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今日子供と一緒に外出した時、寒いから子供にニット帽を被せた。
わたしは帽子と子供という二つの要素からか、それとも単なる偶然なのか、突然幼少期の記憶が呼び覚まされた。

その思い出は今から遠い夏のこと。どこか公園にでも出かけた時、私はピンク色のかわいい帽子を被ってる姉を見て欲しいと思ったのだろうか、じっとその帽子を見ていた。すると姉が言った。
「あんたのやつもあるでしょ?それをつけなよ!」

帽子って不思議だ。見てるだけだと、なんだか違和感なく同化しているように見える。どんな奇抜で大きな帽子でも、頭につけた途端、観察者はその帽子の重さを忘れてしまう。だけど、実際に被るとなんだか頭が覆われる感じが気持ち悪い。視界も狭くなって鬱陶しい。

姉と一緒に買ってもらったやつがあったのだが、着けるとその違和感で耐えられなくなってしまう。ただ、帽子が邪魔だった。だから、被ってもすぐ脱いでしまう。そのまま夏の光線に晒された私は、その日の風呂で日焼けの恐ろしさを知った。だけど、たとえその痛さを知っていたとしても、間違いなくわたしは日焼けする方を選んだだろう。それだけ帽子が嫌いになっていた。

ちなみに今でも帽子は苦手だ。日差しが強い夏以外は帽子は被らない。
ふと見ると、子供がぼさぼさの頭を出している。不満げな顔で、ニット帽を丸くちっちゃな手でぐちゃぐちゃにしていた。そして、くしゃみを一つ。
「ほら、寒いんだから帽子をかぶって」
と言って帽子を渡しても、ぶるんぶるん顔を振って拒否する。
血は争えないなぁ、とため息をつきながらニット帽を受け取り、何もかぶってない自分の頭をかいた。

1/28/2025, 1:27:13 PM