スゥーー…ハァーー……
深呼吸をする。…大丈夫。
そう自分に言い聞かせてからドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開く。
これは僕が久々に実家に帰った時の話である。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
数週間前……
「もうすぐ夏休みだね!今年はどうするの?」
授業終わりにそう声をかけてきたのは同じ寮の幼馴染だ。
“幼馴染”と言っても“幼少期から一緒に育ってきた”という訳ではなく、思考や言動など何かと波長が合いに合いすぎていつしかお互い“幼馴染”と呼び合うようになった、気心知れた友人の一人である。
「夏休み?あぁ、もうそんな時期か…」
「去年は寮に残ってたでしょ?今年は実家に帰るの?」
「…どうしようかな。別に帰ってやりたい用事もないし…」
あまり実家に帰りたくない理由がある。
小さい頃から魔法という特別な力が使えた僕は、見世物にされたり噂の的にされることが少なくなかった。
ちなみに両親は魔法が使えない。今はもう亡き曾祖母が強い魔法使いだったと聞く。
何故かその血を濃く受け継いだのが僕で、自分の子が他とは違うという事実を受け入れたく無かったのだろう両親は、屋根裏部屋から極力出ないよう僕に言いつけた。
ひとりぼっちの屋根裏部屋は広く寂しく感じたが、当時は周りの人の奇怪なものを見るような視線が怖く、親にも迷惑をかけたくないからと、自ら閉じこもるように暮らしていた。
半年に一度は近況報告と言う名の手紙を送っているし、両親との仲は悪い訳では無かったが、ずっと親との心の壁を感じていた僕は実家に帰るよりも学校に居る方がずっと楽しくて、こちらに来てからまだ一度も実家には帰った事が無かった。
「………………」
「………えいっ!」
「イタッ!?」
無意識に考え込んでいた僕の眉間に彼女のデコピンがクリーンヒットする。
「…じゃあ手紙、送るね!」
「え、いや、まだ帰るって決めたわけじゃ……」
「返事書いてくれないの?」
「そ、…そういう訳じゃないけど……」
「ふふ、良かった。じゃあ楽しみにしてるから!」
そう言って半ば強制的に僕の帰省を決定させた彼女は、ほら次の授業に遅れるよ〜と僕を手招く。
もしかしたら、どうするべきか悩んでた僕の背中を彼女なりに押してくれたのかもしれない。
一緒に廊下を並んで歩きながら“…ありがと。”とお礼を言うと、ニッと笑った彼女は“なんもだよ。”と楽しそうに答えた。
さすが幼馴染。全部お見通しってね。
そうこうしてる内にあっという間に夏休みに入り、幼馴染や他の友人、寮の皆も次々と帰省していった。
しばらく経ってから皆より一足遅く学校を出た僕はぼんやりと列車に揺られ、次第に遠くなっていく学校を眺めながら不安な気持ちと共に帰路に着いた。
時は冒頭に戻る。
静かに玄関の扉を開いた僕はそっと中に足を踏み入れた。この家を出た時から何も変わっていない様子の我が家に少しばかり懐かしさを覚える。
両親は恐らく眠っているだろう。
当たり前だ。その為にこんな夜遅くに帰ってきたのだから。
両親を起こさないように屋根裏部屋を目指す。
キィ……と小さな音を立てて部屋に入ると、意外にも部屋は綺麗に掃除がされていた。
……あれ。この部屋こんなに狭かったっけ?
と首を傾げていると、
「あのねぇ、もうちょっと早めに帰ってくるなり声かけるなりしなさい。」
と突如後ろから声をかけられ、驚きで飛び上がった。
「か、母さん…!?」
「全く…ようやく帰って来たと思ったらこんな夜更けにそーっと忍び込んで。」
「ぁ、えっと、ごめんなさい…。」
「…………友達。」
「え?」
「そこの机の上の手紙。」
「あ、……」
母親が指し示した机の上を見ると優に十通を超える手紙が既に届いていた。恐らく幼馴染の彼女がほとんどだろう。
「その子達のおかげで今年は帰ってくるって分かったのよ。…………学校は楽しい?」
「………うん、楽しいよ。」
「…そう、それなら良いの。」
そう言って部屋を出ていこうとする母を呼び止める。
「あのさ、母さん、」
「何?」
「その、ほんと、ごめんなさい、えっと……」
今まで帰ってこなかったこと。夜中に帰って来たこと。部屋を掃除してくれていたこと。届いた手紙をちゃんと置いていてくれたこと。
何から話せばいいのか上手く言葉が出てこない僕をみて母はため息をつく。
「…帰ってきたなら、まず初めに言うことがあるでしょ?」
「へ、」
「……おかえり。父さんも帰りを待ってたんだから。」
そう言って母はうっすらと微笑んだ。
そこでようやく気がついた。
自分にもちゃんと帰ってくる場所があったのだと。
「………、ただいま!」
いつしか親との間にあった心の壁は消えていた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
閑話休題。
「ところで母さん、屋根裏部屋ってあんなに狭かったっけ?」
「バカね、貴方が大きくなったんでしょう?」
「!………………来年もちゃんと帰ってくるよ」
#狭い部屋 HPMA
「あーもーやだぁーー!!もう何回目の失恋!?男って皆こうなの!?私の男運が低過ぎるのは何かの呪いなの?!」
そう言ってヤケ酒を煽る友人の介抱をするのは今に始まった話ではない。
本日何度目か分からないため息を彼女にバレないようにそっと零す。
