「お前は一体誰なんだよ」
少し荒く放たれた声は、静かで暗い空間に響いていく。
目の前には自分とそっくりの姿が、気味が悪いほど口端を上げて笑っていた。
「さあ、誰だろうね」
細められた目からは、なんの感情も読み取れない。
はっきりとしない返答に、苛立ちが増した。
「誰だって聞いてるんだよ!!」
そしてヤツの胸ぐらを掴もうとする。
けれど、さらりとかわされてバランスを崩した。
クソッ!
舌打ちを一つしてヤツを睨みつけても相変わらずニタリと笑うだけで。
いくら待ってもコイツからは答えなんて出なさそうだ。
そう感じた俺は思考を巡らせ、先ほどの出来事を思い出そうとする。
目が覚めれば、真っ暗でどこまでも続くこの空間にいて、自分とそっくりなヤツが立っていた。
でも、目が覚める前の記憶が一切ない。
なんて、そんなことがあっていいのか?
ここはどこなのか、目の前のヤツは誰なのか。
なぜ俺がここにいるのか。
そしてこれは現実なのか、はたまた悪い夢なのか。
わからないことがありすぎて叫び出したくなる。
唯一ヒントになりそうなコイツも何も教えてくれない。
ヤツは、頭を抱える俺を揶揄うかのように笑みを深めた。
どうすればここから出られるのだろうか。
一人で考えてもわかるはずもなく。
ダメ押しでヤツに、今度は別の質問を投げてみることにする。
「ここはどこだ?」
「さあね?」
「これは現実か?」
「さあ?」
「なんで俺はここにいるんだ?」
「どうしてだろうね?」
色々質問してみてもやっぱりヤツはとぼけるばかり。
でも、
「なんでお前は俺とそっくりなんだよ!」
最後の質問を聞いたとき、
ヤツの頬がぴくりと動いた。
けどそれも一瞬で…。
俺はもう一度さっきの質問を問う。
するとヤツは勘弁したように肩を竦め、
「あんたは僕だよ」
真っ直ぐに俺を見た。
意味が解らず言葉を失う俺に、
「で、僕はあんた」
ヤツはそう言うと無表情になる。
「どういうことだよ!─「忘れてるんだ、僕のこと」
「は?」
忘れてる?俺はお前のことなんて知らない。
こんなにも自分と似たやつなんて知らない。
「僕は覚えてるよ、あんたのこと」
そう言ってヤツは、懐かしむように遠くを見る。
そして再び俺を見つめた。
「✕✕のこと、ちゃんと覚えてる」
その名前を聞いた瞬間、体に電流が走るように衝撃が訪れた。
記憶が、一つ一つ戻っていく。
________________________
「✕✕、僕たちは二人で一つ、なんだよ」
「二人で一つ?」
「そう。僕は✕✕で、✕✕は僕。どちらか一人でも欠けちゃいけないんだ」
「じゃあ俺たち、これからもずっと一緒だな!」
△△はそれを聞いて嬉しそうに笑った。
ああ、そうだ。俺たちは同じ日にこの世界に生を受けた、双子だった。
どこへ行くにも何をするにもずっと二人一緒だった。
服やプレゼントはいつもお揃いだったし、どんなに離れていても、片方が風邪を引けばもう片方も風邪を引いた。
楽しかった思い出の中には必ず互いの存在があって、なくてはならない存在だった。
二人でいるだけで何でもできる気がしたし、どこへだって飛べる気がした。
だから、あのときの約束通り、この先も二人で共に過ごしていけることを信じて疑わなかった。
なのに、俺は……
その日は俺たちの誕生日だった。
二人でプレゼントを交換し合おうと、近くの店に探しに行く途中のこと。
俺は浮かれてたんだ。
あいつと他愛ない話をすることが楽しくて。
前方から来る車の存在に気づけなかった。
「っ!危ない!✕✕!!!」
目の前に、もの凄いスピードで巨大な鉄の塊が飛び込んでくる。
なんだ?何が起きてる?…やばい、逃げなきゃ…逃げないと!!
どうやって?足が動かない、動かなくちゃいけないのに!!
あれ?これ死ぬやつか?だって、もう目前に迫って─────ドンッ
背中に鈍い衝撃が走ったかと思うと、俺は地面に強く打ちつけられた。
キキーーと耳をつんざくようなブレーキ音が響き渡る。
瞑った目をようやく開けられたのは、衝撃音が鳴り止んだ後。
辺りには叫び声が響いていて。
燃え上がる炎とトラックだったものらしき残骸が、事態の大きさを物語った。
助かっ、た?
なん、で…俺は、轢かれたはずじゃ……
自分が助かったことが信じられなくてしばらく呆然とする。
だが、背中の痛みを思い出してはっとした。
トラックが飛び込んでくる直前、俺は誰かに背中を押されて…それで、俺は助かって……
───『っ!危ない!✕✕!!!』
あのとき、俺を呼んだ声は……△△のものだった。
そのことに気づいた瞬間、俺は体中の痛みを忘れて駆け出す。
△△はどこだ?無事なのか!?無事であってくれ!!
