星を追いかけて
今夜流星群が見られるとニュースで見た日、
夜中に一人で車を走らせて、
近くの公民館の駐車場に行った。
普段は一人で夜出歩くのなんて、
怖くてできはしないのだけど、
どうしても流れ星が見たくて。
空を見上げて、目を皿のようにして、
か細い光が線を描くのを探した。
この時だけは、夜の闇を怖がらず、
星を必死で目で追った。
別に流れ星に願いたいことがあったわけではないんだけど、
あったとしても、あの短さで3回唱えられる人なんていない。
ただ、無心で星が落ちていくのを見ていた。
今を生きる
戦争があった時のことを、
今を生きる私たちは知らない。
それはとても幸せなことだと思う。
戦時中の日本の話を聞くたびに、
その時代に生きた人のことを思い、
辛く悲しい気持ちになる。
戦争で死んでいく戦士たち、
戦火で亡くなった人たち、
大切な人を見送らねばならない人たち、
自ら死にゆく特攻隊、家族が死んでおめでとうと言う文化、
命を軽々しく扱った異常な時代だったんだと思う。
どれほどの人が、辛い思いをしたのか、想像すらできない。
平和な今の時代を生きる私たちは、
その辛さを味わわなくてもいい。
でも、今の時代の日本でも、
悲しいことはたくさん世の中に溢れている。
その辛さに耐えきれず、自ら死を選ぶ人もいる。
また、他の国ではまだ戦争が続いているところもある。
望まぬ死は、突如訪れることもある。
生きることは、いつの時代も大変さを含んでいる。
私自身は、今とても幸せで、
もちろん辛いことや悲しいこともあるけれど、
毎日が小さなきらめきで満ちている。
そんな幸せのかけらを拾い集めながら、
私は一生懸命に今を生きていく。
飛べ
ある日、2羽の雛鳥が巣から落ちているのを見つけた。
全体に少し毛が生えている小さな雛鳥たちは、
時々懸命に歩こうとしながら、
家の壁にくっついて、じっとこちらの様子を伺っていた。
空には親鳥らしい鳥が、何度も行ったり来たり。
落ちてきた2羽の小鳥は、
まだ飛ぶことはできないみたいで、
ただ地面を歩こうと試みるばかりだった。
もしかしたら、落ちた時に怪我をしてしまったかもしれない。
誰かがこう言った。
「鳥は巣から落ちたらもうダメなんだ。
自力では登れないし、諦めるしかない。」
でも、この小鳥たちはまだ生きている。
懸命に足を動かして、生きようとしている。
巣は高すぎて雛を戻すことができない。
近くの日陰にそっと置いてやることしかできなかった。
どうか助かって、大きくなってほしい。
その翼でいつか大空を飛んでほしいと願った。
special day
私にとっての特別な一日は、
娘が生まれた日だ。
ずっと母になるのが夢だった。
でも、妊娠や出産に対して
昔から恐怖心があった。
「鼻からスイカ」なんて例えをよく聞くが、
鼻からスイカが出てきたら死んでしまう。
つまり、死んでしまうほどの痛みなのか、と
周りの話を聞けば聞くほど、
恐怖と不安は募るばかり...
私は母にはなれないのではないか。そう思った。
結婚して一年、幸いなことに、
私のお腹に赤ちゃんがやってきてくれた。
喜びと不安が入り混じったのもつかの間、
つわりで、毎食吐いた。
エアコンの風や炊き立てのご飯、柔軟剤、
あらゆる臭いがダメになった。
おまけに、横になると吐きそうになるため、
1ヶ月以上、座って眠るハメになった。
つわりが終わると、今度はすぐに妊娠糖尿病の診断。
毎食前にお腹にインスリン注射を打つ日々
出産も安産とは言い難く、
人工破水からの促進剤、最後は吸引。
これまで出たことがない叫び声が上がった。
大変だった妊娠、出産だったけれど、
生まれたばかりの、
真っ赤になって泣いている赤ちゃんを見ると、
そんな痛みを全て忘れてしまうくらい、
愛しくて可愛くて堪らない。
無事に生まれてきてくれて、
本当にありがとう。
君が生まれた日が、私にとって
かけがえのないspecial dey
揺れる木陰
小学生の時に読んだ物語で印象に残っている本がある。
「さいごのまほう」という物語だ。
細かいところは覚えていないが、
年老いた魔法使いのおばあさんが、
残り何度かしか魔法が使えなくなる。
おばあさんは、最後の魔法を使って、
何かに変身しようと考える。
色んな動物なんかに変身してみるけれど、
どうもしっくりこない。
そんな中出会った心優しい少年、
最後の魔法を使って、
おばあさんはその子が休むためにベンチになる。
そんなストーリーだった。
この話を子供の頃に読んだ時、
おばあさんが物凄く可哀想だと感じた。
これからベンチとして生きていくだなんて、
どこにも行けないし、誰かと話すこともできない。
ただじっと木陰に佇むだけのベンチになるなんて、
私ならそんな孤独は耐えられないし、
毎日後悔ばかりするだろうと思った。
しかし、おばあさんは、
少年の「明日もまた来よう」という言葉を聞いて、
少年が明日も来てくれるということに、
嬉しさを感じて、楽しみに待っている。
幸せを感じている。
もし、私がベンチになっていたら、
揺れる木陰を見上げては、孤独と寂しさを感じるだろう。
木々の揺れる音が、泣いているように聞こえるだろう。
でもきっとこのおばあさんは、
揺れる木陰を見上げては、優しい気持ちになるんだろう。
木々の揺れる音が、笑っているように聞こえるだろう。
何事にも言えることだけど、
同じ場面で同じものを見ても、
きっと全然違うふうに見えている。