大人になって気づいた。
世界は嘘だらけで、他人は無条件に優しいなんてことはない。
信じてたものに裏切られるのは日常茶飯事で、いつだって、謂れのない嫉妬と妬みを受け続ける。
「こんなの、知りたくなったなぁ」
草木も眠る静かな夜に、積み重なった書類とともに、明るい液晶を睨みながら、ぽつりとつぶやいた。
どんなに体が大きくなろうと、僕は、まだ────。
〈子供のままで〉
「ねぇねぇ、このちょうちょさんの名前ってなあに?」
娘が買ってもらったばかりの図鑑を指差しながら、俺にみせてきた。そこには小さくて可愛らしい蝶々が一匹。真っ白な羽に黒い模様がぽつんとある。写真の下には“モンシロチョウ”と記載されているのだが、小学校にあがったばかりの娘には読めなかったらしい。
「モンシロチョウだよ。モンシロチョウ」
俺は引き出しからメモを取り出して、ひらがなで“もんしろちょう”と書いた。すると娘は「そうなんだあ!」」と嬉しそうに目を輝かせた。
「今日ね、この子がっこうで見たの! ひらひら〜ってね!」
そうして娘は今日あったことを話してくれた。誰それと昼休みに遊んだとか、宿題ノートに花丸貰えたとか。身振り手振りしながら楽しそうに話す姿がとても愛らしかった。
「そうだ! 今度の日曜日に公園に行ったらこの子に会えるかな?」
「あぁ、会えるかも────」
────と、言葉にして、ハッとする。
「やったぁ! じゃあ今度の日曜日はぁ、絶対公園行こうね!」
なんとも巧妙な手口で週末のおでかけを約束してしまった。妻になんて言われるだろうか。しかし、娘の笑顔を見ると何も言えるわけがないのだ。
俺は妻にどう言い訳しようか考えながら、娘と妻の帰りを待っていた。
真っ赤な太陽を背にした幼馴染は僕に言った。
「実はずっと言えなかったんだ」
生ぬるい風が肌に触れ、カナカナと虫の声が聞こえるとある日のこと。久しぶりに会った幼馴染と談笑していた帰り道。蒸し暑い夕暮れに、じわりと汗が滲み、僕は息を呑んだ。
彼女からただならぬ雰囲気を感じ取ったからだ。
「だけど、いいんだぁ。もう終わることだし」
何を言っているのか、僕にはわからなかった。だから何も言い出せなかった。僕には彼女の表情はよく見えない。それでも声のトーンからひどく悲しそうなのは伝わった。
「楽しかったよ、ごめんね。ばいばい」
彼女は一方的にそう言うと、僕を置いて走り出してしまった。
翌日、彼女が転校したことを知った。
数年経った今でも、あの彼女の声が耳から離れない。
《忘れられない、いつまでも》
人の考えなんざころりと変わるものだ。
数分前は、「夕飯はカレーがいいね」と言ってたのに、「やっぱお寿司にしようか」なんて言うんだもの。
だから、その何倍もの時間をかけたらもっと簡単に変わってしまう。
誰だってそうなんだ。たとえ、君であっても。
「だからね。そんな先の約束なんて守れっこないよ」
“来年の今日にまた此処で会えたら結婚してよ”
そんな馬鹿みたいな冗談を言う君に僕は嫌味ったらしくそう吐き捨てた。だけど、君はいつものようにニヤリと笑ったんだ。
「分かった。じゃあ、逢えたら絶対約束守ってね」
得意げに笑った君を僕は心の底で見下してたんだ。
絶対に僕のことなんか忘れるくせにと。
────そして、今日は。
「ほらね。私、約束は守るんだから」
少しだけ大人びた君が、あの日と変わらない笑顔を向けて僕の前に立っていた。
《一年後》