「終わらせないで」
映画のワンシーンには、女性が付き合っている男性へと向ける悲痛な想いのたった一言として、「終わらせないで」と確かに言っていた。
それの影響あってか、エンドロールが流れている今、確かに思うのだ。「終わらせないで欲しい」と。
実に強欲で、影響を受け過ぎていて、大の大人が何を言っているのだと鼻で笑われそうではあるが、確かにそう思ったのだ。
このこの気持ちを隠すように、気付かないふりをするように、私は次の映画を手に取った。
それが20代の頃の生活だった。
今更になって若かりし頃の生活を思い出したのは、未練があったからなのか、歳故なのかは定かではない。
過去の自分が見れば「過去に縋っている男」として冷ややかな目で見るのだろう。だか、この歳にもなると過去の幸せを思い出して、ささやかな酒のつまみにはなるものだ。
きっと、昔に比べて随分変わったのだろう。私も、社会も。
私は20代のあの頃に比べ、顔に沢山のシワが出来たし、覚束無い足取りになった。
社会は止まることを知らずに回り続け、自身が周りと同じように歯車になっている内には変化など、気付きもしなかった。しかし外れてみてようやく気付くのだ。社会は大きく変わっていたのだと。
それを気付いた時には、なんとも言えぬ虚しさを覚えた。私は自覚することも気付くことも無かったが、きっと私自身も社会も、変化はいつも内側からあったのだろう。
目まぐるしく変化し、始まって終わっていく世界で「終わらないで」と不変を望むのはきっと無理な事だろう。映画で見た愛も、甘酸っぱい恋も、ニュースで見かける流行も、いつの間にか始まっていて、いつの間にか終わっている。
人生という長きに渡る道のりで気付いたのは、たったのこれっぽっちだった。
命よ、終わらないで。と心臓に向かって言ったところで、所詮は終わってしまう。醜く生に、一抹の希望に縋るよりはこちらが手放す勢いで暮らした方が幸せなのだ。そう思うことにして、私は終わらされる側ではなく、終わらせる側になれるように。と病室で隠しておいたビールを密かに飲んでいる。
11/28/2024, 1:52:36 PM