「鳥のように」
「私も鳥みたいに空、飛べたらなぁ。」
晴天の日。教室の窓際で1人の生徒がそんなことを口に零した。
「今、補習の時間だから外なんか見てないで手動かしなさい」
本来なら今頃私は有給を使って、家でぐうたらしていたであろう夏休みの日。
しかし、彼女があまりにも赤点を取りまくるので仕方なしに特別補習を行っている。
「はいはーい。」
そんな裏話も知らず彼女はのうのうと窓から外の景色を眺めていた。
彼女があまりにも外を眺めるから、私はつい気になって私も窓から外を眺める。
窓から見えるグラウンドは夏休みだから使う人が誰もおらず、少しばかり砂色が目立つ背景と化していて、
空は雲ひとつない晴天。学校の立地も相まって、周囲に住宅がないため、まるでその景色は海のようだった。
「あ、センセーも外見てるー!」
彼女の言葉で現実に戻ってくる。
「そんなこと言ってないで、さっさと手を動かす!」
えー。不満げに愚痴を零す彼女を横目に、私はまた外を眺めた。
砂色のグラウンドとその先にある海みたいな空。
そこに1羽の鳥が横切った。
水面下を飛ぶように、果てしない大空を飛んでいる。
鳥が横切っているその時、水面の空が、少しだけ、ほんの少し、揺らいだ気がした。
それと同時に肌が熱風を感じた。
熱風に耐えかねて思わず現実に戻ると、横で座って勉強していた彼女の姿が見当たらない。
椅子は引かれたまま放置されていて、机の上に出ているものもそのままだ。
さっきと違うのは、目の前の窓が大きく開かれているだけ。
その瞬間、何かが固いものに当たった、そんな様な鈍い音が教室に、空に響き渡った。
思わず窓から身を乗り出して下を見ると、さっきまで補習をしていた彼女が赤い血を出して、そこに横たわっていた。
私はどうしていいか分からず、そこに立ちすくんでいると、光の反射なのか、やけに血がキラキラして見えた。まるで海みたいに。
青い海と赤い海。その水面下を飛べるように、彼女は飛んだのだと。青い海と赤い海が教えてくれた気がした。
「誇らしさ」
「もう少し誇ればいいのに。」
僕の背後から声を飛ばす彼女は、さっきの一連の流れを見ていたようだった。
「別に。僕はただ当たり前をしてるだけだし。」
仔猫に餌をやりながら言葉を返す。
「謙虚なのはいい事だけど、謙虚過ぎるのも気味が悪いだけだよ。」
まるでやってる自分に酔ってるみたい。そう言う彼女の最後の言葉に僕は気付かないフリをした。
「こんなのは謙虚の内に入らないし、当たり前のことだから誇れるようなものでも無いから。」
僕のやってることは小学生でも出来てしまうような当たり前のこと、これを態々誇るのは馬鹿にも程がある
そう裏の意味を言葉に込めたが、彼女には伝わっているか怪しかった。
「あっそ。」
見限りのような言葉と共に靴音が遠のいていく。
後ろを振り返ってみたが、見えるのは遠くなっていく彼女の背中だけだった。
「にゃー」
仔猫が弱々しく鳴く。
さっき与えた餌はとっくになくなっていて、もう無いのかと言わんばかりに僕の足に擦り寄ってくる。
「ごめんな、もう餌はないんだよ。」
伝わるか分からないが一応仔猫にそう伝えると、仔猫もまた僕に見限りをつけたように一声鳴いて、足早に去ってしまった。
「誇るってなんなんだろうな。」
無意識のうちに声に出てしまった問に返してくれる人は居ない、僅かにこの路地裏に声が響いただけ。
一人きりの路地裏は恐怖よりも寂しさが勝ってしまうようだった。
「帰るか。」
ボソッと呟く声もまた、路地裏に響いていく。
当たり前の行いをしたのに今僕の心に残っているのは達成感でも、満足感でもなく、単純な寂しさだけだった。
「この道の先に」
「ねぇ!勝負しない?」
そう話題を持ち掛けて来たのは彼女だった。
同じクラスの女の子、初めて同じクラスになったから名前なんてまだ覚えちゃいない。
「普通に嫌だけど」
初めましての子と遊べる程、僕は出来た人間じゃない。だから少々素っ気なく返した。
「えー!何でよ。つまんないなぁ、」
コッチをチラチラと見ながら言うその言葉。
少し落胆した声、それとは真逆の期待してる顔。
どうやら彼女は嘘をつくのが下手らしい。
「はぁ、少しだけね。」
純粋な顔に潔く折れる事にした。
今日は早く帰りたかったが、彼女に捕まってしまったのだ、今日はのんびり帰るとする。
彼女に歩幅を合わせながら僕は聞いた。
「で、勝負って何するの?」
彼女は期待してました!と言わんばかりの顔で答える
「この先の並木道まで全力ダッシュ勝負!」
予想していたものとは大きく逸れた返答が返ってきた。こんな夏日に走りたくは無いのだか、彼女の顔を見ると僕は断れなくなってしまった。
「いいよ。」
承諾の意を込めた言葉を飾らず発する。
「じゃあ、3秒後よーいスタートね!」
「さーん」
蝉がミンミンと鳴いている。
「にー」
アスファルトからくる熱が、鬱陶しい。
「いーち」
足に、力を込める。
「スタート!」