「程々にしときなよ?明日二日酔いで絶対後悔することになるから。」
「うぅ、……どうして…私は好きだったのに……」
……だめだこりゃ、もう手遅れかも。
どうやら今回も付き合った男が最低のクズ野郎だったらしい。二股をかけられており、彼女は所謂キープされてる状態だったとか。
私の友人は可愛い。可愛くて優しい。おまけに頭も良くて面倒見も良い。つまりモテるのだ。
なのに何故かそういう類の男に引っかかって付き合っては別れを繰り返し、結果ヤケ酒を煽る事になるくせに、またしばらく経つと新しい出会いを求めているものだから、見ているこちらとしてはかなり心配である。
おまけにすぐに人を信じてしまう性格ときた。
最早ピュアなのかピュアじゃないのか分からない。
「はいはい、水取ってくるから大人しくしててね。」
「…やだぁ……そうやって皆離れていくんだぁ……」
「分かったからそろそろ飲むのやめなさい。」
イジけ始めた酔っ払いから酒を取り上げ水を取りに行こうと立ち上がる。その時、
「…………ごめんね、嫌いになった……?」
机に突っ伏した彼女の小さく呟いた言葉が耳に届いた。
「!〜っ……あのさぁ、嫌いだったら毎回こんな時間まで付き合ったりしないし、そもそも…」
そこまで言いかけてふと彼女を見ると、既にむにゃむにゃとよく分からない寝言を言いながら眠りの世界へと旅立っていた。
今度こそ盛大なため息をつく。
「…………私の気持ちも知らないで。」
すやすやと寝ている彼女の前髪を掬って、おでこにそっとキスを落とす。
誰かさんのおかげでこっちはもうずっと失恋中だってのに。
“他の奴なんかやめて、私にしときなって。”
寸でのところで飲み込んだ言葉が胸の中でぐるぐると渦巻く。
「………早く、幸せになってね。」
そして願わくば、叶わないと知っていながらいつまでも淡い期待を持ち続ける長い長い私の失恋を終わらせて欲しい。
#失恋
シトシトと雨が降る。
梅雨入りしたとはいえ天気予報では降らないって予報だったのに…。
雨はそんなに好きじゃない。
ジメジメして冷えるし、外も薄暗いと気分もなんだか憂鬱になる。
そうして玄関口でぼんやりと外を眺めていたら、不意に後ろから声をかけられた。
「ねぇ、もしかして傘忘れたの?」
振り返ると背の低い小柄な女の子が立っていた。
どこのクラスの子だろうか、見たことは無い。
現状をズバリと言い当てられた事に少し気まずくなって目線を逸らす。
「その、予報が外れてしまって…」
ぎこちなくそう返事をしてまた外を眺めた。
いつまでもここに居たって仕方ない。雨は止みそうもないし駅まで走るかと考えかけたその時、不意に彼女が
「じゃあ、私の傘に入れてあげる!」と折りたたみ傘を掲げてにっこりと笑った。
雨の中を二人並んで歩いていく。
それじゃあ駅まで…と、彼女の好意で入れてもらった折りたたみ傘は少し窮屈で、触れる肩がなんだかくすぐったい。
初めは私が持つから!と彼女が傘を持っていたが、如何せん背の低い彼女と女子の中でもそこそこ高めの自分だとどちらが傘を持つかの結果は目に見えていた。
小さな彼女の手から早々に傘を取り上げ、濡れてしまわないよう少し彼女の方へと傘を傾ける。
何の気なしにそうしていたが、それに気づいた彼女は少し不満そうに物申してきた。
「もう、それじゃ傘を差してる意味が無いでしょ!」
「えぇ、でも貸してもらってる身だから…」
そう答えるとしばし考える表情を見せた彼女は、
「…だったら、こうすれば問題ないよっ!」
と言って私の腕にぎゅっとしがみついてきた。
一気に距離が近づき、ふわりと彼女の香りが鼻を掠める。突然の事にぱちぱちと目を瞬かせていると、名案でしょ?という顔をした彼女と目が合った。その瞬間、
「……かわいい。」
ポロリと零れるようにそう口にしていた。
「へ、」
「…え、あ、いや、今のは別に変な意味じゃ…!」
自分でもよく分からないまま慌てて謎の弁解を始める。
ただ無邪気に自分を見上げてくる彼女がなんだか可愛いなと、そう思っただけなのだ。
彼女はというと、腕にしがみついた体勢のままフリーズしていた。
恐る恐る声をかけると、ハッとした表情になるやいなや、顔を背けてしまう。
「え、えっと、…ありがとう?」
何故か顔を背けたまま、もごもごとお礼を言われた。
いきなり可愛いだなんて言って変なやつだと思われてしまっただろうか…と不安になるも、組まれた腕が解かれる事はなく少し安心する。
「…その、貴方みたいな綺麗な子にそんな事言われると思って、なくて…」
不意にそう言ってこちらをそっと覗き込んできた彼女の頬は少し赤く染まっていた。
「……え、っと…」
今度はこちらが固まる番だった。
雨はそんなに好きじゃない。
ジメジメして冷えるし、外も薄暗いと気分もなんだか憂鬱になる。
だけど、そんな薄暗い雨の中で何故だか彼女はキラキラして見えた。
触れた肩も組まれた腕も、なんだか先程より暑く感じた。
シトシトと雨が降る。
もうしばらく降ってても良いかも、なんて。
#梅雨
「貴方って純粋無垢ね!」
だなんて、とんでもない。
君は知らないだけだ。
本当はもうとっくに穢れてしまってる自分を。
言えない劣情を君に抱いてしまっている自分を。
あぁなんて、
「...君って純粋無垢だね。」
#無垢
忘れたいって思ってる内は
忘れられない、いつまでも。
記憶って、きっとそういうもの。
#忘れられない、いつまでも