何の変哲もない腕時計。どう頑張ったとしても、その価値は1000円を上回らないだろう。
僕は、ずっとそれを触ってみたかった。その持ち主に、「その時計、お洒落だね。すごく似合っているよ」などと言いたかった。
けれど絶対に、それは叶わない。時計の持ち主は、もうとっくに逝っている。持ち物は全て質屋にまわされて、もう君が居た証拠は、この世には残っていない。
どうしたらいい? 僕は泣きじゃくることしかできない。
#今一番欲しいもの
あれはいつのことだろうか。記憶がないはずの僕に、ぼんやりとしたものが浮かぶ。
ある夏。白い服の女の子と、虫取りをしたあの日。彼女のワンピースがふわりとたなびいて、可愛いと感じた。虫よりも、彼女を必死に追いかけていた。
過去の話が1番美しいと誰かが言った。僕の思い出は、ひとつしか思い出せないけれど、額縁に入れて飾りたいくらいには、美しくて好きだ。
#遠い日の記憶
今日は快晴だ。
皆快晴は、好きだと言う。いやわたしの周りの人だけかも知れないけれど、快晴を嫌に思う人は滅多に居ない。
けれど、わたしは快晴が苦手だ。正確にいうならば、雲ひとつない快晴が苦手。なんだかムラがなさすぎて、人工物ではないかと勘ぐってしまうからだ。少しくらい無動作に雲があってくれるほうが、自然だなあと感じることができる。
#空を見上げて心に浮かんだこと
「お母さ、ん。止めてよそんな、わたしの前から居なくならないでよ」
わたしを支えてくれていた母が、今消えようとしている。命の灯火が、消えそうだ。
「……私は、もう終わりだから。いいの、あなたはあなたの人生を歩みなさい。良い母親になれなくて、ごめんね」
「お母さん!!!」
わたしはわたしの人生を歩む? 冗談じゃない、お母さんがいないとわたしは自分で居られないのに。お母さんが居なくなってしまったら、わたしは何を自分にすればいい? 他の誰かと接するわたしは、わたしだと思えないから。
「死なないでよお母さん!!!」
無様にも、お母さんの命は散っていく。はらはらと崩れたお母さんの命は、
……本当にお母さんは居ないの? そんな世界要らないのに。そうだ、
わたしも死んでしまえばいいのだ。
#終わりにしよう
「もう学校行くの?」
お母さんの声がする。その苦しそうな声は、いつもわたしを締め付ける。
「ごめん、お母さん」
「……別にいいのよ、私が独りになるだけだから。いってらっしゃい」
そんな思いをさせたい訳ではない。わたしはただ前に進みたいだけなのに。いつもお母さんが邪魔をする。私を置いていかないでって、叫び続ける。
「いや、今日は学校に行くのやめるわ。わたし、お母さんと話していたい」
わたしもわたしだ。お母さんと居ることを拒絶したいのに、結局は一緒に居ることを選んでしまう。
「それは……お母さんも嬉しい。ねえ、なんの話をする? お母さん、この前言っていた好きな人の話を聞きたいわ」
お母さんの所為で学校に行けないのに、お母さんは青春の話をすることを強要する。好きな人も、友達も、いないのに。
「えーなんか照れくさいなあ」
「どんな子なの? あなたあんまり話してくれないから分からないわよ」
最後は嘘をつく。わたしの妄想の世界をお母さんに話す。それしかできないから。妄想のネタすら尽きてしまいそうだけれど、わたしは話続けなければならない、
#手を取り合って