人には優しく、親切にしなさい。いつも笑顔を絶やさず、誠実でいなさい。真面目に勤勉に、努力を怠ってはいけない。そんなことを子供の頃から一度や二度、周囲の大人から言われたことがある人は少なくはないのではなかろうか。かくいう私も、保育所の頃や小学生の頃に教師やご近所の方など沢山の人にそう言われてきた。いつもニコニコと笑顔で過ごしていれば周囲も笑顔に、誠実に振る舞えば誰からも信頼される素晴らしい人間になれる。誰にでも、どんな時も優しくあろうとすれば誰かに優しく愛される人間になると言われてそれを信じてきた。
大人になって様々な経験してきた中で、これらの教えというのはとても大切だと気づいたが常にそれを守るというのは難しい。子供の頃のように素直になれる環境がなかなかなく、常に猜疑心を持って人と接するようになってしまった私には純粋に優しくすることがとても難しく感じるのだ。人に騙され、断崖絶壁を蹴り落とされ転げ落ちた人生で私が学び得たことは如何に人を利用できるか。優しく丸く転がして、利用価値を引き出して得たいものだけ得たならばあとは何ら必要性がない。喰われる前に喰うということに他ならず、人を人として見てはならないということだけだった。「騙されたお前が悪い」、「付け入る隙を与えたお前が悪い」、「世間知らずで優しいお前が悪い」。散々そう言われてきた。私の周囲には元極道、元詐欺師、現役幹部の人間などが居た。その中でこれらの人の様々な意見や助言を聞いてきたが、どれも私の非を指摘するものばかりだった。もちろん、単に馬鹿にするものではなく私の不甲斐なさを指摘するものだったことは理解している。しかし、立場や経歴が違えば言葉もまるで違うものになる。現役の方に言わせれば、騙される私も悪いが 騙した方が当たり前に悪い。しかし、騙されたからと言って腐っていい理由にはならないし人に不義理をしてはならない。元詐欺師の方に言わせれば、人なんてものは信用に値しない。騙してなんぼなのだから、喰えるだけ喰っとけという。元極道の方に言わせれば、アンテナを立てて色んなものを拾って賢くならないといけない。そうでなければ、判断材料が極端に限られるか全くないと言うことになる。そうすると、人の手のひらで転がされることになるという。
実際に人を利用するだけ利用して、不要になったら縁を切るといった汚いことを散々してきた。人が金にしか見えないという時期もあった。もちろん、罪を犯すようなことはしていない。しかし、人としては最低最悪な言行であることは言うまでもなく地獄行きは必至だろう。ここまで読んだ人は恐らくだが、私のことを嫌いになるだろう。しかし、私も人間だ。道を外すこともあれば、褒められたことではない醜いこともする。事実そうしてきたのだ。だか、それだけじゃない。
助けを求められた時に私は一切の見返りを放棄したのだが、これは思い出したことがあったからだ。私は人の支えや助けがあって生きてこられた。人生をやり直すことが出来た。それを思い出して過去の過ちを恥じたのだ。妻子ある同僚が、どうしても生活費がままならないといって泣きついてきたことがあった。手には借用書と判子を握りしめていた。いつも私や周囲の人間に金の工面を助けてら貰っているからだろう、もはやそれが彼にとってはありふれた行動のひとつでしない。「お金を貸してください。もう生活できないんです。利息と合わせて次の給料で返済します」という彼の言葉を聞いたあと、私はこれまでのことを思い出して考えた。なんて置かなことをしてきたのだろうと。だから断ったのたま。「悪い、貸せないし貸さない」と言うと彼はもう他に頼るところがないと言い土下座までしてきたが私は突っぱねた。そしてバッグの中から、彼が必要だという金額にいくらか乗せて彼の手を取り握らせた。どういうことかと戸惑う彼に私は言った。貸すことは出来ない。貸してしまうと君がまた誰かから借りなければいけなくなり、やがてまたここに涙を流しに来ることになる。そんなことはもう見たくない。だから、このお金は君に託す。その代わり、責任を持って父親と夫の役目を果たしなさいと。
