"sweet memories"
昔から食べ物を貰う事が多かった。
和洋問わず、老若男女問わず。
飴やチョコレート、お煎餅といったお菓子系統から、おにぎりやパン等の主食系、惣菜系、畑で獲れた野菜や果物なんかもよく貰った。
そんなに食に困っているように見えたのかねぇ。
まぁそれほど食べる方ではないから大部分はそのまま横流ししていたけど。
貰ったものは全て検閲(祖父母)を通すようにと厳命されていた。問題がありそうな物は自分で判断出来る、と言ってもそこは頑として譲ってくれなかった。
食べ物をくれてもそれが良い人とは限らないよ、と。
簡単に懐いてついて行ったら駄目だからね、と。
祖父母からはいつも、何歳児だというような注意を懇々とされていた。
食べ物を貰う僕を、"餌付けされてる…"と表現したのは貴女だ。
僕をじっと眺めた貴女は、うむ、と重々しく頷いて、
"君は餌付けしたくなる雰囲気を醸し出しているからなぁ"と語った。
どんな雰囲気だよ。
最初期、貴女も事あるごとに飴を渡してきたこと、忘れてないんだからな。
渋い顔をする僕に、貴女は手元のケーキを一欠片差し出す。パクリと頬張ると、
"わたしの餌付けは成功したようだ"と、貴女はにんまり笑ってそう言った。
"風と"
"月に叢雲 花に風"という言葉がある。
この言葉の中では、雲と風は折角の月や花を台無しにする邪魔者とされている。
その一方で、
" 雲のかかるは月のため 風の散らすは花のため
雲と風とのありてこそ 月と花とは尊とけれ"
という熊沢蕃山の歌がある。
ここでは、雲と風は月や花の存在を際立たせる名脇役だ。
何を邪魔と思うのかは人それぞれ。
まぁ、個々の生きている世界・見ている景色は違うから、当然感じることも違っているだろう。他人の考えを否定はしないけど、一概に肯定もしないよ。
だから無理に同意を求めないでほしい。
同調圧力って本当面倒だ。
"軌跡"
軌跡とは、与えられた条件を満たす点が動いてできる図形(集合)のことをいう。
数学懐かしいなぁ。
ある1点からの距離が等しい全ての点の集合が円なんだよね。
そういえば、事件現場なんかで人垣ができる時って、なんでみんな大体同じくらいの距離を保って取り囲むんだろうね。そういう習性でもあるんだろうか。
中心の人物だけを残してぽっかり空いた綺麗な円形の空間がいつも不思議だ。
"好きになれない、嫌いになれない"
"好きでもないし嫌いでもない"ものは、
いつだって笑って手放すことができた。
どうだっていいし、どうなってもいい。
感慨を抱く程の執着もなく、その根底に横たわるのはひたすらに無関心だけだった。
"好きになれないけど嫌いになれない"ものは、
簡単には切り捨てることができない。
ちょっとしたニュアンスの違いだけど、"なれない"と思ってしまっている時点で心が動いている証だろう。
貴女と接するようになってから、徐々にそういうものが増えていったように思う。
自分自身ではなんとも思わなくとも、
貴女が好きだと/嫌いだと言っていたなぁ、と気に留めるようになった。
"夜が明けた。"
せっかくの休みの日なのに、いつもと同じ時間に目が覚めてしまった。
習慣って怖い。
時間があるので、戸棚に眠っていた頂き物の茶葉缶を使ってロイヤルミルクティーを作ることにした。
鍋で沸騰させた水に茶葉を投入。
少し蒸らして、牛乳を加えて混ぜながら更に加熱。
沸騰直前に火を止めて5分蒸らし、茶漉しでこしたら出来上がり。
通常のミルクティーは後から牛乳を加える。
ロイヤルミルクティーは茶葉を牛乳で煮出すからその分手間がかかるけど、のんびりしたい時に作ると満足度があがるんだよね。
鍋の中の液体がふつふつしてくる様子を眺めたり、頬杖をつきながら砂時計の砂が落ちるのを待っている時間は嫌いじゃない。
さて、飲み物も完成した事だし、今日は何を読もうかな。