"明日に向かって歩く、でも"
生きることは素晴らしくて。
命は誰しも尊くて。
それが正しければ、良かったのにね。
物語が好きだった。
人をきちんと判別できるから。
当たり前のことを当たり前のように感じて。
当たり前のものを当たり前のように受け入れることができるから。
普通でも、異常でも、物語の中ならばその全てが正しくて。
現実とは違う世界で、常識すら異なる場所で、ここじゃないどこかで。
そこでなら、こんな僕でも
まともに生きていてもいいんじゃないかと思えたんだ。
貴女は僕にとって、物語そのものだった。
喜びも、怒りも、悲しみも、それらを表現する事も。当たり前を全部教えてくれたのは貴女だった。
明日に向かって歩く。
でも、なんのために?
きっと、貴女がいたら答えられただろうね。
"ただひとりの君へ"
毎年、貴女の写真立ての前に白い彼岸花を捧げる。
よく見かける赤い花と違って、白い花はなかなか見つからない。同じ花ばかりを探し求める最近は、球根を買ってきて自分で栽培するかどうか検討中だ。
彼岸花は毒性が強く、手向けの花として適さないとされている。
だけど。
誰に不謹慎だと言われようが、きっと貴女だけはいつものように、にんまり笑ってくれるだろう。
いままでも、これから先も。
"思うは貴女ひとり"。
"手のひらの宇宙"
宇宙ガラスというものがある。
小さな硝子玉の中に、螺旋状に輝く銀河とぽっかり浮かぶ極小の惑星が詰め込まれた芸術作品だ。
偶然入った展示会で見つけた瞬間、貴女は魅入られたようにガラスケースの前に立ち尽くし、随分と長い間その場を離れなかった。
普段は殆ど美術品に興味を示さなかった貴女が、あそこまで一つの作品に惹きつけられたのは、後にも先にあれだけだ。
出口近くで展示品の販売も行われていたが、値札を一瞥した貴女は力無く首を振る。
小さくとも"宇宙"を所有するには、それ相応の対価が必要だったのだ。
一年後、貴女の誕生日に小さな箱を渡した。
中を見た貴女は、瞳を輝かせて、いつまでもいつまでも手のひらの宇宙に魅入っていた。
"風のいたずら"
着ぐるみから赤い風船を貰った子供が、目の前を走っていった。
親御さんと手を繋ごうとした際、あっ、と声がして風船が飛んでいくのが見えた。
風のいたずらか、木に絡まって止まった風船を見て、子供が泣いている。
親御さんは、それほど飛ばされずに済んで良かったと、すぐに取ってあげるからねと、子供を慰めていた。
空に溶け込むことも出来ず、中途半端な位置でゆらゆら揺れている風船。
木々の緑の中にポツンと混ざった赤がひどく場違いで、哀れに思った。
"透明な涙"
夜中にふと目を覚ますと、
枕元に彼女が座っていた。
電気の消えた部屋の中、
窓から差し込む月の光がやけに明るくて。
彼女は目を覚ました僕に気付かず、ただ月を見上げて泣いていた。
声もなく、静かに涙を流す姿を見て。
もう終わりなんだなぁと、訳もなく悟った。
どれくらいの時間が経っただろう。
眠りに落ちる寸前。
頑張れなくてごめんね、と。
僕じゃない誰かの名前を呟く声が、聞こえた。