今までがどれくらい搾取できるだろうかと、醜いことばかりを考えてきた。しかし、今まさに人生のどん底にある人間をみて私は過去の自分を重ねた。そして、その時にすくい上げてくれた人たちのことを思い出したこ。あの時の人たちに音を返すことは出来ないが、あの人たちが救ってくれた私が誰かを救えばその音に酬いることになるだろうと心変わりしたのだ。
人は生きていれば、躓き傷つくことがあるだろう。人に裏切られ心が荒むことがあるだろう。どんなに賢い人も、偉い人も優しい人も面倒見の良い人も人間なのだから。
そして、私もまた人間だ。色んな経験から人生を見つめ直して、後悔と反省で持って成長することができた。そして、この先もきっと成長し続けていくのだ。
どんな人間にも、気持ちや意識しだいでいくらでもどこまでも道は拓かれている。
誰もがみんな、人生は無限大に拓かれている。夢や理想、その意思や想いの分だけ。
人生のどん底から這い上がったさきで、人生を失敗した私がそうだったように。
過酷な環境の中にあって失っていくものは、気力や体力だけではない。喜怒哀楽といった人間が生きていく上で必要不可欠な要素も薄れていくのは、環境に順応しようとする生き物の至極当然の習性があるからだろう。防衛本能ともいうが、この防衛本能というのは言行そのものを指すものではなく、言行に至る思考という部分に働きかけるものだと捉えている。辛く悲しい時に笑顔でいる人の存在を見聞きすることがあるが、あれも本能に自己防衛のひとつであろう。人間とは笑顔でいようとすることで、気分が自然と上向くという性質を上手く利用している。笑顔が気持ちを上向かせ、気持ちを無理やり上書きすることで現実を回避しているのだ。
では、違った様子を考えてみたい。状況は様々であるが、悲しみや苦しみに打たれる人がいる。その人はとにかく周囲に対して荒々しい振る舞いをするが、その人を知る人によれば普段は温厚で笑顔が絶えない優しい人だったという。では、なぜこうも荒々しく振舞っているのか。何がそうさせるのか。この場合もおそらくは本能による働き掛けが作用していると考えられるが、この人の場合は心を閉ざして声や音、他人の言葉や気持ちといった余計と感じる情報を締め出しているのだろう。そして、他人を寄せつけず、他人の気持ちを自ら遠ざけることでパーソナルスペースを拡大しているのだ。胸が焼かれるほどに苦しい時に暴れ回りたくなる人もいると思うが、この人の場合は自身の周囲を静寂で保つことでの頃の安寧を得ているのだろう。ともすれば時期に落ち着きを取り戻すのだが、そこにかかる時間はこれまたそれぞれであろう。
繰り返してしまうが、本能とは行動そのものではない。ひとつの信号、或いは体を動かそうとする命令でしかなく言行 (言葉使い、行動など) とは作用の結果でしかない。急迫不正の状況を、例えば買い物客で賑わうコンビニで考察してみる。何も変わらない日常の中で、突然大きな地震が発生した。そして揺れる中叫ぶ人がいて、買い物かごを頭上に持って頭を守る人がいる。その地震によって火災が発生すると、客や店員も火を止めようとしたり逃げようとして慌てるだろう。叫ぶ人の姿もあれば、思考することをやめたのか呆然とする人の姿も見られる。消化器を探す人、蛇口から水を汲もうとする人もいる。店舗入口の自動ドアは停電しているので開かない。地震の影響で歪んでいるのか、押せども引けども開かない。すると、ガラスに向かってその辺に散らばるものを手当たり次第に叩きつける人が現れた。重量物を探して、ガラスに投げつける人も見える。このような人それぞれの動きというのは、まさにそれぞれの本能が大きく影響している。人間は賢い生き物であるが、こうした状況では単に動物のひとつの種としての非常に分かりやすい姿を見せる。
