喜村

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 蝉が目の前の地面でひっくり返っていた。
 生きているのだろうか? 軽く息を吹きかけると、足をもぞもぞと動かす蝉。
 やさしさなんて言うものではないが、せっかく地上に出てきて短い運命。もう少し、満喫したいだろう?
 俺は人差し指を差し出すと、ひしっとしがみつく蝉。生きたいのだろうか、口を人差し指に突き刺そうとしている。残念ながら俺は甘い蜜をだす木ではない。
 近くの本物の木の幹にすがらせると、よじよじと上っていく。
 短い余生、謳歌しろよ。そう思いながら見ていたが、

--ポテッ

 目の前で、先程の蝉がひっくり返って落ちてきた。
 やさしさなんて……ありがた迷惑だっただろうか。
 この蝉は、ほんの数分、苦しみながら生きたのだろうか、それともほんの数分、この世を満喫できただろうか。
 辺りでは、精一杯、命の限りなく蝉時雨が降り注いでいた。



【やさしさなんて】

8/10/2025, 10:40:46 AM