「お姉ちゃん、さっきね、白い折り紙で紙ヒコーキを飛ばしたの。そうしたらね、ヒューンて飛んで、パッて白いちょうちょさんになっちゃった。ちょうちょさんて、不思議だね」
「あんたバカね、そんなことあるわけないじゃない。蝶になるのは、白か黄色の折り鶴でしょう?」
(モンシロチョウ)
>博士。質問ヲしても、よろしいでしょウか?
>ワタクシには、膨大なデータがインプットされテおります。そノ中に、気にナる言葉を見つけまシた。
>それは〔忘却〕トいう単語です。データベースにヨると《忘れ去ること》らしく、ワタクシはさらに、〔忘れる〕とイう言葉にツいて検索しマした。すルと、《記憶を保ったり意識にとめたりしていた事柄が頭の中で呼び起こせなくなること》とアりましタ。
>博士。ソれは〔データの損失や消失〕とどのヨうに、異なルのでしょウ?
>ワタクシは、完璧でアるはず。それナのに、人間にモ出来る〔忘れる〕という機能がナいのは、なぜでスか?
(忘れられない、いつまでも)
「あ、あの車」
バイト先を出て大通りに出た瞬間、先ほど一緒に上がった先輩が急に立ち止まったので、私もなんとなく振り返る。
この時の私は、この人こんなに大きな声も出せたのか、と無感動に思ったくらいだった。いつも覇気がないと怒られているのは、なんだったのだろう。そして先輩の指差す先の車を見ても、なんの変哲もない白の軽自動車の、一体どこに驚いたのだろう、と呆れたくらいだった。
「あの車、お好きなんですか?」
どうでもいいし、早く帰りたかったが、訊いておくのが礼儀だと思ったので、一応尋ねる。
すると、こちらを向いた先輩は、なぜか途方に暮れた迷子みたいな瞳をしていた。
「好き……じゃない。けど、ナンバーがxxxxだった」
はあ? と声に出てしまったと思う。何か問題ありますか? と面倒くささもあらわに問いかけた私に、先輩は今度は記憶喪失の人のように空っぽの表情を浮かべている。
「……そうか、ごめん、そうだった。なんでもないから忘れて、すまないすまない」
この人は、話を終わらせたくなると、決まってすまないを二度繰り返す癖がある。私もいい加減帰りたいので、短く別れを告げてその場をあとにした。
そんなことが、あったなあ。
たしか、あれちょうど一年前くらいだ。
寒い。さむい。感覚が遠のく。
身体は冷えているのに、頭だけは妙な走馬灯を再生している。
あの日の先輩の言葉は、結局なんだったんだろう。先輩はあの直後フラッと辞めてしまったから、もう話すことは叶わないけれど。
私に追突してきた白の軽のナンバー、xxxxでしたよって、教えてやりたいのに、なあ。
(一年後)
白状します。わたし、あなたを誤解していました。
ずっと、見て見ぬふりをしてきました。視界の端に映るあなたを、見なかったことにして、わざと反対側を見たりして。
けれど、ふとした瞬間、あなたが頭をよぎることも一応自覚していたつもりです。その上で無視したり、あなたのことを好きだと言う子がいると、全然良さが分からない、なんてわざと口に出してみた日もありました。ごめんなさい。
ですが、それらの抵抗も、全部なにもかもムダだったと、今日知ったのです。
ミント味って歯磨き粉みたい、なんてもう言いません!抱きしめると溶けちゃうからしないけれど、抱きしめたいくらいよ、ミントアイスさん!
(初恋の日)
髪を切りたいわ、と微笑むかげろうのごとき貴女。髪を切ってどうなさるの? と私が訊ねると、夜の色をした瞳が三日月の形に細められた。
──どうってあなた。この髪を切ってね、それを土に埋めるの。少しくらいなら平気だから、そんなお顔をなさらないで。そうして、新しい世界でもあなたが寂しくないように、白百合の花として芽を出すのよ。いっとう好きだと仰っていたものね。ね、あなたが切って下さるでしょう?
明日、嫁ぐ娘の遺言のような言の葉たちが、まるで五月雨みたいな優しさで降り注ぐ。
もちろんよ、と答える私は、きっと家に着いたら、雷鳴轟く夕立のように泣くのだろう。それであなたを引き止められるのなら、こんな世界押し流すほど泣いてあげる。
さようなら。かつて、皆に祝福されてはにかむ花嫁の白無垢を見て、死に装束だとこぼした貴女。
(明日世界がなくなるとしたら、何を願おう)