人は他人の笑顔を見て幸せな気持ちになることがあるが、これも本能からなるもののひとつだろう。人は周囲の状況を無意識に観察しているが、それを認知している人や意識している人は多くはないだろう。街行く人混み全体や、一人一人の表情や歩き方などを注意深く観察している人はどれほどいるだろうか。では、友人や知人。あるいは取引先の担当者や上司ではどうだろう、恐らくはかなり多くの人がこれらの状況では違う反応を見せるだろう。友人や知人であれば、沈んだ暗い表情をしていれば何があったのかと心配して声をかけるだろう。逆に眩しい笑顔を見せられれば、どんな嬉しいことがあったのかと嬉しくなるだろう。取引先の担当者や上司であれば、表情や言葉一つ一つを気にかけるだろうし注意するだろう。人は、他人の表情や立ち振る舞いから今どのような状況なのかという判断を無意識にしている。気の優しい方などは意識して観察して、その場その時に見合った振る舞いで場の調和に徹するだろう。友人知人や上司に限らず、人は常に誰かの表情を伺っている。そして、相手もこちらの表情を見ている。優しい笑顔で話しかけてくれる人に、何か嬉しいことがあったのかと訊けば「あなたが何だか幸せそうな笑顔を見せているからだよ」と返答されることもあるだろう。人は人の笑顔を見れば嬉しくなり、涙を見れば悲しい気持ちになる。例外は当然にあるだろうが、ここでは触れないでおきたい。表情はとても重要な環境要素の一つであることがわかる。
余程偏屈でなければ人の笑顔に嬉しくなることがあるが、ハンバーガーショップで無料で頂けるそれは誰でも気持ちのいいものだろう。店内に漂うポテトなどの匂いと、様々な商品が美味しそうに並ぶパネル。スタッフの溌剌とした接客対応と、行くたびに聞こえてくる電子音。商品が出来上がるまで心が満たされていくと同時に逸る気持ちが抑えられなくなる。食欲の激流が理性を流し去ろうとしている時、「お待たせ致しました」と食欲を掻き立てる香りと温もりを纏った紙袋を手渡される。そして接客スタッフの顔を見やると、そこには手にした紙袋にも勝る素晴らしいスマイルがある。「スマイルは0円です」というが、このスマイルはハンバーガーを美味しく食べるためのいちばん重要なトッピングだ。
幼い頃から会話をするのが大好きだった私は、人を見つけては誰彼構わず話しかけていた。今でこそ近所付き合いの薄い時代になったが、この頃というのは他所の家のこどもでさえ家に招いて遊ばせてくれるような時代だった。そういった環境が、お物怖じも人見知りもない私にしてくれたのだろう。小学生低学年の時分では、学校の帰り道などに声をかけられ家に招いてもらっていた。友達と遊んでいる時でも、普段から良くしてくれる家の方は人数が多くてももてなしてくれていた。
私の地元は今でこそある程度の開発が進み、自然が減ったように思う。しかし、子どもの時分を思い出せば緑に溢れていた。みんなで一日中遊べるほど、川も綺麗に澄んでいた。現代の子供は外遊びが少なくなったと方方で耳にする。しかし車で街を走っていると、私が子供の頃に遊んでいた場所には今でもたくさんの子供が集まる。もちろん、「おしくらまんじゅう」や「竹馬」、「缶けり」や「めんこ」などの遊びをしている子供はいるはずもない。せいぜいボール遊びくらいだ。中には携帯ゲーム機で遊んでいる時や子供たちもいるが、驚いたことに会話を楽しんでいるだけの子供たちが多かった。
今ではハッキリと何時の事だったか覚えてはいない。生まれた頃から住んでいた市営住宅が芸予地震で危険な状態になってから、優先権が与えられ新築の市営住宅に引越した後の事だから恐らくは5年生の頃だろう。その日、いつも遊んでいた友達といつも遊ぶ川で釣りをしていた。日の入りも差し迫る頃、探検をすることになったので薮や林の中へ突き進んでいた。
