天才的な頭脳を持つ俺は、若くしてタイムマシーンの制作に携わっていた。とは言っても、まだ試作段階だ。
小型の試作機にマウスを入れて、一日後の未来へと飛ばす。今でこそ成功しているが、これが人となるとそうもいかない。
絶対に失敗は許されない。故に、慎重になる。俺は助手と二人で、数年にも及ぶ研究を続けていた。
ある日、人間用のタイムマシーンを起動する、最終チェックを行っていた時だ。
突然、研究室の扉を開け、一人の老婆が飛びこんできた。老婆は、ヨボヨボの足腰と棒切れのような腕からは想像もつかないほどの力で、俺に抱きついた。
醜い顔に、ずっと風呂に入っていないであろうベタベタの髪、悪臭が鼻をつく。何かを叫んでいるが、歯がない口からは何を言いたいのか聞き取ることが出来なかった。
考える暇もなく、俺はテーブルの果物ナイフを手に取り老婆を刺した。
殺人を犯すことよりも、このまま揉み合いになりタイムマシーンを壊してしまう方が、よっぽど恐ろしいことに思えたのだ。
あっけなく老婆は死んだ。まったく、一体どうやってここに迷いこんだのだろう。迷惑なやつだ。
そんなことを考えていると、ちょうど使いに出した助手が戻ってきた。一見すると、非常にまずい状況だが、俺は至って冷静だった。
長年一緒にいたのもそうだが、俺よりもずっと歳上の彼は、とても強い忠誠心を持っていた。
俺の思考を読み取っているんじゃないかと思うほど、常に先回りをして準備をし、快適な空間を作り上げ、必要な案を出してくれる。タイムマシーンの研究に、彼は必要不可欠な存在であった。
だからこそ、俺は落ち着いて彼に言った。どうせ身寄りもないであろうこの老婆の、後始末をしておくようにと。
彼は……助手は、一瞬悲しそうな表情を見せたが、淡々と老婆を担ぎ、部屋を出ていった。
……さて、後は俺の知ったことではない。研究の続きを始めよう。
それから月日は矢のように流れ、ついにその日はやってきた。
完成した、巨大なタイムマシーンの試作機。マウスの分も含めると、これは二台目だ。
だが、これに乗るのはマウスではない。人間だ。それも、俺が自ら実験体となり、数日先の未来へと飛ぶ。
これが成功すれば、ゆくゆくは数年先……いや、未来旅行だって夢ではない。この実験には、人類の夢が詰まっていた。
いざ実験を始めようとした矢先、彼女が息を切らして研究室に飛びこんでくる。どうやら、俺を心配して彼女も一緒に実験へ参加したいらしい。
俺は少し悩んだ……が、彼女とは将来を約束しあった仲。この実験を一緒に乗り越えてこそ、絆も深まるというものだ。
彼女と二人、タイムマシーンに乗りこみシステムを起動させる。少し不安そうな彼女の手を、俺はギュッと強く握った。
……覚えている記憶は、そこまで。身体が、異常に熱くなったのを最後に、俺の意識は途絶えた。
目を覚ますと、俺一人。タイムマシーンであっただろう部品と、数十年前の日づけが記載されている、捨てられて間もない雑誌。
未来どころの話じゃない。俺は、過去に飛ばされてしまったのだ。しかも、タイムマシーンも彼女もいない。
一部の部品しかないということは、残りのタイムマシーンは彼女の元にあるのだろうか。
しかし、どこにいるのか場所が分からない。そもそも、同じ年代にいるのかすら怪しい。もしかすると、俺よりもずっと過去まで行ってしまったのかもしれない。
俺は、彼女を探した。最後に握ったあの手。絶対に離さないと、守ってみせると誓ったのだ。
過去の世界で生き抜くために、生まれて初めてバイトも始めた。住所不定の男を、雇ってくれるところなんてほとんどない。だが、運良く気のいい飲食店の店主が、こんな怪しい俺を引き取ってくれた。
衣食住には困らなくなったが、俺の頭の中には常に彼女の存在があった。
今、どこで何をしているのだろう。腹を空かせていないか。住むところもない女性一人、危ない目にあっていないか。毎日、そればかりが気がかりだった。
そんな時、運命を変えるような出来事が起こる。
俺が……過去の俺が、来店したのだ。懐かしい。まだ、学生だった頃の俺だ。
あの頃の俺は、まさかこんなことになるだなんて、思ってもいなかっただろう。涙をグッとこらえて、俺は必死に俺に取り入ろうと奮闘した。
俺の考えていることは、俺自身が一番よく分かる。
俺は俺の信頼を得て、過去の俺はこの店の常連となった。
そして、俺は俺に言われた。
タイムマシーンを作ろうとしている。助手になってくれないかと。
俺は二つ返事で了承した。
タイムマシーンが完成すれば、消えた彼女を探しにいける。そうして、元の世界に帰ろう。彼女と一緒に。
それから毎日、あの研究漬けの日々が始まった。
と言っても、俺にとっては全て過去のこと。タイムマシーンの研究は、順調すぎるほどに進んでいった。
このままいけば、もうあと幾日もしないうちにタイムマシーンは完成するだろう。
高齢とは言わないまでも、中年のおやじと呼ばれるまでは歳をとってしまった。あの日、あの事故さえ起こらなければ。そもそも、タイムマシーンを作ろうとしたこと自体、間違いだったのか。
……よそう。今更、そんなことを言ったって無駄だ。
早くタイムマシーンを完成させ、一刻も早く彼女を探しに行かなければ。
俺に言われた備品を買い足し、研究室に戻ると……俺が、知らない老婆を刺し殺していた。
知らない……いや、違う。俺も歳をとったように、彼女もまた、歳をとっていたのだ。
力なく横たわる彼女。あぁ、こんなおばあさんになって、一体どれだけ過去に……。
そいつ、片付けておいてと言い放つ俺に、俺は言い返す気力すら残っていなかった。
彼女の亡骸を抱きしめ、研究室を出る。
俺たちはやっと、一緒になれたのだ。
1/22/2023, 3:56:59 PM