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8/15/2025, 10:36:54 AM

【!マークじゃ足りない感情】

俺は子どものころから、趣味で漫画を描いてきた。
描いているのはずっと同じ、オリジナルキャラクターの魔法少女「マジカルちゃん」の漫画だ。

頭に思い描いている、世界一の美少女マジカルちゃんのルックスを再現するため、俺は密かに努力を続けてきた。学校が終わって帰宅したあとは勉強もそっちのけで夜中まで絵の練習を続けていたし、社会人になってからも仕事で疲れて眠い中、画力向上に努めている。

ストーリーについても、マジカルちゃんの魅力を最大限に活かせる展開を考え、試行錯誤を続けてきた。
俺は現実で一度も彼女ができたことがないが、マジカルちゃんのことはかわいくて優しい、理想の美少女として描いてきた。男にモテるが、そんなヤツらは相手にせず、生まれたときから作者である俺のことだけが好きという設定だ。
マジカルちゃんは作者の俺のことが好きだが、住む世界が違うために出会うことができず、俺の声を聞くこともできない。それでも健気に俺を愛し、俺に自分が活躍しているところを見せるため、魔法少女として敵と戦っているのである。

我ながら気色悪いと思うし、俺はもう大人なのになにをやっているのかという気持ちもあるが、家にあるノートに描いた漫画を一人で読んで楽しんでいるだけだから、誰にも迷惑はかけていない。俺は子どものころと同じように、マジカルちゃんの漫画を描き続けた。

そしてある日、俺の理想の「マジカルちゃん」の漫画が完成した。絵はこれまでにないほど上手く綺麗に描けて、とてもいい場面を描写できた。ストーリーも今までで一番面白く、それでいて切なくて美しい。
漫画の出来に満足した俺はついに、マジカルちゃんに俺の声が届くという展開をプレゼントすることにした。

それから俺は、作者である俺が「マジカルちゃん」と優しく呼びかけると、驚いたマジカルちゃんが「!」と反応し、俺が「やっと声を聞いてもらえた」「よく頑張ったね」「これからも頑張ってね」などと話しかけるが、マジカルちゃんは赤面してなにも言うことができないまま、また俺の声を聞くことができなくなる……という漫画を描いていたのだが。

「ねえ。『!』マーク一つじゃ、全然足りないよ。わたし、お話したいこと、いっぱいあるよ」
「……え?」

ペンを走らせていたら、俺にとって最上級にかわいい声が聞こえてきて鳥肌がたった。確かに自分が漫画を描いているノートから聞こえてきたけれど、そこにはマジカルちゃんと「!」とだけ書かれた吹き出しがあるだけだった。

俺は吹き出しの中の「!」を消しゴムで消して、マジカルちゃんのためにじっと考えた。マジカルちゃんの「!」マークだけじゃ足りない感情を表現できるのは、俺だけだ。

8/14/2025, 11:16:59 AM

【君が見た景色】

君は僕よりずっと小さかった
いつも僕を見上げていた
棚の上にある赤い箱も
本棚の最上段にある分厚い辞書も
僕にはすぐに確かめられるけれど
君からは見えなかっただろう

君には高くて届かないものがいっぱいあったし
僕に頼まないとできないこともあったが
僕はそんな君がかわいくて大好きだった

だけど僕には見えていないものがあった
君はいつも僕が
自分のことを見下してくるのが嫌だと言った
僕にそんなつもりはなかった
だけど
君からしてみれば
いつもしてやっているという態度を取られたり
高いところに手が届かないのを見て笑われたり
その繰り返しが苦痛だったらしい

納得できなかったが、君に言われるまま別れた
肩を落とし、膝を押さえて項垂れて
偶然にも君の背と同じくらいの高さになったことに気付き
ふと顔を上げる
棚の一番上、置いてあった赤い箱が見えた

8/13/2025, 10:38:38 AM

【言葉にならないもの】

私は昔、母に捨てられた
5歳のころのことだが、母の姿を朧げに覚えている
私の頭を撫でて優しい顔で笑い
そしてどこかへ行ってしまった
母の顔は覚えていないのに
私と別れるときに笑顔だったことは覚えていた

幼かった私は
母はいつものようにすぐ帰ってくると思っていた
近所に買い物に行ったときのように

このごろ母がよく私を一人にするなと
幼心に思っていた
はじめは寂しかったが
新しいおもちゃや楽しいテレビ番組が
私を自然と留守番に慣れさせた
母が私を置いて消えたのは
私がちょうど留守番を苦だと思わなくなったころのことだった