気がつけば私は一人で古い祠の前に立っていた。何処にいるのか、どうやってきたのか。なぜ友達が居ないのかも覚えていない。分からなかった。八の字に並ぶ古びたそれは、暫く誰も手入れをしていないのだろう。左手に青い屋根の祠、右手に赤い屋根の祠が苔や草に覆われて寂しそうに佇んでいた。大きさは大人であれば膝丈程もないような小さなものだったが、その存在感はとても大きかった。何故だろう、突然寂しく悲しい気持ちが胸に溢れていた。素直な子供ながらに、こんな日も射さぬ木々の足元で苔むしているのを寂しく思ったのかもしれない。私は祠の苔を取り除き、蜘蛛の巣を払った。その辺の草や木の枝を使って祠を掃除して、最後に手を合わせた。そして目を瞑り、「見守ってください」と願った。恐らくは、土地の神様を祀ったものだろうということを何となく感じていたからだろう。その後のことも覚えていない。友達と遊んだ記憶はあるが、その祠に関する前後の記憶だけが私から抜け落ちている。
宮城で三度目の恋をしていた頃、恋人が私が借りている部屋が怖いと言った。仕事で僅かな時間、恋人を部屋に残し外出した時のこと。帰宅すると恋人がいない。ドアを開け奥の部屋に入ると、恋人が部屋の隅で体育座りをして小さくなっているのが見えた。どうかしたのかと訊けば、私が出掛けたあとにシャワーの音と私の歌い声が聞こえてきたという。私はシャワーを浴びる時いつも歌うが、もちろんこの時は出掛けていているはずがない。恋人は恐ろしくなって、一時間近く、部屋の隅で怯えていたという。その話を聞いて、恋人を励まし落ち着かせた後にこの部屋やアパートについて話をした。
それは私や同僚が仕事の都合でこのアパートに引っ越してきた日のこと。下階住んでいる同僚から部屋に来て欲しいと連絡を受けた。玄関を開けて中に入ると彼の部屋は真夏の暑い昼間にも関わらず冷蔵倉庫のように冷えていた。そして奥の部屋の戸を開けると、彼が私に一言声をかけてきた。「この部屋、ヤバくないですか?」そういいながら私の頭上を指さして、さらに続けた。「それ。それなんなんですか」と声を震わしている。彼の横まで歩み寄って、私も同じように座り込む。そして、彼の指さす先を見た途端に異常に気づいた。先程まで私が立っていた入り口、扉の上辺りに白い霧のようなモヤのような塊が浮かんでいた。「あれ何?」と私が声をかけると、「分からないんです。ただ言えることは、あのモヤは移動しているんです。もう1時間もこの部屋を漂っています」という。二人で気味悪がりながら観察をしていると、確かにソレは部屋の中を行ったり来たりしていた。部屋のエアコンは動いていない。それどころかコンセントプラグが抜かれていた。そして、部屋一面に広がる訳でなく空に浮かぶ雲がそこにあるように浮遊している。暫く見ているとソレは消えてなくなった。そして、その途端に夏の暑さが部屋を包んだ。
夜のこと。同僚からまた呼ばれて部屋を訪ねてみると、やはりというか同僚は部屋の隅で丸くなっていた。勝手に上がり込んで、彼を呼ぶと「ここに来てあそこを見てください」と指を指す。指さした場所は彼の荷物で溢れかえるロフトだった。彼曰く、私が帰ったあとに部屋の中に干していた洗濯物をハンガーから外していたら目の前に顔があった。そして、それに驚いた瞬間にはその顔は無くなっていた。そして、私を呼ぶ直前のこと。ロフトから視線を感じて目を向けてみると、そこに赤い服の女性がいたという。私もこの部屋に入って来た瞬間に視線を感じていたこと、彼が指さした瞬間にそこに女性がいる光景が脳裏に浮かんだこともあってこの部屋が普通ではないことを感じていた。そして彼によれば、彼の父はそういった力が少しあるらしく感じたり見たりすることがあるという。その父が引越しを手伝ってくれた際に、「俺は絶対に、一歩も入らんぞ。ここはおかしい」と口にしたのだとか。