力を込めた足が力強く、1歩を踏み出した。
言葉を皮切りとした僕と彼女が全力疾走をした。
だが、男女の差など明確で、僕は彼女をどんどんと離して行った。
離して行く途中、何処からか風鈴がチリンと音を奏でた。
それと同時位に並木道に着いた。
後ろを振り返り、彼女を確認する。
風鈴が寂しげにチリンと鳴く。
彼女の姿は、忽然として、無かった。
当時の記憶に浸りながら、僕はあの並木道に向かう道を歩いている。
久しぶりの通学路は何1つ変わっていなかった。
当時から、もう随分と時間が経ってしまったが
きっとまだ、大丈夫。時間遡行は行える。
そう思っていた矢先、丁度彼女に話し掛けられた、当時の場所に差し掛かった。
あの時の彼女の言葉を頭で反芻する。
「さーん」
当時と変わらず蝉がミンミンと鳴く。
「にー」
あの時と同じ、あの熱が伝わってくる。
「いーち」
足にゆっくりと、力を込める。
「スタート!」
力を込めた足が力強く、1歩を踏み出した。
走っている最中、あの風鈴がチリンとなった。
そして、全ての条件は当時と等しくなった。
「この道の先に、あの時の続きがある。」
そう信じて、あの並木道に向けて、走った。
「落下」
この学校の屋上から飛び降りたらどうなるのだろうか
学校が視界の端に写った時、そう思う。
別に死にたい訳じゃない。自殺場を探すのが趣味という訳でもない。ただ、何となく思うのだ。
人は死んだらどうなるのだろうか、と
残された側は葬式や財産分与等やる事がある上に、故人に対しての想いや思い出を密かに思い出すのだろう。しかし、死んだ側としてはどうなのだろうか。
死んだら意識はあるのだろうか。死んでも尚、思考をする事は出来るのだろうか。死んだら天国や地獄、というものは存在するのだろうか。
グルグル思考が纏まらなくなった所で、考えるのを辞めた。
「これで授業を終わりとする。」
いつの間にか授業は終わっていたらしい。
考えていたお陰で当然、ノートは真っ白だ。
ノートを写そうか数秒考え後、机の中にノートをしまい込んだ。
屋上に行こう
ふと、そう思った。
今は丁度昼休憩で屋上が空いている、行くなら今しかない。
お弁当を持って、教室を後にした。
屋上に続く扉に手を掛けた所で、少し異変を感じた。
人の声が一切聞こえない、人影が見えない、つまり人が誰もいないのだ。何時もは人気の屋上、何故か今日だけは誰もいない。
試すなら今だ。
好奇心が囁く。
屋上の扉を開けて、1歩、1歩、足を踏み入れる。
フェンスが目の前に来た所で、フェンスをよじ登る。
下を見下ろすと地面であるコンクリートが見える。
好奇心と僕は「落下」した。
僕と好奇心は「心中」をしたのだ。
「未来」
「未来なんて、想像つかないや」
そう口にする彼女の机には進路希望書が置いてあった
僕たちは今、受験生だ。受験とは将来の夢において、今後の人生において、尤も大切となってくるモノ。
"自分達のなりたいもの"になる為に、精一杯取り組まなければならない。
「未来なんてのは行き当たりばったりで十分だよ。今が楽しかったらそれだけで十分だし、世の中を生きて行くために最低限の知恵と学歴があればいい」
彼女が零す言葉の数々は余りに、聞いていられるものではなかった。彼女の言い草はまるで、死ぬために生きている。と言わんばかりのものだったから、彼女の考えは僕にとって、受験や人生に対する「言い訳」としか聞こえないのだ。
「気持ち悪い。」
思わず、そう呟いてしまった。
別に悪気はない。ただ言葉が漏れてしまっただけ、本当にただ、それだけなのだ。
「なんか言った?」
彼女が僕の方を見て問いかけてくる。
嗚呼気持ち悪い。楽観主義者のその目、言葉を紡ぐその口も、音を掻き集める耳も、彼女を構成するもの全てが気持ち悪い。
こんなのが同じ人間とは思えない程に見ているだけで吐き気がした。
「別に。」
言葉には、会話したくない。という念を込めて、彼女に言葉を返す。
僕に拒絶の声色をされたのが驚きだったのか、彼女は目を見開いた。そして、それが大きな笑いへと転換された。
「君、面白いね」
笑いながらそう呟かれた言葉。嗚呼気持ちが悪い。
何が面白いのかさっぱり分からない。
僕がそう目で訴えると、彼女には更に笑われた。
彼女がまた、口を開く。
「だって、もう未来は無いのに何を決める必要があるの?」
さっきの笑顔からは一転。彼女の顔から表情は消え失せていた。
「未来は、」
そう言いかけて、思い出した。
ここは学校なんかじゃない。家でもない。
精神病院の病室だ。
進路希望書なんてのはとっくの昔に白紙で提出した。
もともと僕は病弱だった。
それ故色んな薬を飲むうちに、精神がおかしくなっていた。
だから"彼女"なんてのは、はなから存在しない。
つまり、彼女の言っていた事が僕の本当の本心で、僕の言っていたことは、ただの綺麗事に過ぎない。
「僕の人生は死ぬために生きている。」
自分で言っていて、アホらしくなった。
自分は所詮、精神患者なのだから。