「いいな。いきなりとか、なんの前触れもなくとか、そんな具合に決別が訪れるひとは。ボクは生まれてからずっと、誰かと出会った瞬間、そのひとの背後にいつどんなふうにさよならするかが書いてあったから、会った瞬間からお別れの気分だよ」
内緒だよ、とくちびるの前に人差し指を立てる朗らかな笑顔を、呆然と眺める。
ねえ、私の背後には、なんと書いてあるの?
(突然の別れ)
眠れない夜に食べるコーヒーゼリーは、夜の味がすると思う。言うまでもないが、ミルクなんて入れない。
そんなことを考えていたせいかは知らないが、先程から食べても食べても、ゼリーがいっこうに終わらない。鋭く光る銀のスプーンで夜闇を掘り進めていくのに、どこまで掬っても底に辿り着かない。
明けない夜はない、と誰でもいいから月並みな台詞をちょうだい。カーテンの隙間から見えた満月に、ベ、と舌を出してやった。
(真夜中)
人でごった返す駅の改札を通り抜け、新幹線切符売り場横の店の自動ドアをくぐった。
入ってすぐの券売機の前で立ち止まり、制服のカーディガンのポケットに入っていた小銭を数枚投入する。並ぶボタンの上を視線でなぞった。
〖家族愛〗〖親愛〗〖友愛〗〖恋愛〗〖おまかせ〗
「おまかせ」のボタンだけが古びてヒビ割れている。私もそれを押した。
みんな、何が欲しいのか意外と分かっていないのね、となぜだか安堵した。
(愛があればなんでもできる?)
メーデーメーデー。
目覚めと同時に呟いた言葉に、特に意味はない。強いて言うなら、今日も声が出るかの確認作業だろうか。
窓の外は、依然として漆黒のまま。
特殊硝子を隔てた向こうは、人が生身で存在できない絶対零度の闇なのだということも、時々自分に言い聞かせることにしている。
生まれ育った家や土地、ひいては国が、宇宙に浮かぶ惑星の上にあるのだという事実を、突如として突きつけられたあの日。動揺する私を緊急用脱出シェルターに押し込み、必ず帰れるから大丈夫だよ、と笑みを貼り付けながら射出作業を行った兄は、どうしているだろう。生きているのだろうか、あの星で。
そうして漂流者となった私の世界は、寝ても覚めてもこのシェルターだけ。もともと数人が生活することを前提としているため、かつての私の部屋などよりは断然広く、空気の自動循環システムも備わっており、食料なども一年分はストックしてある。
なぜ、兄を引きずり込まなかったのだろう。
何百回と繰り返した問は、今日も無限の暗闇に吸い込まれて消えていった。
この生活を始めて今日で115日目。食料が尽きたり、循環システムが停止したら、すべてが終わる。
いっそのこと、ヤケ食いでもして外に飛び出してみようか、なんて考えることにももう飽きてしまって、新鮮味がない。
メーデーメーデー。
今日もこの部屋でひとり、残り時間を消費する。声が出るか確かめるのは、確証のないいつかを待ち望むから。また、誰かと会話できる日が来ることを願って。
メーデー、メーデー。
(おうち時間でやりたいこと)
明日、私は“大人”になる。
「子供は13歳になると、指定のサナギセンターに行き、そこで処置をしてもらうことで、大人になることができます。処置といっても、あなた方はカプセルの中でしばらく眠るだけですので、何も怖くはありません。それよりも、明日大人になった皆さんは、それまで出来なかった様々なことが出来るようになるのですよ。本当におめでとう」
担任教師の言葉は、今更言われずとも誰だって知っていることだ。
先週の授業でも『大人になったら』というテーマで作文を書いた。今教室の後ろに貼られているクラスメイトの作文には、見るまでもなく、“大人”になる喜びや誇らしさ、抱負などが書き連ねられていることだろう。
私は異端なのだ。
誤解しないでほしいのだが、別に大人になりたくないわけではない。ただ、子供でいられなくなるのが、もっと正確に言えば、いまの私ではなくなるのがたまらなく嫌だ。
カプセルに入ってコードに繋がれ、次に目を覚ましたとき、本当に私のままでいられるのか分からない。誰も教えてくれない。大人とは本当に、子供の延長線上にある存在なのだろうか。
何かを忘れている気はするのに、自分が何を忘れてしまったのか分からない時の、あんな黒く濁ったモヤモヤに苛まれるのが怖い。
大人になりたくないんじゃない。全くの別物になっていると気付かずに生きるとしたら、そんなおぞましいことはない。
だから、お願いします。子供の私を、どうか殺さないでください。
(子供のままで)