恋人に引越し当初からの話をしたところ、昔から世話になっている霊能者に懇談してみると言った。暫く経って恋人から「来週の土曜日に見て貰いに行くから、うちに泊まりに来て。お母さんにも伝えたから」と電話を受けた。翌週の金曜日の仕事終わりに、恋人と一緒に2時間の距離にある隣県の恋人の実家へ向かった。途中、恋人の母や姉にお土産を買いつつドライブデートを楽しんでいた。そんな時に恋人が今回の件について話を始めた。まず、私のことは一切話していないこと。アパートでの現象だけを話したことなどの説明を受けた。私は霊能者という存在を信用してはいないが、私自身が感じたり見たり聞こえたりすることもあってどんな結果になるのだろうという期待はあった。恋人宅に着いて、挨拶をそこそこに私が作った夕食を囲んで団欒を過ごした。
玄関のチャイムを鳴らすと霊能者の「K先生」が暖かく迎え入れてくれたが、「あの人かぁ」と私に一言呟いた。霊視をする為の部屋に通され、名前や生年月日を伝えたところでK先生が話し始めた。私たちが来るまでのこと、玄関での言葉の意味などを優しく安心させるように説明を続ける。先生が話では、私たちが先生宅に向かっていることは手に取るように分かっていた。空に龍神様さまが飛んでいて私たちのことを伝えてくれていたという。そして、玄関を開けた瞬間に若い女性の霊が隠れたという。まず若い女性の霊は悪さをするものでは無いので放置していいということ、龍神様については私の守り神だという。
本題に触れると、この龍神様というのは白龍で慈悲と慈愛に満ちている。そして、誰にでも波長を合わすことができるためこの加護下にある人は人との付き合いに困ることはあまりないという。というのも、人に合わせることができるため世渡りが上手いのだという。では、なぜ龍神様が私のそばに居るのかは分からないという。私の家系では龍神様を祀っておらず、親戚にもそのような信仰はない。過去の話をしたところ、例の祠がその可能性に近いのでは無いかとK先生は言う。そして、興味を持って見守っていたら私のことを好きになって守っていこうと決めたのだと龍神様と話をしたとしてK先生は言った。部屋に入り切らないくらい大きな白が、とぐろを巻いて私の後ろで話を聞いていること。いつも見守っていること、導いてくれていることにほんの僅かでも感謝を忘れず特に意識もせずこれからも過ごしていけばいいとK先生は付け加えた。
さて、まだまだ話は続くのだが長文も過ぎると重く文字の入力が難しい。何よりも拙い長文に、読んでくださる皆さんを付き合わせてもいけない。この話は半端になるが、ここでしまいにしよう。
趣味も恋も仕事も、なにか理由や動機であったり自分を動かす何かきっかけがなければ成り立たないだろう。魚が好きで、捌いて料理をして美味しく頂くという一連の流れが好きだからと魚釣りをする人もいれば、単純にファイトをしたいからとルアーフィッシングやジギングを楽しむ人もいる。好きな曲を好きな音色で奏でたいから、楽器を演奏して音楽を楽しむ人もいる。人の笑顔に幸せを感じるから、お笑い芸人になる人もいる。小さな特別を感じて欲しいからパディシエになる人もいる。あの人のことが大好きで独り占めしたくて、誰にも渡したくないからと自分の気持ちに愚直に恋に走る人もいる。
何かをする時、そこには大小様々な気持ちや想いが存在している。堪えきれないような悲痛の叫びを胸に秘めている人もいれば、何者かになってやるんだとハングリー精神旺盛に心を滾らせる人もいる。そして、これらの心の声というのは本人にしか分からず本人でしか処理できないものである。他人が干渉できるものでは無い。寄り添うことは出来ても、その人の気持ちや想いを汲むことは出来ない。、その人の心に触れることはできない。しかしながら、人というのは実に分かり易くい。それでいて掴みどころのない不思議な生き物だ。本人でさえ、心の内を理解していないことがある。己の本音を知らず、自分自信を追い込み傷つけることがある。かと思えば、意図せずして自身の心を軽くすることもある。繊細故に盲目的なところがある実に複雑な生き物である。
