蝉が目の前の地面でひっくり返っていた。
生きているのだろうか? 軽く息を吹きかけると、足をもぞもぞと動かす蝉。
やさしさなんて言うものではないが、せっかく地上に出てきて短い運命。もう少し、満喫したいだろう?
俺は人差し指を差し出すと、ひしっとしがみつく蝉。生きたいのだろうか、口を人差し指に突き刺そうとしている。残念ながら俺は甘い蜜をだす木ではない。
近くの本物の木の幹にすがらせると、よじよじと上っていく。
短い余生、謳歌しろよ。そう思いながら見ていたが、
--ポテッ
目の前で、先程の蝉がひっくり返って落ちてきた。
やさしさなんて……ありがた迷惑だっただろうか。
この蝉は、ほんの数分、苦しみながら生きたのだろうか、それともほんの数分、この世を満喫できただろうか。
辺りでは、精一杯、命の限りなく蝉時雨が降り注いでいた。
【やさしさなんて】
微かな風を感じただけで、僕はゆらりと体を動かす。
ある程度の風が吹かなければ、僕の体から綺麗な音色は出ないけれど。
ヒトは、その音色を聞いて風流だとか言っていた。
音は出ずとも僕は微かでも風を感じれば、足元を揺らがせる。
ほら、揺らめく僕の足元を見て、ヒトも
「ちょっとは風あるんだね」
などと会話を始めた。
ヒトには、この僅かな風を感じることはないのだろうか。
だとしたら、少しの変化も捉えられる僕は、ヒトより勝っているのかもしれない。
風を感じて軒先で僕は小さく揺れていた。
--チリン、リン……
【風を感じて】
夢の中だと痛みを感じないらしい。
ほっぺたをつねったら若干痛かった。
若干?? 夢なのか現実なのか微妙なところだ。
とりあえず、尿意がやばい、とりあえずトイレにいきたい。
下着を脱いで便器に腰かけた。
危ない危ない、漏らすところだった。
飲み会の席だったので、少し呑みすぎたのかもしれない。
冷たい。
あれ? トイレで用をたしているのに、なんで冷たいんだろうか。
引っ掻けてしまっただろうか、うち太ももが冷たい。
目を擦ると、視界が変わった。見知った天井が広がっている。飲み会の席のトイレの中ではない。
そして、太ももからお尻にかけて、やはり冷たい。この冷たさは現実で、ほっぺたをつねったらめちゃくちゃ痛かった。
まじか、夢じゃない。
大人になって、これは、夢じゃないのか。
しばらくベッドの中で呆けた。
【夢じゃない】
流れ行く人の波を座りながら見ている。
どうして、私はここにいるんだろう、と。
本日は同人即売会。自分の作った新刊を持って、丹精こめて作った創作物。
しかし、だれも足を止めない。きっと売上はゼロである。
それでも私は、即売会に出続ける。
心の羅針盤の示す通りに。
何のために、この活動をしているのか、自分の心に問いかける。
作っていて、楽しいから。好きが詰まった物を形として残したいから。
あわよくば、誰かに読んでもらって、誰かの心にささってほしい。
真面目に誠実に活動をしていれば、誰かに私を知ってもらえるはず。
それが私の心の羅針盤が示している。
今日は誰にも買ってもらえなかったな、足さえ止めてもらえなかった。
敷布を畳み、長テーブルの姿を見ながら思った。
でも、私は心の羅針盤に従います。
【心の羅針盤】
「いつ買うの!? 今でしょ!」
「だーめ、またね」
「えー!!」
親子の会話に俺は吹き出した。
現在、俺はデパートで彼女の服選び待ちをしている。
そんな時に、子どもがテレビで覚えたのか、幼稚園で覚えてきたのか、ちょっと前に流行った文言を繰り出してきたが、母親は軽く一蹴していた。
またね、とは、少し期待を持たせて、あまり傷つかない便利な言葉だな、と俺は微笑む。
「お待たせ~、待ったよね」
「まぁ、若干?」
「新着水着買えたし、今から海に行こっかなー」
「今何時だと思ってんの。だーめ、またね」
「えー!!」
俺は早速、便利な言葉を使うのであった。
【またね】