”束の間の休息”
雨の音が好き、ぽたぽたいうのも、ざーざーも、
水の音はさまざまで、たくさんあるものね
そしてその中の、
それだけに限らないという概念が、だいすき
しかもそれは自然界のもので、人類が生まれるよりももっと前からそれらが肯定されているようで、すき
太陽からしたら、この世界をいつも晴れにして頑張っているのだから、雨は“束の間の休息”でもあるのかもしれない。いや、逆に晴れの方が休息なのだろうか…、?わたしたちにいつだって可能性と選択肢を与えてくれるのは自然だ。こんなにのんびりと、太陽や世界、大好きな雨について語れるこの時間もまた、“束の間の休息”であるのかもしれない。
“力を込めて”いた物事ほど評価されなかったりする。
例えば、大好きな先生の授業で“力を込めて”書いたあの作文。何のコメントもなくただAだった。最高評価なので嬉しいは嬉しいなのだけれど、もっと何かが欲しかった。先生からのご褒美が、欲しかった。
それとはまた逆に、提出期限ギリギリで“力なんて込めずに”急いでグラフとデータと文章を作成したあの統計グラフコンクール。どうしてか校内選考に選ばれ、今全国に上り査定されているようだ。
しかし、なんとも嬉しいことがあった。文化祭で浴衣を着、部活に“力を込めて”活動していたある時、大好きなあの先生に、あの彼に、なんと「浴衣、似合ってますね」と言われたのだ。あのわたしの、だいすきな大好きな彼に。
ここで私が伝えたいのは、全ては評価されなくとも、いつか俯瞰して人生を捉えた時、なんだか認められてると、なんだかちゃんと評価されていたのだなと感心するような日が、いつか皆さんに訪れるということだ。
“過ぎた日を思う”
私の投稿は全て、過ぎた日を思うばかりだ。新しい物語を一から造ったことなど、ひとつたりとも無い。
君と出会った記憶も、彼と出会った運命も、それを辿る道筋も全ては想い出に過ぎない。ただ、その単純な思い出が私にとっては、ひどく美しい。稀に苦しめられるが、それすらも幸せだと思う。
今日はそれらについて、どう思い悩もうか。毎日午後19時が待ち遠しくてしょうがない。勢いで書き綴った夜の仮作を、通学電車に乗りながら直す毎日、これらだって愛おしい日々だ。みなさんはこのアプリとどう毎日を綴っているだろうか、みなさんの言葉たちを眺めるのもまた、至福の時である。
あの“星座”のように。
私の好きな人は教師で、私は生徒で、今じゃ手に届かない。これは純粋な恋愛じゃなくて、ただの憧れなのかもしれないけど、それでも彼が好き。
彼のことを独占するには最短でも3年は待たなくちゃいけなくて、もしも結ばれたとしても、一緒にいられる時間は、圧倒的に短い。14歳差もあれば当たり前のことなのだけれど、それが深く私を苦しめる。
こんなに思い悩んでしまうのなら、彼と想いが通じ合った瞬間、その一番幸せな瞬間に彼を殺してしまいたい。そうすればずっと、彼は私だけの人になってくれる。もう2度と離れてしまわないように、あなたと2人だけ、あの“星座”のように結んではくれないだろうか。
参考:米津玄師様 orion から
「今。私と少しだけ、“踊りませんか?”」
口を突いて出そうな言葉だった。
先生が私の部活に顔を出してくれたある日「〇〇さんのお点前も見せてくださいよ」と頼まれたのだ。大好きな彼から話しかけられただけでも嬉しいのに、私のお点前を見て下さるようだ。お点前を見るということは、私のお茶を飲むということなのだけれど、私も先生のお茶を頂戴したいと思い、「今。私と少しだけ、お茶を点ててみませんか?。」という言葉が口を突いて出た。
頭が沸いていると思われるかもしれないけれど、先生の煌びやかな、しかし淡々としていて怪しげな言葉たちがふやふや宙を待っているように思えて、先生の素敵な言葉と私の言葉とで、是非、「今。私と少しだけ、“踊りませんか?”」と口を突いて出そうになった。わたしはきっと、2人だけの空間で踊るる夢を、見ずにはいられなかったのだ。