人が自らの想い気持ちに触れるのはどのような時だろうか。突然にして漠然と「あれがしたい。これがしたい」と思い立ったり、「あの人のことが好きかもしれない」と恋に鼓動を早くしてみたり。これらはいつだって、自分自身でさえ気がついていなかったその物事や人に対する想いや気持ちが少しずつ蓄積した結果に、表面張力を打ち破って溢れ出した時では無いだろうか。これはあくまでも私の考え方にすぎないが、物事というのは深く考えれば考えるほどに曖昧になっていくものだ。 同じものを見続けた時にゲシュタルトが崩壊するが、気持ちや想いというのも焦点を当てて見つめ続けていると却って理解できなくなるものである。人は無自覚無意識のうちに、溢れ出た心の音に素直に従って生きている。想いが張り詰めている時というのは、表面が湾曲しているために輪郭は歪み、透けて見えるものを屈折させ、より不可解にしている。しかしそれが溢れ出た時、先程までの不鮮明で不可解だったものが透き通って鮮明に見えるのである。人が衝動的に何かをしたくなったり、突然恋に落ちたりするのはこうした時なのだろう。寡黙で温厚な友人や知人は、
普段であれば声を荒らげることはないが些細なきっかけで見たことがないほど激怒したりする。少しの毒も吐かぬ優しい同僚が、先方との電話を終えるや否や罵詈雑言を口にする。
人という生き物は、基本的には倫理観といあとのを持ち合わせておりそれぞれの理性でもって自分自身をコントロールしている。ところが、これらが機能しない時には暴走といあ結果を招くのだが結末というのはその事象により様々である。日々抑え込んでいた怒りや憎しみが爆発して、大きく強い口調で罵り罵倒する。友人同士であったが、好きという気持ちに嘘つけず突発的に好意を叫ぶ。周りに合わせて取り繕い、嫌いなものや嫌いな人を好きなふりで誤魔化してきたが耐えられなくなってことは間を選ばず思いのままに本音をぶつける。理性や倫理観というのは万能ではない。人は物事を深く考えることの出来る能力を持っているが、そのために要らぬ気配りや忖度といった無駄なことにまで思考を巡らせる。もちろん犯罪行為や迷惑行為、公序良俗に反する行いを起こさない人は至極冷静で物事を客観的に捉えることが出来る。自らの言行が及ぼす影響を深く考え行動することが出来るが、己を強く律しすぎる事で縛りつけていることがある。本当にやりたいことでさえ、人に気を遣い遠慮して萎縮してしまって何も出来ない。そうして様々な気持ちを胸の内にしまい込んでしまう。それがいつか火山のように爆発的に飛び出して、見たこともないような行動力に繋がることがあるだろ。川のように強く激しくなった流れを抑えきれず溢れ出した時、ふと冷静になってつまらない忖度や遠慮を流しさって新しい自分に出会えるだろう。
人は常に多かれ少なかれ、数え切れないほどの感情の起伏を繰り返す。いつどこで、どのように抱いた気持ちも胸にしまい込むことで場を繕う。人の行動力の源は、その強い思いや動機といった目的あっての考えであったりする。しかし、そのどれもは実は誰にでもある胸の内にあって見えない樽から溢れ出た気持ちなのではないだろうか。誤魔化して、無視してきたことで見えなくなっていた自分自身の本当の姿であって素直で曇りのない心の声では無いだろうか。
溢れる気持ちは、自分自身を映し出す鏡のように嘘偽りのないものだろう。
