冬支度
赤く色づいた木々からまるで寿命を終えたかのように落ちていく葉が地面に積もり始めている。木々の枝の間にシマリスたちが忙しく歩いている。そう、冬支度の時期なのだ。
おや、あそこの枝の上に二匹のシマリスが朝日を浴びてのんびり日向ぼっこをしている。こんなに忙しい時期なのに何をしているのだろうか?
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彼とあれこれ近況話している間に冬支度の話になった。彼はなんともう冬支度が終わっているという。彼はマイペースな私を焦らせる。
「君はまだ終わってないの?やばくない?」
「そんなに急かさないでおくれ。去年も今から始めて何とかなったんだから」
彼は苦笑してその大きなしっぽを震わした。彼は生まれつきふくよかだった。私は急かしてくる彼に対してムッとしたが、話を続けた。
「食べ物はどのくらい蓄えた?」
「俺はたくさん食べるからなぁ。皆よりも多めに蓄えたよ。」
「はぇーまめだなぁ。君はすごいな」
彼は得意げに頷いた。でも、何だか彼だけが得意げになって終わるなんて気に食わない。だから
「でも、去年みたいになるなよ」
と揶揄ってやった。一年前、彼は今年のように用意周到に準備を進めていたのだが、どこに食料を隠したのかを忘れてしまったのだ。そこから、私と一緒に食料を集めて何とか冬を越すことができたのだ。
「いや、大丈夫だよ!だって、今年に関しては何を集めたかも覚えている。俺の顔と同じくらいの大きさのどんぐりを拾ったんだぜ。お前に見せてやりたいぐらいだ。」
そこから、彼の自慢が始まった。
「こんなに大きなミミズだって仕留めたんだぜ。あの時は、大変だった。なにしろ奴らはすぐに土の中に入っちまうから」
得意げに笑って熱を帯びた彼の話を聞きながら、私は周りを見渡してぼんやりと秋の風景に見惚れていた。暖かい落ち葉と土の匂い、目が覚める涼しさ、そして何より地面に散らばる御馳走(どんぐり)…
すると、突然、パシッ、と軽い音が鳴ったかと思うと、彼がいなくなっていることに気がついた。ふと朝日の方を見るとそこには木菟が飛んでいた。たくましい足には何か塊を掴んでいる。私は本能に従い、何かを感じる前に走っていた。必死に走り、何とか木の幹の中に逃げることができた。
束の間の安心で体が温まったと同時に、突然体が震え上がる。今起こったことがいかに恐ろしいことなのかが身に染みるようにわかった。
なんて皮肉だ。懸命に生きていた彼が死に、のんびりしている私が生き残るなんて。
でも、私は自分に残されている時間があまりないことに気がついた。泣かなかった。我々野生動物に涙を流す暇はない。
私は震える足を引っ張ってどんぐり集めの旅へと出掛けていく。落ち葉の積もった地面は冷たく、また踏みしめることもできないほど柔らかかった…
私はその年の冬を何とか越すことができた。次の年の春には縁あって子供もできた。しかし、この冬の眠りの浅かったことは今でも思い出しては嫌な気分になる。ずっと悪夢を見ていた。だけど、その内容は覚えていない。
今年も夏が来る。
淡い夏の匂い、それは私にとって失われたものの匂い。
ラジオ体操の参加賞が欲しいために早起きした時の匂い、近所の公園へセミを捕まえにいく時に嗅いだ夕立を感じさせる甘く重い匂い、あまり馴染むことができなかった部活のひなびた合宿場の窓を開けた時の埃の匂い、競争相手を蹴落とすために早起きして勉強していた時の鼻が通るような匂い…
それはまったく良かったわけでも、素晴らしかったわけでもないけど、それぞれが日常の匂いとして記憶に残っている。
今年の夏の匂いも思い出すことがあるのだろうか?何にもない夏が?こんなにも息が詰まるような苦しい夏が?
ああ、懐古ばかりしちゃ仕方ないな。
だけど、いつか思い出した時、今日私が過去の夏の香りを思い出した時のような気持ちになれるといいな。恥ずかしがったり、懐かしがったり、笑い飛ばせるようになってるといいな。
休日の午後、リビングで寝転がっていたら、カーテンが風でハタハタと揺れているのを見た。そして、風が私の腹の上に涼しく軽い足跡を残しながら駆ける。
それだけで十分だ。なんだかいい風景が見れた気がして、そのまま穏やかな気分で午睡に入る。なにも、思い悩むこともなくただ無心に、睡眠の世界へと自由落下していく。
ああ、幸せだ。
……と、平日の仕事中にオフィスの窓にかかる、いやに清潔なカーテンを眺めて休日の香りを思い出すことがある。
本当に嫌になっちゃう。
でも、その時なぜか遠い記憶を眺めるような懐かしい気がするものだ。
あなた誰?
ある退屈な午後。冷たい雨が降り注ぐ中、私は喫茶店でコーヒーを飲んでいた。そして、時間を潰そうと持ってきた本を読もうとしたが、いざその本を開くと眠気が襲ってきた。
こくり、こくり、と船を漕ぎながら、3,40分くらい経っただろうか。ふと起きて、生ぬるいコーヒーを啜っていたときに横から、
「やあやあ、どうも遅れてしまって申し訳ございません!
来る途中に実は犬に追いかけられてしまいまして。
ええ、ええ、ポメラニアンってやつでしょうか?
そう、もふもふのやつ。ああ、参ってしまったらありゃし
ない!あんな可愛い顔してながら、意外と噛む力が強いん
だ。
なんて躾がなってないんだ、って思ってね。せめてその飼
い主の顔を見てやろうって思って、視線をあげて見てみた
んですよ。そしたらあなた、びっくりいま話題の…」
眼鏡をつけた気弱そうな大きく太った知らない男が申し訳なさそうに俯きながら、わたしは何も答えていないのに、あたかもわたしが「どんな犬だったの?」、「ああ、ポメラニアンね」と返事しているかのように、高めの声でマシンガンのように話し続けてる。
なんだか、続きが気になる話じゃないか。だけど生憎人違いだ。このまま喋らせてしまうのも申し訳ないから、
「ごめんなさい!人違いですよ」
といった。すると、そのおっちょこちょいな男はギョッと見開いた目でわたしの目を直視し、大きな声で、
「ヒャアア!すみません!」
って言って顔を真っ赤に染めて去っていった。
果たして彼は約束の相手にわたしに話してくれた同じテンションで話をできただろうか?犬の飼い主は誰だったのだろうか?そもそも、こんな寒い雨の中あの大男を襲ったポメラニアンってどんな子だろうか?
なんだか、退屈が紛れた気がして、2-3ページほどしか読み進めなかった本にしおりをさして、席を立った。
際限のない青、吸い込むような青。
包みこむような青、落ちてきそうな青。
掴めない青、だけど確かにある青。
ただ、青く…遠く…
見ているだけで怖くなりそうな、だけど優しい青。
そんな青を鳥が、飛行機が、雲が割いていく。
そんな空に包まれたい。わたしもこの青に包まれながら青を割きたい。鳥たちのように…
そうだ今度空を見渡せる場所へ行こう
灰色のビルですっかり遠くなってしまった都会の空がガラスの反射してるのを見て思う。