誰もいない教室
昼間は騒がしい教室も、
夕方になって子供が帰った後の教室は、
静まり返っている。
ただ、子供達の机と椅子が、
寂しそうにたたずんでいる。
中学3年生の担任の先生が、
卒業式の前日、夜に教室で一人、
黒板に素敵な黒板アートと、
クラス全員の名前を書いていた。
「何度怒ったか分からないし、
トラブルが起こった時に何度も悩んだ。
でも、この子達からもらったものも、
数え切れないくらいある。
それも、明日で最後なので」
そう言いながら、その担任の先生は
誰もいない教室で微笑んだ。
その担任の先生の微笑みは、
誰もいない教室の机や椅子と同じように、
少し寂しそうな微笑みだった。
信号
急いでいる時の運転で、
赤信号がとても長く感じてしまう。
焦っているから、イライラしたりする。
少し早く出たらいいだけの話なのだが、
私は昔からどうもそれができない。
ある種の病気なのかもしれない。
時間ギリギリまで何か用事をしていないと
気が済まないのだ。
時間に余裕がある時の赤信号は、
別になんとも感じない。
同じ赤信号でも、
状況によっては気持ちの持ちようが
全然違ってくる。
明日こそは時間にゆとりを持つぞ!
と、今日も望みのない目標を立てながら眠りにつく。
遠雷
近年雷が鳴る日が多くなったような気がする。
スコールみたいな短期間の土砂降りも同様に。
原因の一つは地球温暖化らしい。
やっぱり地球は変化しつつあるんだ。
子どもの頃は雷が鳴るのはなんだか珍しくって、
遠くで鳴る雷を見ながら、
すこしドキドキしながら、
それでいてちょっと怖いもの見たさで楽しみながら、
空から落とされる光の線を見ていた。
大人になった今、
仕事中に何度も落ちる雷の音に、
ビクビクしながらパソコンを打っている。
雷は地球から人間への天罰なのかも。
地球をダメにしていくことに対して、
物凄く怒ってるんじゃないだろうか。
地球温暖化が止まらない現在、
怒りの雷も鳴り止まない。
なぜ泣くの?と聞かれたら
私はよく涙が出る。
悲しい時、悔しい時、
腹が立った時、感動した時。
その時に「なぜ泣くの?」と聞かれると、
「分からない」と答えてしまう。
別に泣きたくて泣いているわけではないのだけど、
感情が昂って、一線を越えると、
勝手に涙が出てくるのだ。
できるのであれば、泣きたくはないし、
誰か涙の止め方を私に教えてほしいくらいだ。
特に子供が生まれてからは、
小さい子供が亡くなるニュースを見ると、
涙が頬を流れる。
人生経験を経るごとに涙腺が緩むとはこのことか。
色んな経験を通じて、
色んな立場から物事を見れるようになって、
色んな視点から考えられるようになった。
涙を流すのは、誰かに寄り添えるようになった証。
そう思えば、涙を流すのもなんだか悪く無いような気がしてくる。
終わらない夏
お盆もすぎて、夏休みも残り数える程度。
夏がようやく終わろうとしている。
でも、今年の夏は暑すぎて、
35度越えの日なんて日常茶飯事。
今だに暑さはとどまることを知らず、
9月も最早夏模様。
私が小学生の時、
夏休みが終わる頃には、
夕方に祖父母と夕涼みをして、
電線に停まる烏の群れを、
拍手で追いやって遊んだ。
外に椅子を出して、うちわで扇ぎながら、
飛んでいく烏の群れを眺めていた。
今は夕方でも涼むなんてできやしない。
うちわはただ熱風を送るしかできず、
なんの気休めにもならない。
夏は例年伸びている。
暦の上での夏は、今の時代では通用しない。
夏休みは終わってほしくないけど、
夏は早く終わってほしい。
今の子たちはそんな風に思っていたりして。