絵衣子は、カバンを開けた。中に手を入れて、教科書とノートを一冊一冊、とりあげた。学校支給のあまり出番のないタブレットも。筆入れとかもろもろ、全部とりだす。空っぽになった。
けれども、ひとつだけ取り出さなかったのがある。
「泣かないで、わたし」
手紙。いまどき、紙に伝えたいことを書いてくる人。いつも彼は、そうしてくれた。すべての言葉がかたちのある記念になるようにしてくれていた。
好きだったのに。
お別れの手紙なんて、酷すぎる。
ぜんぶ、ぜんぶ、捨てる。
でも、覚えておく。彼のこと、ぜんぶ。
だって、忘れられないもん。
カートを押して、店内を少し急足で進む。野菜のコーナーで、4分の1にカットされた白菜と、春菊を見つける。ほうれん草も欲しかったが、おばあさんがその売り場の前にずっと居座っていていた。わたしは、彼女の真ん前に立ち、はしたないと思いつつも、体を伸ばして、無理やりにそれを一袋とりあげた。
そして、その場所を迷いなく離れる。おばあさんがこちらを睨んでいるのが、目に入る。こういうことはお互い様じゃないか。
お肉が、スペイン産の方が安いのだけど、子どものころ、外国のお肉の噛んでも噛んでもちぎれないガムのようなのだったという体験があり、日本産を買った。もちろん、薄いしゃぶしゃぶ用のお肉だから、そんな心配はなく、お財布にやさしい方が良かったかもしれないけれど。そこに、鍋の素も置いていた。
冬の始まりにまずはお鍋だ。
ふと、私は思い出したようにレジに向かう足の方向を変えた。
日本酒も買おう!!
冬の楽しみは、風が轟々する痛々しいお外の音を聞きながら、ストーブのあるお家で、あったかくすること。
うん、ごはん、楽しみだな!!
美里は、唇を強く結んでいた。涙目でこちらを睨んでいる。
「終わらせないで」
ビルのはるか上を浮かぶ太陽は、弱い熱をアスファルトに投げかけていた。立ち並ぶ店舗に人びとが往来している。アパレルショップが立ち並ぶ。あの、幸福そうな表情の人たち。お気に入りを見つけて、自分が何かになったような気持ちになるのかもしれない。
「わたしは−」
わたしは、息を詰まらせた。混雑している車道のバスのクラクションに平気なフリをするのが辛い。
「わたしは、疲れたのかもしれないの……」
絵を描くことに? 美里とイラストレーターになろうってがんばってきた。でも、遠い。とても、とても、遠い。
「終わらせないで……」
いじめられて、二人だけの、高校時代。その青春を彼女は忘れたくないのかもしれない。あなたは、あなたの道を行けばいい。わたしは、別を行く。強く言えない。
ただ、彼女のエゴに疲れてしまう。この関係を終わらせた方が良いと、わたしの本能は叫ぶ。
昼下がりの、いつもなら気だるい時間が、濃密な重さを持って、私の肩にのしかかっている。それは、体積を増していき、このままいくと体が潰れるかもしれない。
「応援してるよ」
ついに一言。わたしは美里に背を向けた。生き方は別れる。それが大人の宿命だ。学校の仲良しこよしはすでに終わってるの。いつか、いつか、別々の場所でお互い笑っていて、また、話せるといいね。
わたしは、わずかに泣いていた。彼女から見られないようにした。
歩く人が霞む。綺麗な服を着ている女性や男性たち。まるであの、高いところにある太陽から祝福されたような。目の端に、店と店の合間に置かれた、空になっているらしいジュースの空き缶が二、三本転がってるのが見えた。
涙を服の袖で拭った。両手を広げる。すれ違いざま、通行人が迷惑そうな顔をした。陽の熱は感じなかったが、それは、確実にわたしの体に染み入っているはずだ。
わたしは、新しく生きる。
お母さんは忙しい。
毎日5時に家を出てお仕事へ行く。
お父さんはいない。お母さんはあんまりその人のことをお話ししないけど、わたしには、彼女に複雑な感情がわだかまっているのを、なんとなくわかっていた。
朝、わたしは、いつもお母さんが出て行った後に起きている。
小学校から使っている化粧板のベットから、上半身を起こす。古いスプリングが少し唸った。伸びをすると自分の骨も音を立てるように思える。それから、立ち上がり、リビングへと入る。カーテンはすでに開けられていて、弱い冬の光が、そっと肌を手入れするようにあたる。朝ごはんのパンがテーブルの上に無造作に置いてあった。
「あ」
パンの横に、包みがあった。花柄の布で包まれたもの。
今日はお弁当作ってくれていた!!
わたしの今日は、最強の日だ。
36.8度の微熱に迷わされて、わたしは志田くんに会う。
落ち着きがないなって、笑われるのは、そのとおり、余裕がないのだ。
志田くんは、こちらに気がないみたいに、自然体。かしこまってるわたしって、なんか不公平。
今日、三叉路のコンビニで、彼を待っています。
わたしが告白したの。
心臓が痛くなるくらいの興奮を彼にさせてあげるわ。