それから、仕事に打ち込んでいた父と私の二人での生活がはじまった
私の面倒を見る時間をできるだけ確保するため
父は好きだった仕事をやめて転職した
父と私はうまくいかない時期もあったが、今はそれを乗り越えて仲良く暮らしていた

そして、私は母が帰らないうちに成人を迎えた
母がいなくても、父や周りの大人のお陰でここまで生きてこられた
けれど、ある日
父が母と連絡が取れたと言ってきた
お前に会いたいと言っている、とも

正直に言えば、今さらなにを言っているんだと思った
父と私が辛かった時期も寂しかったときも
連絡も寄越さなければ会いにもこなかった

小学生のころ
授業参観にみんなのお母さんが来ていても
私のところには誰も来なかった
一度、父が仕事の合間を縫ってなんとか来てくれたこともあったが
走ってきたせいで息の荒い父の姿を見て、
クラスのみんなが馬鹿にしたように笑っていたときは悔しかった

そのあと、父が授業参観に来ることはなかった
父は、お前がまた恥ずかしい思いをすることになるだろ、と言って笑っていたが
私はただただ、悔しかった

うちにも「お母さん」がいればよかったのにと思った
そうすれば、父が嫌な思いをすることはなかった
クラスの子に「お前の家だけお父さんが来てる」なんて揶揄われることもなかっただろう

でも、母はなにも知らない
家のすべてを放棄して
「お母さん」であることも「妻」であることもやめて
勝手にいなくなった
そして父や私がこれまで
どんな思いをしてきたかも知らないのだ

それなのに、今さら
どんな面をして父や私の前に現れるのだろう
そう思ったけれど
父はすでに母と会う日を決めていた
そういえば父の方が母に惚れ込んで結婚したのだと聞いたことがあった
お前もお母さんに会うか? と聞かれて
私の中の寂しさと怒りを天秤にかけたら
ほんの少し、ほんの少しだけ
寂しさが勝ったから
会うことにした

15年ぶりに会った母は
そこらへんにいるおばさんだった
どこにでもいそうな
どんな町にでも溶け込みそうな
明日には顔さえ忘れていそうな
ありふれたおばさんだった
だけど確かに、私を捨てたあの人だった
それだけは分かってしまった
嬉しいのか、腹立たしいのか、悲しいのか、懐かしいのか
混乱しているのか、冷静なのか、興奮しているのか、歓喜しているのか
全部が胸の中でごちゃごちゃになって
言葉にならないものが込み上げてくる
なにかを言いたいのに
言ってやりたいのに
なにも言葉にならず
口を開けては閉じて
ただ呼吸をした

私は生きている
あなたはずっといなかったけれど
あなたの前で呼吸をしている
あなたにぶつける言葉を見つけられないまま
ただ息をしている
言葉にならない想いを抱えて
あなたを見つめている

8/12/2025, 10:47:01 AM

【真夏の記憶】

フラフラするほど日差しが強い日
俺は海に入り、友達と三人で水を掛け合っていた
はしゃいで騒いで笑っていたら
そのうち頭がクラっとして
やばい、と思った瞬間に水の中へ倒れていた
海の水を飲みながら踠いていたが
友達はふざけていると思ったようで
助けには来なかった

それからしばらくして
友達が俺を呼ぶ声が聞こえてきた
けれど俺は海の水と一体化したような感覚になり
声を出せず体も動かなかった

そのあとの記憶はない
今の俺は、海そのものになったのかもしれない
夏になると、俺の中には
家族連れや仲間同士で遊びに来た人が入ってくる
そして毎年、海には入らず砂浜までやってくる二人がいる
俺の友達だ
目を閉じ、静かに手を合わせて
思い出話を少ししてから帰っていく

二人と海で遊んだあの日は
本当に楽しかったな
苦しかったことは
不思議と全然覚えてないな
今日も真夏の記憶を懐かしく思い返す
白髪頭で腰の曲がった二人の背中を見送りながら
俺は穏やかな波を起こし
さよならを波音で奏でた

8/11/2025, 5:52:56 PM

【こぼれたアイスクリーム】

ベンチに二人
誰にも言えない悩みとか
密かな苦しみとか
ついつい話し込んじゃって
気づけば手の中のアイスクリームは
すっかり溶けていた
コーンからこぼれるそれは
甘く冷たく物悲しく
食べられるために作られたのに
食べられることなく芝生へと落ちていく
こぼれたアイスクリームが報われないように
僕がいくら悩みに耳を傾けても
苦しみを受け止めても
やっぱり君を救い出せない
君の笑顔を見たかったのは
僕もアイスクリームも同じだったのに
思い通りにはいかないみたいだ

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