またね
「またね」
こども園に子どもを迎えに行ったら、
先生や友達が子どもに話しかける。
まだ話すことのできない私の娘は、
にこにことしながら、
小さな手をくるくる回す。
彼女特有の“バイバイ“だ。
少し前までは何もできなかったのに、
今ではバイバイができるのか。
と、そんな小さなことでも大きな成長に感じる。
いつか「またね」と言い返せる。
そんな日が来るのが待ち遠しい。
タイミング
“タイミングを逃した“と思うことって、
人生の中でたくさんあると思う。
私ももこれまでそう感じたことが多々あった。
大学4年生の頃に就活が上手くいかず、
仕事に就くことができなかったり、
自分が結婚したいな、と思っていた時期に、
恋人ができなかったりした。
その時は、なんでいつも上手くいかないんだろうと、
モヤモヤと落ち込んでは、やるせない気持ちになった。
でも、結局のところ、
今就いている仕事はとても大好きで、
なんだかんだ結婚して、子供もできて、
過去を振り返ると、
まあ悪くはないタイミングだったのかなぁ、
なんて思えたりするのだから不思議だ。
過去に抱えてた大きな悩みは、
将来、しみじみと懐かしく感じる時がある。
逃したタイミングも多かったけど、
巡ってきてくれたタイミングもたくさんある。
きっと、人生ってそういうものなんだろうな。
虹のはじまりを探して
虹の根元には宝物が埋まっている。
子供の頃にそんなことを聞いたことがあって、
虹を見るたびに心が躍る。
虹がはじまっている場所を探す、
冒険に出かけたくなった。
つい最近、朝のゴミ出しに行こうとしたら、
目の前の空いっぱいに大きな虹がかかっていた。
あまりにも綺麗だったので、
思わず息を呑んだ。
昔と何も変わらない。
今でも虹を見ると、心が弾む。
虹のはじまりには辿り着けないけれど、
宝物を見つけたような、そんな気持ちになる。
涙の跡
悲しいことがあって大泣きした日、
次の日の朝目が真っ赤に腫れていることがある。
必死でメイクで涙の跡を消すのだけど、
それでも、周りから
「何かあった?大丈夫?」と言われることがある。
その時は、
大の大人が泣いたことへの恥ずかしさと、
心配してくれていることの嬉しさとが、
半分半分に混ざり合っている。
人は一人では生きてはいけないから、
誰かに側に来てもらうために、
涙の跡を残すんじゃ無いかな。
たくさん泣いた赤ちゃんの、
涙の跡が残る寝顔を眺めながら、
今度は私が「大丈夫」とこぼしながら、
そっと抱き寄せた。
もしも過去へと行けるなら
もしも過去へと行けるなら
私は死んだ祖母にもう一度会いたい。
私はいわゆるおばあちゃんっ子だ。
両親が仕事に行っている間、
基本的にずっと家でいる祖母と過ごした。
一緒にたくさん遊んだし、
一緒にたくさんお喋りをして、
祖母のことが大好きだった。
きっと祖母も私のことが大好きだった。
祖母は私が何をしても
大袈裟なくらい褒めてくれたし、
欲しいと一言言ったものは、
毎回たくさん買ってきた。
どんな時でも味方になってくれて、
どんな時でも寄り添ってくれた。
サザエさんのアニメのように、
ずっとずっとこの幸せな家族の形は続いていくのだろうと、
幼心にそう信じ込んでいた。
祖母が亡くなって、もう7年近くになる。
最期まで祖母は私のことを想ってくれた。
ご飯が食べられなくなって、痩せ細っても、
私が会いに行くたびに笑顔を見せてくれた。
こんなに自分のことを差し置いて、
私のことを想ってくれる人は、きっとこの先いないだろう。
もう一度、祖母に会いたい。
今文章を打ちながら、どうしようもなく涙が止まらない。