『言葉にできない』
「だから、用件は何なんだ」
一輝がイライラとした態度で詰め寄るが、目の前の女性は何かを言いかけて口ごもり、結局何も言わなかったので一輝はまた苛立ちを募らせた。元々、そんなに気の長い方でもない。
一輝を呼び寄せたのは、かつての宿敵である冥王軍を実質的に取り仕切っていた女性、パンドラであった。
彼女からハッキリとした用件を告げられず来てほしいと言われたが、一輝としてはそんな怪しげな誘いに応じるつもりは毛頭なかった。ただ、何故か弟の瞬が珍しく強硬に行けと言うものだから仕方なく行ってみたら、歓迎こそされたもののパンドラと二人きりにされ、しかもなかなか用件を言わないものだから一輝が苛つくのも当然と言えた。
「オレとて暇ではないのだ。用があるならさっさと言え」
「あ……あぁ、済まない」
パンドラが謝罪するが、その顔は伏せられ、一輝と目を合わせることはなかった。
「そもそも、お前らとの戦いは終わっているだろう。何を話したいのか知らんが、聖域とコンタクトを取りたいのであればオレよりももっと適任がいる」
「そ、そんな堅苦しい話ではない。私はお前と――」
パンドラが慌てて訂正するが、その言葉は徐々に尻すぼみになり、最終的にはパンドラの口の中でもごもごと消えていった。その態度に一輝は痺れを切らし舌打ちする。
「もういい、言わんのであれば帰らせてもらう。話があるのなら他の者を寄越すからそいつに言え」
そう言って踵を返す一輝をパンドラが引き留めようとした時、突如部屋の扉が乱暴に開いた。
「えぇい、もどかしい!」
「! お前は――」
部屋に入ってきたのはパンドラの部下、冥界三巨頭の一人、ラダマンティスだった。彼は大股で部屋に入ると、一輝の胸ぐらを掴む。
「何をする」
「お前はどうしてそう鈍いのだ! パンドラ様のその態度を見ていい加減気付かんのか!」
「ラダマンティス! お前何を――」
狼狽えるパンドラに構うことなく、ラダマンティスは一輝に吠える。
「パンドラ様はお前を慕っておられるのだ! お前を呼び出したのも、聖域や冥界など関係ない! パンドラ様はただお前と一緒に過ごしたいだけなのだ!」
「……本当か」
「ソレ以外に何がある! パンドラ様の態度を見れば一目瞭然だろうが! パンドラ様は今までそのような経験がないためどう接していいか分からず戸惑っておられるだけなのだ! 男子であるお前が察してやらないでどうする! パンドラ様はお前を愛しておられるのだ!」
そこまで一気にまくし立てると、ラダマンティスは顔をずらしてパンドラを見て「ですよね!?」と同意を求めた。
だがパンドラはそれを否定するどころか、目に涙を浮かべ、顔を真っ赤にして俯き肩を震わせていた。さすがに一輝も、そのおかしい様子に気付く。
「パンドラ……こいつの言っていることは本当なのか」
「パンドラ様! 今こそはっきり言ってやるのです!」
戸惑う一輝と、パンドラの様子に気付かず煽るラダマンティス。そのどちらにもパンドラは返事をすることはなく、震えていた手を握り締めた。そして涙に濡れた顔を上げる。その表情は怒りに満ちていた。
「この――馬鹿共が!」
刹那、パンドラの手に三つ又の槍が握られたかと思うとその手を振るう。槍からは強烈な電撃が放たれ、それは一輝とラダマンティスを激しく撃ちつけた。
「ぐわあああーっ!」
「うおおおおーっ!」
二人共、突然の攻撃に抵抗することもできず、倒れ床に這いつくばった。そんな二人をパンドラは激しい怒りと共に睨み付ける。
「阿呆! 馬鹿! お前らなんか死んでしまえ!」
倒れ伏す二人に罵詈雑言を叩き付けると、パンドラは槍を投げ捨て走り去ってしまった。
後には、パンドラが何故怒ったのか理解出来ない阿呆な男二人がただ呆けた顔で残されていた。
『これからも、ずっと』
