職場では「佐藤さん」近寄り難い、怖いという印象を持たれやすい。楽なのでそのキャラで生きている。
ネットでは「cloud」雲のように害の無い存在でいたい。いつでも消える。
数少ない友人からは「あんた」私の短所も知っている人。隠す事は何も無い。
あなたは「ゆうか」
呪縛のように、私の名を呼ぶあなたの声が耳から離れない。誰にも見せない顔を知っているのは、あなただけだった。
そしてあなたも、私にだけ見せる顔があった。
私達は、私達しか知らない顔を持っていた。
名も同じ。
あなたが呼ぶ私の名前は、私にとって特別だった。
題:私の名前
透明度の高い浅い水面が、遥か遠くまで続いていた。水面に青空が映り、空の中に佇んでいるようだった。
水の中に走る私のレールは、皆とは逸れ急カーブを絵描き暗闇へと走る。
足や手の皮が厚くなり、生きる為の傷を全身に作りながらも私は歩き続けた。
皆の後ろ姿がようやく見え、嬉しくて水面を蹴りながら走り寄る。
けれど皆は、畏怖の視線で「当たり前の道を外れた者」と一瞥し、はじめから居なかった者と認識したようだった。
私は下を向き静かに微笑む。傷だらけで無骨な自分の手を眺める。
一瞥をくれた者に近寄り、そっと頬を撫でた。
怖がらなくていい。
私はあなたを占有しようとしないし、支配もしない。
痛みを知っているからこそ、伝えようと思っただけ。
足元を指差す。
瑠璃色のネモフィラの花が何処までも続き風に揺れていた。
題:空を見上げて心に浮かんだこと
自問自答する。
ヘッドギアをつけた10代の自閉症と思われる少年が、電車の中で声を出しながら身体を左右に揺らしていた。
大学生くらいの青年が付き添い、小さな声で優しく声を掛け背中をさすっている。
電車が好きなのかな。
あのお兄さんは優しそうだな。
だが、勝手な妄想をしてしまった自分を恥じる。
逆の立場からの視線を想像する。
勝手な妄想で優越感に浸った人間が、ただ薄ら笑っていたのに過ぎないのでは無いか。
少年と自分の違いは何?
働いているから、社会人として、大人として、そして健常者として生きている事は偉いの?
窓から見える反対側の橋の上を、別の電車が走っていた。
何故か。
川の水面をきらきらさせながら走るもう一つの電車を羨ましく思った。
題:優越感、劣等感
網戸越しに雨の匂いが漂う。
永遠に止みそうにない雨音がASMRの代わり。
いつになったら忘れられるの?
午前4時、この時間が淋しい。
わたしは指を咥えて、来る筈の無い通知を待ってしまう。
題:1件のLINE
当直中のほんの束の間、職員入り口外の囲われた喫煙スペースに向かう。
今日はまだ、救急の患者は少なく余裕がある方で、深夜の薄ら冷たい夜の空気と一緒に煙草を吸う事ができた。
深く濃い夜とたった一つの街灯。夏らしい青い匂いが花壇より漂う。喫煙スペースのベンチに座り、夜を仰ぐ。
病院の周りを囲う街路樹の向こう側では、夜の街の灯りが点滅するように光り、此処に囚われているような、好き好んで此処にいるような不思議な感覚に襲われる。
短くなった煙草を挟む自分の手を見る。
人の命が絶えずやってきて、この手で救ったり、もちろん救えなかったり。
医師という仕事には誇りを持っている。
けれど、此処は命を少し支える通過点でしかなく、自分の力など微力に過ぎない。
煙草の煙と共に思いに耽っていると、青のスクラブの胸ポケットのPHSが震えた。
急いで踵を返し院内に戻った。
題:街の明かり