事故の周辺をいくら見渡してもあいつの姿はなくて。
頭が真っ白になる俺の耳に届いたのは、“男の子が一人トラックに轢かれていった”、“もう助からないだろう”というもの。
まさか、そんな…
再び嫌な予感がした俺は、そんなはずない、これは何かの間違いで、△△は無事だと信じて、もう一度周囲を探し回った。
そして見つけてしまった。
あいつがずっと大切に持ち歩いていた、俺とお揃いのキーホルダー。
それも、もう原型がわからないくらいぐちゃぐちゃになっていて。
「っ!!」
違う!これは△△のじゃない!このキーホルダーは決して珍しいものじゃないし、あいつは生きてる!!
そう思うのに、俺は地面に座り込み、変わり果てたキーホルダーを握りしめる。
裏返せば、✕✕、と俺の名前が書いてあった。
「っ…」
ああ、これは、△△のものだと。
事実を受け入れたくなくて、受け入れられなくて。
でも、やっぱりこれはあいつが持っていたものだと、キーホルダーは無慈悲に訴えてきて。
まだ認めたくないと、そう思うのに、心のどこかで淡々と事実を述べる自分がいた。
否定したくて仕方がないのに、憔悴しきって動けなくて、そんな自分が嫌になる。
救急隊の人がこちらへ来て何か言っているのも、全く聞こえなくて。
俺は、意識を手放した。
目が覚めた俺は病院にいて。
医師に軽い打撲だと診断され、しばらく安静にするよう言われた。
そして───△△が亡くなったと、聞かされた。
トラックに轢かれて即死だったようだ。
あいつが、△△が、死んだ、しんだ、シンダ、死んだ…
ごうごうと燃えたぎる炎、大きく凹んだ鉄、あちこちに飛び交う叫び声、ボロボロのキーホルダー。
あのとき、あの光景を見て、本当は全部わかっていたはずなのに理解を拒んだのは。
『僕たちは二人で一つ、なんだよ』
そう言って屈託なく笑うあいつの顔を忘れられなかった。
この幸せはずっと変わらないと信じて疑わなかった。
「△△…」
必死に手を伸ばしても、もう届くことのない小さな欠片。
足掻いても足掻いても覚めない現実。
当たり前のように隣にいたあいつはもういなくて、どこか遠くに消えていった。
───あいつは、自分を犠牲にしてまで俺を守った。
漸く受け入れられた次に訪れたのは、紛れもない自分に対しての怒りで。
ずっと一緒だと約束したのに、俺のせいであいつは死んだ。
俺はこんな軽い怪我で済んだのに、あいつは…。
片割れを失った俺には一体、何が残るというのだろう。
心に大きな穴がぽっかり空いたなんてもんじゃない。
もうもとの形が何だったか分からないほどに真っ黒に塗り潰されて。
大切だった思い出すべてにまでひびが入るくらいぐちゃぐちゃに掻き乱された。
その日から毎晩悪夢を見る。
あいつが目の前でトラックに轢かれて死んでいく様子を。
なんでお前はのこのこと生きてるんだと、なぜあいつに守られたんだと俺の首を締め付け責め立てる“自分”の姿を。
欠けちゃいけなかった。俺たちはずっと一緒じゃなきゃいけなかった。
だって、二人いることではじめて一つになるのだから。
どちらか一人でも欠けてしまえばそれはもう“俺”でも“あいつ”でもないのだから。
隣にあいつがいないのならば、俺が笑えることはもう二度とないだろう。
それくらいどうしようもなく大切で愛しい片割れ。
もう、あいつが戻ってくることがないならば。
いっそのこと……
気付けば俺は病院の屋上にいて。
フェンスの外側に立っていた。
あいつのいない生活なんて耐えられなかった。
覚めない悪夢にはもう限界だった。
まだ陽の光も出ていない薄暗闇の中。
ひんやりとした床と、頬をかすめる風に急かされるかのように、俺はあいつのもとへと飛び降りた。
――――――――――――――――――――――――
「ねえ、思い出した?──✕✕」
目の前にいる自分とそっくりな存在──△△が笑う。
「僕があんたにとっての何なのか」
すべて思い出した俺は、こいつは△△なのだと認識した瞬間に息ができなくなる。
「△、△……」
名を呼ぶと△△は満足気に目を細めた。
視界が涙で霞んでいく。
どうしてこんな大切なことを忘れていたのだろうか。
戸惑って動けない俺の肩を、△△はポンと叩く。
「思い出せて良かったねー」
その顔は相変わらず笑っているのに目は全く笑っていなかった。
「本当に、ね」
俺は背筋がゾクリとするのを感じながらもぽつりと呟く。
「じゃあ、ここは…あの世なのか…」
「…………」
△△は何も言わない。
「俺たちはまた、一つになれたんだな」
ホッと息をつくと同時に溜まった涙が溢れていく。
△△のいない日々はずっと息苦しくて、こんなふうにひと息つくことなんてできなかった。
「…………」
△△はまた何も言わなかった。
ただひたすら真剣な顔で俺を見つめていた。
長い沈黙が続く。
やがて沈黙を破ったのは△△だった。
「あんた、本当に安心してるみたいな顔するね」
「だって…お前が…いるから」
あの日に失われてしまった、あの日からずっと足りなかったものが、今目の前にいる。
空っぽになってしまった心が満たされていく。
俺はあの日、あの瞬間から緩むことのなかった頬を緩めて笑った。
「お前のいない世界で生きるのは、苦しかったんだ」
「それであんたは、」
「ああ」
そう言って俺は自嘲的に笑う。
「二人いなきゃ、生きる意味ないだろ」
△△はなぜか一瞬辛そうに顔を引き攣らせたが、すぐにまたもとの表情に戻った。
「意味ない…ね」
「あんたは、あの日僕があんたを守ったことも全て、意味がなかったというんだ」
【未完、続く】
チクタク チクタク チクタク チクタク
ああ、お願いだから止まってくれ!