あたしの目が覚めるのとほぼ同時刻に、アイオリアが亡骸を抱えてやってきたのを見て、初めは何があったのか理解できなかった。呆然とするあたしにアイオリアが苦渋に満ちた顔をして起こった事を説明して、あたしは全てを理解して、大泣きしてしまった。アイオリアが目の前にいるってのに、恥ずかしいったらありゃしない。
お前が星矢に負けた後、再び鍛錬を続けながら星矢への恨みを募らせていたのは知っている。そんな気持ちではいつまで経っても聖衣を手に入れることはできないって叱りつけたっけ。
だけどお前は、その恨みを乗り越えて、星矢のため、アテナのためにその命を散らしたんだね。
――いや、そんな事を言うのはお前に失礼か。お前は、あたしのために、あたしの身代わりになったんだろ。あたしを死なせないために。お前はいつでもあたしの事を一番に考えてくれていた。
でも、あたしが、唯一の弟子で何年も指導してきたお前が死んでも悲しまないような薄情な女だと思うのかい。まったく、最期まで馬鹿な男だね。
だけど、お前の気持ちは伝わったよ。ありがとう、カシオス。お前はこれからも、ずっと、あたしの自慢の弟子だ。
あたしは立ち上がる。アイオリアに受けた背中の傷は酷く痛む。これじゃ戦いはおろか、星矢の盾になることだってできやしない。でも、戦えなくても、あたしにもできることはあるはずだ。火時計の火も残り少ない。早く行って星矢の力にならなくては。
部屋を出る前に、チラリと振り返る。ベッドに静かに眠るカシオスを見て、あたしは決意を新たにする。
じゃあ行ってくるよ、カシオス。必ず、生きて帰ってくるからね。
『それでいい』
今、私の眼前に立つ敵――フェニックス一輝は私の幻朧魔皇拳を受け、うめき声を上げている。相手の精神を支配する幻朧魔皇拳は歴代の教皇によって秘匿されてきた伝説の魔拳だ。逃れられる者などいない。
現に、同じく相手の精神を攻撃できる一輝すら、私の命令に背くことができず、自らの腕を撃ち抜いた。この様子ならば、奴の手をもって星矢の首を取ることすら容易いだろう。
余裕からか、私はもう一つの命令を下すことにした。
「そうだな……次は、お前の性癖を暴露してもらおうか」
私の命令に一輝は一瞬戸惑いの表情を見せ俯いたものの、すぐに顔を上げて堂々と言い放つ。
「オ……オレは、弟と同じ顔をした女性にたまらなく興奮する!」
「フフ、いいぞ。なかなか従順……ん? ちょっと待て」
この男は何を言っているのか。
「実の弟と同じ顔だと? それって倫理的にどうなのだ。それはつまり、お前は実の弟に欲情しているのと変わらないのではないのか」
私の言葉に、一輝は幻朧魔皇拳に支配されているにもかかわらず、不敵な笑みを浮かべた。
「何か問題があるか。我が弟はこの地球上で最も清らかな心を持つ男だ。あいつに惹かれない者などいない。それが例え、実の兄であったとしても!」
こいつは何を言っているのだ。
「いや、それでいいと思っているのかお前は」
「無論!」
頭が痛くなってきた。奴の性癖を暴露させたつもりがとんでもない爆弾を引き当ててしまったようだ。こうなっては、私も後に引くわけにはいかない。
私は纏っていた双子座の聖衣を脱ぎ捨てた。その下には何も纏っていなかったので勿論全裸だ。私をじっと見つめる一輝に向かって言い放つ。
「ならば私も言おう! 私は隙あらば脱ぎたい! 服などに縛られるのは御免だ、何者の目も気にせず、一日中全裸で過ごしていたい!」
そう叫んだ瞬間、私の体から何か熱のようなものが抜けて
、私は我に返った。私は何をしているのだ? 戸惑う私に、一輝はせせら笑った。
「フッ、どうしたサガ。まるで熱にでも浮かされているようだな」
一輝の言葉に私は思い当たった。
「バ、バカな! それでは、私もお前の鳳凰幻魔拳にかかり、自分の性癖を曝け出したというのか!」
一輝は答えず、ただ無言で笑みを浮かべるのみだった。
フェニックス一輝……恐ろしい男よ!
