ミッドナイト。意味はよく分かっていないけど、かっこいい響きが気に入って。
たまたま好きなあの子と帰る時間が同じだった日、博識な感じをアピールしたくてキザったらしく言ってみた。
──こんな、ミッドナイトな夜はさあ。
──ミッドナイトと夜って、意味被ってない?
走って家に帰った。
やってしまったやってしまった、恥を晒してしまった無知なやつだと思われてしまった。
恥ずかしくて恥ずかしくて、消えてしまいたい。家に帰って辞書を開くと、どうやらミッドナイトは真夜中の十二時あたりの時間帯を指すらしい。
布団に入ると羞恥心に悶絶してしまいそうで、ベランダから眺める景色はまさにミッドナイト。
大人になりたくて背伸びしたブラックコーヒーは、今日の失敗が絶対に忘れられなくなるぐらいに苦くって。
砂糖とミルクが欲しくなり、白い息が空気に溶けていく、そんなミッドナイト。
高校生を生きるとある夏の日に、私は特殊な病を患い
見るもの全てが逆光になった。
切り絵のようなモノクロの世界、他人も親も分別つかず。
水とコーヒー間違えて。米派だったのにパン派になった。
そんな異常が日常となり、死なず生きてすごす日々。
顔は両親、友人忘れたけれど、声で分かるよ間違えない。
美味しい料理、写真映え。彩り見えない私は舌で、丁寧に味を転がすの。
新しいもの見えなくなっても、いつだって犬は私の顔を舐める。
その涎で顔をベタベタにする。
──それでは、本日の夢予報のお時間です。
……何だ、これは。
休みだからと昼寝をしすぎてしまい、案の定眠れなくなってしまった午前一時。
手持ち無沙汰につけたテレビでは、ニュース番組だろうか。アナウンサーの女性が、聞き慣れない単語を口にする。
夢予報? 天気予報の間違いじゃないのか?
すぐに訂正されると思ったが、画面の女性は笑顔でその、夢予報とやらを続ける。
──今日一番いい夢を見られるのは、おめでとうございます! ……座のあなた! 空を飛んだり、はたまた街を守るスーパーヒーロー! とにかく気持ちのいい夢になるでしょう。
どんなものかと思っていたら、朝の星座占いみたいなものか。興ざめ……というか、この時間帯じゃみんな寝ていて、テレビよりかは、それこそ夢を見ているんじゃ? この番組、やる意味あるのか?
と思いつつも、やはり一度見てしまったからには、自分の星座がどんな夢なのか、気になってしまう。
──ごめんなさい、最下位は……座のあなた。悪夢を見てしまうか、もしくは眠れない夜をすごすでしょう。でも大丈夫! そんなあなたにピッタリのラッキーアイテムは、練炭とガムテープです! それではみなさん、よい一日を迎えてくださいね。
……最下位かよ。いやでも、まさに今眠れていないし、案外当たっているのか、夢予報。いや、夢予報っていうか、夢占い? ラッキーアイテムとか……意味……分からない、し……。
…………あ。
気がつくと、俺はしっかりと布団に入っていて。
なんだ、あの番組自体が夢か。そりゃそうか、夢予報なんて言っておきながら、内容はまるで星座占いなんて、そんな番組あるわけない。しかし、我ながら変な夢だった……。
あれ……。
布団から起き上がり、初めてテレビがつけっぱなしになっていることに気がつく。
ああ、そうか。
ずっとテレビの音声が流れている中寝ていたせいで、あんな夢を見たんだ。
それなら、あの妙な夢を見たことにも納得がいく。
一人笑いながら、テレビを消そうとリモコンを手にした時。
待てよ? 確か、俺は眠れないからテレビをつけたんじゃなかったっけ? その時にはもう、あの番組は始まっていて……?
あれ? あれ?
一体、どこからが現実で、どこまでが夢なんだ?
