グマと散歩に出かけた子グマがはぐれてしまい、泣いているところを森の動物たちが通りかがり母グマのところへ送り届けてくれる。
お礼に母グマは沢山のごちそうを振る舞い、ハッピーエンド
読み終えたところで、最後の気力を振り絞ってコーヒーをいれる。それに牛乳を多く入れて、一気に飲み干した
そのまままた絵本を抱えて、お風呂に入っていないことも着替えていないことも、明日のことも考えずに目を瞑る。
次に目が覚めるときには絵本の中の世界であることを願って。