『あなたに届けたい』
手首から流れ落ちる赤い血を見つめながら、オレは戦いのことを思い出していた。
あの時のオレは、ドラゴンの聖衣を纏ったことで負けるはずがないと思っていた。最強の拳と盾を持つ自分はこの場にいる誰よりも強いと自惚れていた。
だが、所詮は井の中の蛙であったことを思い知らされることになった。対戦相手の星矢に、拳と盾を砕かれたばかりか、決して破られることがないと思っていた昇龍覇の隙を突かれてオレは敗れた。
傲慢の代償は己の命となるはずだったが、そんなオレを救ったのもまた星矢だった。
眼の前には、大きく破損して命が失われた聖衣がある。
命を失った聖衣を蘇らせるには、大量の血液が必要だという。それにオレの血を使うことに何の躊躇いもなかった。
本来なら、オレはとっくに死んでいたはずだったのだ。それをあいつに救われた。なれば、あいつのためにオレの命を差し出すのが道理というものだ。
一度落とした命だ。今更惜しくなどない。
星矢は、大怪我を押してこれから厳しい戦いに向かう。あいつのために、蘇った聖衣を届けてやりたい。
聖衣を蘇らせる代わりに、オレの命は失われるかもしれない。だが、例え何があろうと聖衣は必ずお前に届ける。
だから、待っていてくれ。
『I Love…』
「愛している」
「はい?」
私の愛の告白に、彼はそのエメラルドのような瞳をパチクリと瞬かせた。どうやら私が何を言っているか分からなかったようで、もう一度、ゆっくりと伝える。
「君を、愛している」
「いえ、聞こえています。急に言うものだからなにかと思って」
確かに、私の双魚宮に来た彼を部屋に通し椅子に座らせ、ハーブティーを出したその時に脈絡なく言ったのだからその反応も当然だと言えた。それが分かっていながら、私はまるで気付かなかったかのような反応を見せる。
「成程、ムードが必要というわけか」
私は座る彼の前に膝を曲げ目線を合わせる。そして両手で彼の顔を軽く挟んだ。両手に、彼の体が強張る感触が伝わった。
「え、あの」
「君のことが好きだ。君の顔も、髪も、声も、その全てが愛おしい」
私の言葉を聞くや否や、彼の顔が真っ赤になった。私が顔を近付けると、彼は慌てて両手で私の顔を止めた。
「ちょっと、近い、近いです」
私は素直に頭を引いた。だが、視線は彼から外さず問い掛ける。
「君はどうなのだ。私のことをどう思っている。私のことが好きか、嫌いか」
「え、その――」
私の問いに彼はただ目を白黒させるだけだった。
「私が呼び付ければ、君は宿敵であるはずの私のもとにすぐにやって来た。それはつまり、私に好意を持っているという解釈でいいのだな」
「それは、あなたが大事な用事があると言うし……それに宿敵だなんて……今はもう、あなたとは志を同じくする仲間だと思っているから」
「成程。それはつまり、私のことが好きということだな」
「それは拡大解釈が過ぎませんか⁉」
彼が抗議の声を上げるが、私は聞こえなかったかのように無視する。
「君がそう思ってくれていて嬉しい。もう君のことを離したくない」
私はそっと彼を抱き締めた。彼は私の腕の中でもがく。
「ちょっと、アフロディーテ! 聞いてます⁉ 僕は別にそんなつもりで言ったわけじゃ――それに用って何なんですか⁉」
――別に用などない。単に君の顔が見たくて、君の声が聞きたくて呼び付けただけだ。
それを言えば、また更に彼の顔は赤くなるだろう。彼のことをしっかりと抱き締めながら、彼の反応を予想して頬を緩めた。