幼少の頃より、兄の級友の女子やその女子の姉などそれはそれは沢山の方に可愛がって貰った。実の姉履いたが、それ以上に愛情を注いでもらった。小学校に入学してもそれは変わらなかったが、私の同級生の女子やその兄弟姉妹からも可愛がってもらったことが唯一の変化だろうか。高学年になっても男子との交友だけでなく、女子の家へ遊びに行くなどの交友はまだ続いていた。妹の友達の女子とも遊ぶことも多く、普段から男女に拘わらず沢山の縁に恵まれていた。だからだろうか、性の自覚などは薄かったように思う。高学年であれば女子も男子も、誰々が気になるだの、好きだのと話を弾ませるものだが、私にはそれがいまいちピンと来なかった。優しくていつも良くしてくれる女子もいたが、クラスの女子や男子は私のことを同級生というより弟のように可愛がってくれていたからだろう。幼子があの人は優しいから好きだと、純粋な好意を向けるそれに近かった。中学生になってもそれは変わらず、人として好きという認識がとにかく強かったように思うが、それでいてたとえそれが男子でも女子でも誰かに取られるのが嫌だという変な嫉妬心も芽生えていたた。それは決して異性に好意を寄せると言ったような、恋心ではなく特別を奪われるののが嫌といったような事なのだ。
社会に出て、地元を離れ宮城に渡った私には人生これ以上ない環境の変化を身をもって味わった。そして、新規入場した作業現場での出逢いが私の人生を大きく動かした。一般的にどこの現場に入っても新規入場教育という、作業所規則や作業内容など基本的なことを受けるのだが、その現場でも例に漏れず教育が実施された。食堂での教育実施でいったがそこで出逢ったのだ。「女の子というのはこういう子のことを言うのだ」と雷に打たれたように衝撃が走り、食堂で只只その子のことだけを見つめていた。生まれて初めて「あの子が欲しい。絶対に僕のものにする」と、心から思えた瞬間だった。もちろんそれが恋なのかどうか、私には分からなかったが欲しいゲームやおもちゃのためならなんでも出来る子供心に近かったのかもしれない。普段はその子を見かけることもあまりなく、現場のどこで何をしているのかも知らなかったが母親や叔母も同じ現場で働いていることだけは分かった。毎日出勤しては目で追いかけ、瞼にやきつけてはその可愛さに釘付けになっていた。どうすれば近づけるだろう、仲良くなれるのだろうとあれこれ思案しては行動に起こせない日々に憂鬱としていた。
急遽、アスベスト講習を受ける事になった。グループわけされており、Aグループが終われば翌日にBグループが受講する流れになっていた。会社の同僚は工区が違ったためAグループで前日に受講済みだった事から、私はひとり他の会社の作業者とBグループで受講することになった。現場内に設けられた講習会場へ入室した時、既に着席して暇そうにしていた彼女が目に飛び込んできた。すると、彼女の母親や叔母が「こっちおいで!この子の横に座りなさいな」と声をかけてくれた。サプライズに心躍らせながら彼女の横に着席して筆記具を机に並べたが、ドキドキと鼓動が早くなって受講どころではない心持ちだった。講習担当者による長く退屈な挨拶が終わるとカリキュラムが読み上げられたのだか、この講習が17時まできっちりあることを知って彼女との時間を楽しもうと決めた。そして、この日こそがチャンスと覚悟した。1時限、2時限と時は刻一刻と流れていく。勇気が出なかった。拒絶されたらどうしようなどと、分かりもせぬ先のことを考え始めてしまっていた。そして、3時限目が終わったタイミングで何もしないで後悔するくらいならば思い切って行動して後悔する方がいいと決心した。付箋にフルネームと電話番号、メールアドレスと簡単な挨拶を書いて小さく畳んで握りしめた。休憩からから彼女が戻ってきて、隣に着席する。そして両手を自分の太ももの横に置いてパイプ椅子を掴む。ビデオが映し出され照明が落とされ部屋が暗くなったところで、付箋を握った手で彼女の手にそっと触れた。すると、彼女が手を握ってきたのだ。柔らかく少し冷たい手が、私の手の甲をそっと優しく包み込んだ。すかさず手のひらを上に向け、付箋ごと彼女の手を握った。スクリーンを見つめたまま彼女の様子を横目に窺うと、彼女は付箋に気がついたのかそっと手を離した。
