今日子供と一緒に外出した時、寒いから子供にニット帽を被せた。
わたしは帽子と子供という二つの要素からか、それとも単なる偶然なのか、突然幼少期の記憶が呼び覚まされた。
その思い出は今から遠い夏のこと。どこか公園にでも出かけた時、私はピンク色のかわいい帽子を被ってる姉を見て欲しいと思ったのだろうか、じっとその帽子を見ていた。すると姉が言った。
「あんたのやつもあるでしょ?それをつけなよ!」
帽子って不思議だ。見てるだけだと、なんだか違和感なく同化しているように見える。どんな奇抜で大きな帽子でも、頭につけた途端、観察者はその帽子の重さを忘れてしまう。だけど、実際に被るとなんだか頭が覆われる感じが気持ち悪い。視界も狭くなって鬱陶しい。
姉と一緒に買ってもらったやつがあったのだが、着けるとその違和感で耐えられなくなってしまう。ただ、帽子が邪魔だった。だから、被ってもすぐ脱いでしまう。そのまま夏の光線に晒された私は、その日の風呂で日焼けの恐ろしさを知った。だけど、たとえその痛さを知っていたとしても、間違いなくわたしは日焼けする方を選んだだろう。それだけ帽子が嫌いになっていた。
ちなみに今でも帽子は苦手だ。日差しが強い夏以外は帽子は被らない。
ふと見ると、子供がぼさぼさの頭を出している。不満げな顔で、ニット帽を丸くちっちゃな手でぐちゃぐちゃにしていた。そして、くしゃみを一つ。
「ほら、寒いんだから帽子をかぶって」
と言って帽子を渡しても、ぶるんぶるん顔を振って拒否する。
血は争えないなぁ、とため息をつきながらニット帽を受け取り、何もかぶってない自分の頭をかいた。
今度、4年ぶりに親戚の家に遊びに行くことになった。
そのときに従兄弟とも会うだろう。前会った時、従兄弟は三年生くらいの腕白坊主だった。
あの夏は今年よりも酷暑で、蚊があまりいなかった。そんな中でも、蝉は求愛の歌を続けていて、その暑さも相まってから、その合唱はいつもより切実に聞こえた。そんな必死な声が、締め切った窓によって微かに聞こえるだけになり、クーラーによって涼しくなった部屋で私は従兄弟と話してた。
その部屋は子供部屋で、マメな叔母さんが掃除しているからだろう、よく整頓されていたが、よく見ると玩具箱の近くでキャラクターのフィギュアや変身ベルトが散乱している。カーテンからは夏の強すぎる、しかしクーラーで獰猛さを失った光がさし、その玩具箱を照らしていた。
「ねえねえさっちゃん(私の渾名)、ネコネズミって知ってる?」
「なにそれ、知らない」
「スマホ貸して」
スマホを貸すと、素早く検索窓にそのワードを入れた。その素早さに、高校になってようやく初めてスマホを持った私は現代っ子だ…と軽いジェネレーションギャップを感じつつ、その画像を見てみる。そこには青い猫とネズミが組み合わさったようなキャラクターが笑ってる。どうやらゲームのキャラクターらしい。そういえば、スーパーの花火コーナーにこのキャラクターがプリントされた花火が売ってたような気がする。
「かわいい!これが今クラスで流行ってるの?」
「さっちゃん、知らないの?みんなやってるよ!可愛いんじゃないよ!かっこいいの!ここから冷凍光線出すんだよ!いま見せるから待ってて」
と部屋の外に出て行き、ドタドタと大きな足音を立てて階段を降りていった。そして下から、
「ねぇねぇ母さん、ゲームしていい?」
と聞こえてきた。
下の階で私の母親と話してた叔母さんは呆れて、1時間までだからねっ!と言うのが聞こえた。
許可をもらってきた従兄弟は、息を切らしながらゲームを持ってきて、その指紋だらけのゲームの画面に指紋を増やしながら私に色々と丁寧に講義してくれた。
その日の夕方、私が帰る時に叔母さん一家が駅まで見送りについてきてくれた。寂しそうにしてるのを悟られまいと、従兄弟はその真っ赤な顔を私から背けていた。その様子を見て、私も懐かしさと寂しさを感じて、昼間紹介してもらったキャラクターがプリントされてるお菓子を駅で買ってあげた。すると、
「わぁ!」
目って本当にこんなに輝くんだ、とびっくりするほど輝かせて、喜んでくれた。そして、お菓子をもらったことを叔母さんに伝えに行った。叔母さんは
「あらあら、ありがとね、さっちゃん。
あんた、ちゃんとお礼は言ったの?」
すると、むくれた顔でぶっきらぼうに、
「言ったよ!ありがとう!」
と言ったから、私は
「ちゃんと言ってくれたよね〜!