そう懇願しても、時計の針は無慈悲に進んでいく。
そしてもう少しで、この時間の終わりを告げるのだろう。
このかけがえのない幸せな時間を、たった数本の針で。
時計にキレても無駄なことはわかっている。
わかってるけど、そう思わずにはいられない。
チクタクチクタクチクタクチクタク
どれだけ願おうがキレようが、時計の針はやっぱり俺を嘲笑うかのように淡々と進む。
ああ、もう!なんで止まってくれないんだよ!!
ずっと時計を睨んでいる俺に気づいたのか、隣にいる彼女は面白そうに目を細める。
「そんな不機嫌な顔しないで。お別れする前くらい笑顔でいてよ」
それを聞いて俺は恥ずかしくなる。
そうだな、願っても時間は止まるわけないんだから、こんなことしても無意味だよな。
「ごめん」
「心配しなくてもまた会えるよ」
彼女はそう言って笑顔になる。
そうか。この時間が終わってしまっても、また次の幸せがきっと来る。
時間なんて止めなくてもいい。
二人で新しい思い出をたくさん作ればいいんだ。
そう思った矢先、
「まあ、寂しいことに変わりはないけどね」
そう言って困ったような顔をする彼女。
それを見て、やっぱり時間なんて止まればいいんだ!
なんて思ってしまったことは、彼女には秘密。
君はいつだって僕の名を呼んでくれた
まるでシャボン玉みたいな
ふわふわとして、透き通っていて
儚い声で、何度だって呼んでくれた
だから僕は信じて疑わなかった
この声が途切れることはないのだと
そう勝手に思い込んでいた
────さようなら
最後は、別れを告げる言葉と共に
儚いシャボン玉は僕を置いて
ぷかぷかと飛んでいく
何度手で掬おうとしても、
もう戻ってくることはなくて
きらきらと、幻のように
美しく、飛んでいった
青空の下、虹色に輝く泡沫を
今日も僕は思い出す
風に揺られて、嬉しそうに
僕の名を呼ぶ君を
今日も、思い出す
「寒っ…」
外に出ると、途端に風が強く吹いてきて凍えそうになる。真っ暗な冬の夜空の下で吐く息は、余計に白く目立つ。もうこんな季節かと一人呟き、歩き出す。周りの家々は不思議なほど静まりかえっていて、私の靴音だけがやけに響く。
そのまま住宅街を歩いていると、一軒の家が目に入った。ベランダや庭の木からイルミネーションライトがぶら下げられていて、暖かなオレンジに光っている。とても幻想的だ。しばらく立ち止まって眺めてみる。光はぽわぽわと点滅し、時折速くなったりゆっくりになったりを繰り返していた。ずっと立ち止まっているのは悪いと、また歩み出す。再び暗い住宅街が広がり、淋しい景色に戻る。もうちょっと見たかったな。名残り惜しくて後ろを振り返る。光は変わらず灯っていた。さすがにそろそろ行こうともう一度前を見る。途端、当たり一面がたくさんの光で溢れ出し始めた。赤や白、緑に青。星の形やツリーの形。まるで魔法がかかったみたいにそれぞれが光輝く。暗い空に存在を主張するかのように。ひんやりとした風が吹き、光に照らされた木々や私の頬を撫でていく。今度はそれすらも気持ち良かった。たまには夜の散歩もいいかもしれない。また、ここへ来よう。いつの間にかすっかりと温まっていた心がそう言った。
【イルミネーション】
空っぽな器、透ける向こう
静寂が広がる無の世界
ぽつりと1滴の雫が落ちる
ぽつり、ぽつり。
瞬きする度粒は増えて
器はまばゆく光出し
琥珀色が溢れだす
冷たかった器は
じんわりと、温まっていく
あなたの優しい眼差しは
私を照らす太陽のよう
あなたの言葉はすべて
甘くて爽やかな蜜のように
私の喉を潤してくれる
空っぽの器は満たされていく
あなたの愛で満たされていく
【愛を注いで】