4時限目が終わった。どんな反応をするだろうかとドキドキしていると、私の耳元で優しく可愛らしい高めの声で「ありがと。今日から毎日メールするね」と呟いた。お昼ご飯は別々で食べたが、5時限目からはずっと手を繋いでビデオを眺め続けた。緊張から手汗が酷がったが、彼女も手汗をかいていたのか気にしていた。手を離しては2人揃ってズボンで汗を拭っては繋ぎ直しす。途中、彼女が優しく指を絡めてきた。所謂、恋人繋ぎと言うものであるが残りの時間をそうして楽しんだ。講習などまるで頭に入っていない。
それからは毎日メールをした。毎日帰ってから電話でもした。どんどん彼女に惹かれていくのがわかった。これが恋なんだ、異性を好きになるのはこういうことなんだと知った。知った途端に、彼女を想う気持ちが強くなった。2週間ほど連絡を取りあっていただろうか、告白をしなければならないと心の中で思ってはいたが動けない自分がいた。フラれるかもしれない、実はほかに好きな人がいるのかもしれない。純粋な優しさで私と接していて、私はそれを勘違いしているのかもしれないと又もウジウジと考え込んでいた。そんな私の好意に周囲は気がついていたという。彼女の叔母が「あんたいつまでウジウジやってんだい!男ならさっさと告ってキスの一つや二つしろ」声をかけてきたので、何故それをと聞くより早く私が彼女に恋をしているのは皆知っていると告げられた。そして、彼女自身も告白を待っているはずだからしゃんとしろと尻を叩かれた。そう言われると少し自信が持てたが、彼女がどう思っているかは彼女しか知らないわけだと屁理屈でまた後退りをしてしまう自分がいた。
夜勤専従のBグループ。私は20時のミーティングの後に、彼女へ決意を込めたメールを送信した。「5時に仕事が終わったら、厚生棟の食堂で待ってて」それだけを送信して、その日は仕事が終わるまでまメールを打たなかった。いつもは休憩の度にメールで会話を楽しんでいたが、その日は彼女からも連絡は来なかった。ドキドキとして、どこかふわふわとしたような気持ちで注意散漫にも程があったであろう。夕方に仕事を終えて厚生棟まで全速力で走った。彼女が待っている厚生棟へ息を切らして走った。彼女の家族や一部の人達はシャトルバスで通勤をしていたため、時間は差し迫っていた。厚生棟の引き戸を勢いよく 開け放ち階段を駆け上がり食堂の戸を開けると、相変わらず可愛らしい手顔で私を出迎えてくれた。
「あなたを人目見た時から恋をしていました。あなたの事を考えれば考えるほど恋に落ちていきました。あなたの優しい心、優しい声、優しい笑顔が大好きです。あなたを独り占めしたくて仕方がありません。結婚を前提にお付き合いをしてください」とありのままの想いを全てぶつけるのに勇気は必要なかった。彼女が私の言葉を笑顔で待っていてくれたから。そして彼女も私に想いを聞かせてくれた。「私もあなたのことが大好きです。初めて見た時から好きでした。頑張り屋さんで真面目で一直線。それなのにどこか子供のように無邪気で可愛らしいところがあって、その全てが愛おしいの。こちらこそ結婚を前提にお付き合いをしてください」と真っ直ぐで飾らない素直な想いを聞かせてくれた。
まだ暗い、広い食堂の隅で唇を重ねた。何度も啄むように優しく優しく、お互いに想いを込めて。時間が無いことを思い出して、ふたり顔を見合せた。見つめあって何度も何度も想いを伝えあったが、言葉だけでは物足りなかった。啄むように唇を重ねていたが、いつしか息を漏らし糸を引く口付けをしていた。初めての恋と初めての口付けは、息が上がるほど激しく愛に満ちていた。
シャトルバスが到着するまで、暗闇に二人きりで唇で想いを伝えあった。