「ねぇ、自分を物に例えるとしたら、なに?」
教室の机に腰かけ、足をぶらぶらさせながら彼女が言う。
「また唐突だな。物か……考えたことないな」
「私はね〜、枯葉かな!」
彼女は弾みをつけて机から飛び降りると、僕の顔を覗き込むようにしてそう言った。
「枯葉……?」
天真爛漫を具現化したような彼女にはおよそ似合わない物だ。彼女を例えるなら、枯葉というよりむしろ花だろう。満開の花。
「そう、枯葉! 後は朽ちるだけの枯葉なの!」
「またどうしてそんなふうに思うのさ」
彼女はスっと姿勢を正すと、僕に背を向けて窓の方へと歩き出した。窓を開けてから振り返ると、彼女は静かに話し出す。
「……私ね、多分全盛期は終わったんだ。感性が一番新鮮で、世界を綺麗に見れる時期は、終わったの」
何を馬鹿なことを。僕達はまだ思春期真っ只中だろう。
そんな軽口が叩けないくらい、彼女の目は真剣で、憂いを帯びていた。夕焼けを映すその瞳が今にも崩れそうで、それを何とかしたくて、僕は言葉を紡ぐ。
「君が枯葉なら、栞にでもしようかな。ちょうど欲しかったんだよね」
「あはは、なにそれ。でもそっか、枯葉でも栞になれるんだ……」
開いた窓から、肌寒い風が吹き込む。風に乗って一枚の枯葉が僕らの間にひらりと落ちた。
私は寝るのが嫌いだ。
正確には睡眠そのものが嫌いなのではなく、夜に寝るのが嫌いなのだ。
夜に寝てしまうと、その日一日が終わってしまう。その感覚が嫌だった。寝さえしなければ今日と明日の境界は曖昧で、今日は終わらないのでは無いかという錯覚に浸れる。だから私は夜更かしが好きで、寝るのが嫌いだ。
何かがしたいからではなく、今日を終わらせたくないから起き続ける。良く無いことだとは理解しつつも止められない。
その日も、私はベッドに入る素振りすら見せず、ソファに寝転がりスマホを見ていた。すると、LINEの通知が届く。愛しの彼女からだ。
『まだ起きてる?』
こんな時間に、珍しいこともあるものだ。私は体を起こし、LINEを開いて返信する。
『起きてるよ。どうかした?』
数秒後、電話がかかってきた。彼女だ。咳払いを数度して、喉を整えてから電話に出る。
「もしもし、聞こえてる?」
「聞こえてるよ。声でも聞きたくなった?」
「それもあるけど、なんだか今日を終わらせたくなくて」
驚いた。彼女も同じようなことを考えていたなんて。胸がじんわりと温かくなるのを感じながら、少し笑う。
「だからね、君とお話して楽しい思い出で今日にさよならしようかなって」
「今日にさよなら?」
「うん、何もしなくても寝ちゃったら今日は終わるけど、ちゃんとさよならしてから寝ると今日を終わらせることができるでしょ?」
なんだか虚をつかれたような感覚だった。あぁ、そうだ。彼女のこういうところが好きなんだ。彼女といると日々が明るくて優しいものに見える。
「いつもありがとう」
一緒にいてくれて。毎日を幸せにしてくれて。君の世界を教えてくれて。
「どうしたの?急に。変なの〜。ふあぁ。もう眠くなってきちゃった」
「それじゃ、そろそろ寝よっか」
「うん、ありがとね。おやすみ」
「おやすみ」
今日にさよなら、か。
何だか今日からはよく眠れそうだ。
ジジジジ、ジジ
奇妙な音で目を覚ます。枕元のメガネを乱暴に掴み取り、慣れた手つきで付ける。ようやく目の焦点が合い、俺は言葉を失った。
「て、がみ……?」
音の主は今まさに空中に現れつつある手紙だった。子気味好い音を立てながら、宙に生成されるかのような手紙はあまりに非現実的で、寝起きの頭では処理しきれなかった。
ややあって手紙は出現しきると、ぽとりと呆気なく布団の上に落ちる。俺は躊躇いながらもその手紙を手に取ってみた。