天才的な頭脳を持つ俺は、若くしてタイムマシーンの制作に携わっていた。とは言っても、まだ試作段階だ。
小型の試作機にマウスを入れて、一日後の未来へと飛ばす。今でこそ成功しているが、これが人となるとそうもいかない。
絶対に失敗は許されない。故に、慎重になる。俺は助手と二人で、数年にも及ぶ研究を続けていた。
ある日、人間用のタイムマシーンを起動する、最終チェックを行っていた時だ。
突然、研究室の扉を開け、一人の老婆が飛びこんできた。老婆は、ヨボヨボの足腰と棒切れのような腕からは想像もつかないほどの力で、俺に抱きついた。
醜い顔に、ずっと風呂に入っていないであろうベタベタの髪、悪臭が鼻をつく。何かを叫んでいるが、歯がない口からは何を言いたいのか聞き取ることが出来なかった。
考える暇もなく、俺はテーブルの果物ナイフを手に取り老婆を刺した。
殺人を犯すことよりも、このまま揉み合いになりタイムマシーンを壊してしまう方が、よっぽど恐ろしいことに思えたのだ。
あっけなく老婆は死んだ。まったく、一体どうやってここに迷いこんだのだろう。迷惑なやつだ。
そんなことを考えていると、ちょうど使いに出した助手が戻ってきた。一見すると、非常にまずい状況だが、俺は至って冷静だった。
長年一緒にいたのもそうだが、俺よりもずっと歳上の彼は、とても強い忠誠心を持っていた。
俺の思考を読み取っているんじゃないかと思うほど、常に先回りをして準備をし、快適な空間を作り上げ、必要な案を出してくれる。タイムマシーンの研究に、彼は必要不可欠な存在であった。
だからこそ、俺は落ち着いて彼に言った。どうせ身寄りもないであろうこの老婆の、後始末をしておくようにと。
彼は……助手は、一瞬悲しそうな表情を見せたが、淡々と老婆を担ぎ、部屋を出ていった。
……さて、後は俺の知ったことではない。研究の続きを始めよう。
それから月日は矢のように流れ、ついにその日はやってきた。
完成した、巨大なタイムマシーンの試作機。マウスの分も含めると、これは二台目だ。
だが、これに乗るのはマウスではない。人間だ。それも、俺が自ら実験体となり、数日先の未来へと飛ぶ。
これが成功すれば、ゆくゆくは数年先……いや、未来旅行だって夢ではない。この実験には、人類の夢が詰まっていた。
いざ実験を始めようとした矢先、彼女が息を切らして研究室に飛びこんでくる。どうやら、俺を心配して彼女も一緒に実験へ参加したいらしい。
俺は少し悩んだ……が、彼女とは将来を約束しあった仲。この実験を一緒に乗り越えてこそ、絆も深まるというものだ。
彼女と二人、タイムマシーンに乗りこみシステムを起動させる。少し不安そうな彼女の手を、俺はギュッと強く握った。
……覚えている記憶は、そこまで。身体が、異常に熱くなったのを最後に、俺の意識は途絶えた。
目を覚ますと、俺一人。タイムマシーンであっただろう部品と、数十年前の日づけが記載されている、捨てられて間もない雑誌。
未来どころの話じゃない。俺は、過去に飛ばされてしまったのだ。しかも、タイムマシーンも彼女もいない。
一部の部品しかないということは、残りのタイムマシーンは彼女の元にあるのだろうか。
しかし、どこにいるのか場所が分からない。そもそも、同じ年代にいるのかすら怪しい。もしかすると、俺よりもずっと過去まで行ってしまったのかもしれない。
俺は、彼女を探した。最後に握ったあの手。絶対に離さないと、守ってみせると誓ったのだ。
過去の世界で生き抜くために、生まれて初めてバイトも始めた。住所不定の男を、雇ってくれるところなんてほとんどない。だが、運良く気のいい飲食店の店主が、こんな怪しい俺を引き取ってくれた。
衣食住には困らなくなったが、俺の頭の中には常に彼女の存在があった。
今、どこで何をしているのだろう。腹を空かせていないか。住むところもない女性一人、危ない目にあっていないか。毎日、そればかりが気がかりだった。
そんな時、運命を変えるような出来事が起こる。
俺が……過去の俺が、来店したのだ。懐かしい。まだ、学生だった頃の俺だ。
あの頃の俺は、まさかこんなことになるだなんて、思ってもいなかっただろう。涙をグッとこらえて、俺は必死に俺に取り入ろうと奮闘した。
俺の考えていることは、俺自身が一番よく分かる。
俺は俺の信頼を得て、過去の俺はこの店の常連となった。
そして、俺は俺に言われた。
タイムマシーンを作ろうとしている。助手になってくれないかと。
俺は二つ返事で了承した。
タイムマシーンが完成すれば、消えた彼女を探しにいける。そうして、元の世界に帰ろう。彼女と一緒に。
それから毎日、あの研究漬けの日々が始まった。
と言っても、俺にとっては全て過去のこと。タイムマシーンの研究は、順調すぎるほどに進んでいった。
このままいけば、もうあと幾日もしないうちにタイムマシーンは完成するだろう。
高齢とは言わないまでも、中年のおやじと呼ばれるまでは歳をとってしまった。あの日、あの事故さえ起こらなければ。そもそも、タイムマシーンを作ろうとしたこと自体、間違いだったのか。
……よそう。今更、そんなことを言ったって無駄だ。
早くタイムマシーンを完成させ、一刻も早く彼女を探しに行かなければ。
俺に言われた備品を買い足し、研究室に戻ると……俺が、知らない老婆を刺し殺していた。
知らない……いや、違う。俺も歳をとったように、彼女もまた、歳をとっていたのだ。
力なく横たわる彼女。あぁ、こんなおばあさんになって、一体どれだけ過去に……。
そいつ、片付けておいてと言い放つ俺に、俺は言い返す気力すら残っていなかった。
彼女の亡骸を抱きしめ、研究室を出る。
俺たちはやっと、一緒になれたのだ。
世間では、何の変哲もない平凡な一日だっただろう。
だが、自分は違う。正確には、自分と、もう一人。
初めて君と目が合った時の、あの胸のときめき。
どこか初々しい、握る手と手が震えていたあの日。
何気ない会話も、君が隣にいるだけで、どんな快楽にも勝る喜びとなった。
今日は、特別な夜。
日々を過ごすうちに、目が合っても逸らされ、ため息をつかれるようになった。
握るのは、スマホの方が多くなった。
たまに話を振っても、無視される。
一体、どこで間違ったんだろう。
自分に至らない点があったのだろうか。時間が解決してくれるのだろうか。
そんな風に悩んでいた毎日すら、ちっぽけなものに思えてくる。
今までの人生で一番きれいに輝いた月が、ギラリと鈍く銀のシャベルを照らす。
世界一大好きな君を、埋めた日。