2023年5月9日。
昨年の私は、今の私を想像だに出来なかっただろう。
あの頃は全てうまいくと勘違いしていた。
挫折、虚無、喪失を味わった。
2024年5月9日。
来年の私は、今のこの感情をどう感じているだろうか。
人生の肥やしになっただろうか。
それでも、時は進む。
2065年5月9日。
振り返るとなんて、ちっぽけなことだったんだろう。
ひとまず、美味しいご飯食べたらどうにかなるよ。
題:一年後
けたたましいアラート音が至る所で鳴っている。
残り15分で地球に、しかも日本に向かって直径9マイル(約15キロメートル)の巨大隕石が衝突するらしい。
道路やオフィスに立ち尽くす人。必死に誰かに電話をかけようとする人。地下に走る人。怒る人、泣く人。怒号、クラクション。警察や救急のサイレン。
私は地球最後の日にむしろ冷静だった。
ニュースやラジオでは、必死に頑丈な建物の中や地下に身を隠すようアナウンスが流れる。内心、そんなので助かるのか、と疑問に思いながら刻々と時間は過ぎていく。
私は一応壁を背にして膝を抱えて座った。
最期に妹と唯一の親友にメールを送る。
窓から覗く空を見上げる。いつも通りの青空だった。
ダメ元で、スマホの中の着信履歴やメール送信の履歴を漁る。届かないとしても、人生で一番愛した人に、ありがとうとだけ伝えたかった。
全てを削除したと思っていたのに、意外にも連絡先に、捨てアカ用のメアドが残っていた。
男性の声のアラート音が急かすように残りの分数を伝えてくる。
私はゆっくりとメールを送った。
同時に、衝撃波が大地を駆け巡った。
建物のコンクリートやガラス、塵や岩、石が粉塵となって大気に舞い上がり、摩擦による稲妻や火災が発生。太陽光が遮断され、硫酸の雨が降り注いだ。
隕石はクレーターを作りながら、巨大津波を引き起こし、地球全体を覆う。
世界は終わった。
「あなたとの思い出が私を支えてくれていた。ありがとう。いつか、また会いたい」
題:明日世界が終わるなら
ずっと、俺は孤独にたったひとりで死ぬんだと思っていた。
覚悟はしていたのに、人間とはいい加減で「適当に遊べる人がいたら」と煩悩に塗れた気持ちでマッチングアプリに登録した。
不埒な気持ちで始めたマッチングアプリだったのに、君と出会ってしまった。
メッセージのやりとりの段階で惹かれ、初めて会った時にはもう既に「好きだ」と思った。
回数を重ねる度に、愛おしさが増して「いい歳して」朝起きても、夜寝る時も君の事を考えた。
沼った俺は、君も同じ気持ちだという事が、言わなくても通じ合える関係だと思い込んだ。
君の全てが欲しくなる。分かるだろうと思い、わがままを言ったり、急に喋らないといった子供のような態度をとった。
優しい君は「どうしたの?」と、いつも丁寧に尋ねてくれた。
俺は更に甘えた。
ある日、心配させたくて「別れよう」と言った。
君の返事は「あなたがそう思うなら、それでいい」だった。
全身に痺れが走るほど驚いたのに、いい歳の俺は慌てふためく事も、泣いて詫びる事も出来ずただ立ち尽くし、そこから連絡を断った。
また夏がくる。あれから幾度目かの夏。
君と食べた物を見る度に、今でも思い出す。
君と過ごした一年はとても大切な時間だった。
結局、俺はひとりで死ぬんだろう。
だけど、君と過ごした時間があるから、きっとひとりじゃない。
今はそう思う。
題:君と出会って
ある日、僕の世界から音が無くなった。
顔を真っ赤にして、目をつり上げながら、大声をあげている(だろう)ママの声は、僕には聞こえない。
ママとパパはもともとあまり話をしなかった。
ママは仕事を辞めて、スマホで動画を作りインターネットにあげていた。
ある時、僕が小さい子向けのおもちゃを紹介する動画がバズり、ママは似た企画の動画を繰り返し投稿するようになった。
始めは僕も楽しかった。
だけど、TVのオーディションにも行かなきゃいけなくなったり、動画の撮影が夜おそくまでかかるようになってからは、楽しくなくなった。僕はママの為の仕事だと思うようにした。
僕はだいぶ前からママが怒り出すと音が聞こえなくなっていた。
今日も、ママは何かを怒っている。しずかな世界の中で、ママの顔だけが歪んだり、赤くなったり、震えたりしていた。僕は不思議そうな顔をする。ママはもっと怒っているようだった。
別の日の夕方、学校帰り。
僕の家のマンションまでのほそい路地で、どこかのお家からカレーの匂いがしてきた。
ママにカレーが食べたいって言ったら、怒られるかな。僕はそんなことを考えながら、俯き歩いた。
題:風に乗って
また、もうすぐ6月が来る。そして、42歳を迎える。世間で云う立派な孤独なおじさんだ。
3年前に離婚歴あり、妻とは一年の別居の末、お別れした。それでも、それなりにお付き合いする女性には恵まれ、寂しい等と感じることは無かった。
昨年12月にも、些細なことで考え方のズレが生じ、正直に「面倒くさい」と感じてしまい、さよならを彼女に告げた。
結局、自由が良い。この歳になっても、若かりし頃の感覚や残り香が自分を纏っており、歳を重ねるとそれを上手に隠せるようになっただけだ。
ふと、ベッド横のサイドテーブルに置いてあるマネークリップに目が止まる。昨年の誕生日に彼女がくれた物だ。
12月に別れた彼女の最後のLINEは「幸せでした。さよなら」だった。
今更ながら、自分は幸せか?なんて考えて生きていただろうか。ということは逆説的に、彼女の幸せも考えていなかったことにならないか。
その刹那、ひとりベッドの上で、とてつもない焦りを覚えた。
題:刹那