二人ぼっち
今日は娘とお留守番
一日娘と二人ぼっち
私は今お腹に赤ちゃんがいるから、
正確には3人ぼっちなのかも。
でも、おかげで体がすごくくたびれちゃって、
せっかくの二人ぼっちに
大それたことができない。
遠くにお出かけもできやしない。
一緒にご飯を食べておやつを食べて、
近くをお散歩して、花を摘んで、
お昼寝をして二人で夢の中、
まったり炬燵で映画を見て、
そんななんでもない一日。
それでも娘は笑ってくれる。
何でも無い一日でも、笑顔を見せてくれる。
二人ぼっちの大変さも疲れも
その笑顔に溶かされていく。
今日はそんななんでもない二人ぼっちな日。
ずっと隣で
私の布団の中に
もぞもぞと入り込んでくる小さな体
あどけない寝顔は
私が想像していた天使よりも
ずっと可愛らしい
寝息もまるで小鳥の囀り
抱き抱えると暖かい
愛しい愛しい私の娘
ずっと隣でいてほしい
そう願っても
この時間はあっと言う間に終わるのだろう
自分もそうだったように
いつか私の隣から離れて行ってしまうのだろう
ずっと隣でいてほしい、
これは叶わぬ願いです
だからせめて、
ずっと元気でいて欲しい
これくらいなら願ってもいいよね
お金より大事なもの
お金より大事なものは
たくさんあるけれど、
私は特に“時間“だと思う
時間は残酷にただ流れていく。
止まることも戻ることもできず、
その時の時間はその時だけのもの。
だから、私はその一時一時を
噛み締めながら生きていたいと、
なるべく思うようにしている。
大学時代、友人に言われたことがある
「部活や趣味に没頭できる人って凄いと思う。
だってそれって、将来の役に立つわけではないでしょ」
確かに、将来いい職に就く役にはたたないかもしれない。
けれど、もっと先を考えた時、
いくら大金を稼いでお金持ちになっても、
みんな同じように命を終えるのだ。
だったら私は限られた命の時間の中で、
楽しいと思えることに時間をかけたい。
その思い出を胸に抱いて、最期を迎えたいのだ。
ある意味ではちゃんと将来を考えてるのでは、
なんて内心思っていたりした。
もちろん、人生楽しいことばかりではない
苦しい時、辛い時、早くこの時間が過ぎてしまえと願う。
それでも、お金では買うことの出来ない有限な時間を
大切に生きていこうと思いたい。
絆
赤ちゃんがお腹にやってきた時
私と娘は一心同体だった。
言葉通り同じ体に二つの命が宿って、
臍の緒で二人はしっかりとつながっている。
そんな時から一緒にいるんだもの、
母と子の絆は切っても切れない。
あなたがこの世に産まれて、
臍の緒のつながりもなくなった。
それでも、目に見えない絆が
ちゃんとそこにはある。
こんなに深く愛しいつながりがある。
あなたに出会えてそう感じたの。
ありがとう、私の宝物。
今もう一人私の中に命が宿っている。
今私はその子との絆も
一生懸命に育んでいる。
たまには
たまには仕事を休んで
一人で映画に行ってみたり、
育児をお休みして
夫婦二人でお出かけしてみたり、
嫌なこと全部忘れて
友達と飲みに行って喋りまくったり、
そういういつもと違う時間を過ごすことで
私は明日へのエネルギーを蓄える。
私がもっと若かった時には、
そういう感覚が無かった。
やりたいと思ったことは、
すぐにやってしまえる身軽さがあったから。
自由な時間が今よりもはるかにあった。
今は仕事に、家事に、育児に、
自分の思うままに使える時間が
はるかに減ってしまった。
でも、それは決して悲しいことではない。
大切なものが増えると、
自分の時間は減っていくものなのだと思う。
変わりにかけがえのない喜びもある。
だからこそ、“たまには“の時間は
昔よりもずっと価値がある。
「頑張りすぎると潰れちゃうよ
たまには自分にご褒美をあげようよ」
私が周りの人にも自分にもよく言う言葉。
たまにはサボりも悪くない。
人間らしく生きるにはね。