手紙の封筒にはこう書いてあった。
『大っ嫌いな私へ
10年後の私より』
その宛名と差出人を読み、意味を理解した瞬間、俺はビリビリにその手紙を破いた。
「くそっ!!! 趣味悪すぎるだろ!!」
破いた手紙をゴミ箱に叩き込むと、気分直しに煙草を口にくわえた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「そういやお前、10年前の自分に転送した手紙、何書いたんだ?」
研究室の同僚が椅子にもたれ掛かりながら、顔だけこちらに向けて私に尋ねる。
俺はパソコンの画面を見ながら答える。
「何も。中は白紙だよ」
「なんだそれ。意味ないじゃんか。お前、昔の自分に嫌がらせするとか言ってなかったっけ?」
「よく覚えてたな。そうだよ、嫌がらせしてきた。私が一番嫌いなこと、覚えてるか?」
「ネタバレ、だろ? でもそれがどう関係あるんだ?」
私はパソコンにデータを入力する手を止め、椅子を回転させて同僚に向き直る。
「私がしたのは未来のネタバレさ。10年後、世界は過去に物を送れるまでに科学を発展させてますよって」
同僚は数秒ぽかんと口を開けた後、大きな声で笑い始めた。
「そいつは最高のネタバレだな! これで過去のお前は新しい科学技術が生まれても何一つ心躍ることはなくなった! なにせ知ってる10年後への1歩でしかないんだからな!」
「だろ? 我ながら良いアイデアだと思ってる」
あの頃の私のことは大っ嫌いなんだ。せいぜい苦しんでくれ。
『バレンタイン』
全くもって愚かしい。世の人々は企業の戦略にまんまと踊らされ、チョコを渡すだの、貰えるだのと大騒ぎ。その日をそわそわして過ごす。
それだけでも憐れだと言うのに、チョコに意味さえ込め始めた。なんでも愛を伝えるらしい。
嘆かわしい限りだよ。愛を伝えることに慣れていないから、きっかけが必要らしい。イベントに乗っかって、ものに乗っけて、ようやく、伝えられる。
──あんまりにも愚かだと思わないかい?」
彼女はいつものように薄い笑みを浮かべる。端正な顔立ちで、様にはなっているが愛嬌がない。
「……なんだよ。バレンタインでチョコが貰えなくて落ち込んでる男を嘲りに来たのか?」
しゃがみ込んだまま、俺は顔を上げて不満を表す。
「いや、なに。そんなつもりは無いさ。ただ──」
彼女は俺の方に歩み寄ってくる。ヒールの高い音が響き渡る。彼女の影が俺に落ちると、足を止めた。
「──私も、愚かな女の一人だということさ」
目の前に四角い箱が突き出される。彼女の顔は、その箱で隠れてよく見えない。ただ、僅かに見える彼女の耳は、いつもより赤い気がした。
『待ってて』
その言葉が私はいつも嫌いだった。
無責任で、相手に一方的に負担を押し付ける言葉。
待つ身がつらいかね、待たせる身がつらいかねとは太宰先生の言葉だが、待つ身がつらいに決まっている。
だから口にしないと決めていた。
診察室の扉を閉め、壁に背を預けて呟く。
「余命1ヶ月……か」
浮かぶのは彼女の顔。愛らしく、幸せに笑う顔。それでも
「もう、会えないな」
考えるのは彼女のこと。どうすれば、悲しませずにすむだろうか。どうすれば、彼女の中の私を死なせずにすむだろうか。
私以外が彼女を幸せにするなんて許せない。それでも、私はいなくなる。それでも、彼女には幸せでいて欲しい。だから
私は彼女にメッセージを送ることにした。震える指、涙でまともに反応しなくなる画面。それでもなんとか時間をかけて、ゆっくりと書き込み、送信した。
『待ってて』
あぁ、これは、待たせる身もつらいものだな。