じゃあ、またね!また次会った時も話そうね」
「うん!」
駅の改札で振り返ると、従兄弟は大きく手を振っていた。妹だった私は、家ではずっと面倒を見られる側だったから、年が離れた弟ができたような充足を感じながら、電車に向かって行った。その途中、振り返るといつまでも手を振ってくれた。その姿はだんだんと小さくなっていく。
そんな美しく普遍的で日常的な一コマを思い出しながら、私は電車に揺られていた。
元気かな、もうあのキャラクターは流行ってないだろうな、そういえば中学生だ、もうあの時みたいに話してくれないかな…と取り止めのないことを思っていると、駅に到着したことを告げるアナウンスがかかった。
ああ、もう降りないとな。
そして電車を降りて改札に向かうと、叔母さんと一緒に従兄弟が迎えにきてくれていた。私の胸くらいのところにあった頭が私の頭よりも上にあった。そして、私を一瞬見て恥ずかしそうに、にきびで真っ赤な顔を背けながらも、わずかに手を振った。
他人の子は成長が速いとは、理屈では分かってた。しかし実際にその成長を目にしたときにはやはり驚きを感じるものだ。その隠しきれない驚きと、4年前の別れ際にそっくりな俯いた姿勢に朧げな懐かしさを感じて、思わず大きな声で言った。
「わあ!」
すると従兄弟は照れくさそうに、低くなりかけてかすれた声で言った。
「久しぶりですね…」
なんで敬語なんだよ!って思いながら微笑んだ。
明日に向かって歩く、でもそのテーマで書こうとして、気づいたら明日の朝になっていた。
小さい頃、私は拡大鏡が好きだった。拡大鏡でものを見ると、なんだか空から景色を見下ろしているように感じがして、ミクロな空中遊泳を楽しんでいた。
ブツブツみかん星、すべすべりんご木星、、、
ホコリを見るとなんだかよくわからないけど、キラキラしてガスみたいだ、ホコリ星雲かな…?
そこでふと自分の手を見たことがないことに気がついた。自分の手に拡大鏡を当ててみる。白い光に照らされた皮膚の組織は透けて見えて、まるで自分の意思とは別に生きているもののように見えた。そこでは指紋の谷が入り組んでいた。そして医師が聴診器を移動させるように、拡大鏡を念入りに手を移動していく。
複雑な指紋の谷はすぐに見えなくなり、単純なシワの谷がしばらく続いていた。思っていたより単調な風景に飽きて、そろそろ他の星の観察へ移ろうかと思った時、突然異質なものが視界に入った。
それは、黒々としていて、まるでぶっといケーブルのようなものだった。拡大鏡を離して見てみると一本の毛が生えている。私は手のそこの部分に毛が生えているなんて知らなかったから、自分の体に見たことがない部分があるという不思議を突然感じた。そして手を少し離して、占い師が手相を見るかのように自分の手を凝視してみた。
そこには見たことのない血管、手の皺、関節の筋が見えた気がする。「まるで見知らぬ宇宙のようだ」と思った気がするが、おそらくそんなことを思うにはあまりにも幼かった。もっと単純で、あまり多くの言葉を知らない時期の特権である、第六感とも言おうか、言葉におこすにはあまりにも純粋で曖昧な感情が湧いていた気がする。でも、今その感情を思い出すことすらとても難しく、それをここで表すにしても陳腐でポエティックな言葉で捻り起こすのが精一杯だった。
風が頬を掠める。
この風はどこからきた風だろうか?
木々の枝を揺らし、葉と遊んでいたのかもしれない。
遠くの草原を駆け抜けて、空飛ぶ鳥と追いかけっこをしたのかもしれない。
街行く人を冷えさせて「おお、寒い!」と言わしめているのかもしれない。
その一方で、共通試験終わりの受験生の疲れた心を浄化し寄り添っているのかもしれない。
そんないたずらな風が私を掠め、意味のない言葉を私の耳元で囁いた。そして、私の脇を、髪の毛の間を、足の間を駆け抜けていく。ただ、私を通過したという誰にも伝わるはずのない事実を背負って。
私は整えたはずの髪がすっかり乱れていることに気づいて微笑んだ。