人には優しく、親切にしなさい。いつも笑顔を絶やさず、誠実でいなさい。真面目に勤勉に、努力を怠ってはいけない。そんなことを子供の頃から一度や二度、周囲の大人から言われたことがある人は少なくはないのではなかろうか。かくいう私も、保育所の頃や小学生の頃に教師やご近所の方など沢山の人にそう言われてきた。いつもニコニコと笑顔で過ごしていれば周囲も笑顔に、誠実に振る舞えば誰からも信頼される素晴らしい人間になれる。誰にでも、どんな時も優しくあろうとすれば誰かに優しく愛される人間になると言われてそれを信じてきた。
大人になって様々な経験してきた中で、これらの教えというのはとても大切だと気づいたが常にそれを守るというのは難しい。子供の頃のように素直になれる環境がなかなかなく、常に猜疑心を持って人と接するようになってしまった私には純粋に優しくすることがとても難しく感じるのだ。人に騙され、断崖絶壁を蹴り落とされ転げ落ちた人生で私が学び得たことは如何に人を利用できるか。優しく丸く転がして、利用価値を引き出して得たいものだけ得たならばあとは何ら必要性がない。喰われる前に喰うということに他ならず、人を人として見てはならないということだけだった。「騙されたお前が悪い」、「付け入る隙を与えたお前が悪い」、「世間知らずで優しいお前が悪い」。散々そう言われてきた。私の周囲には元極道、元詐欺師、現役幹部の人間などが居た。その中でこれらの人の様々な意見や助言を聞いてきたが、どれも私の非を指摘するものばかりだった。もちろん、単に馬鹿にするものではなく私の不甲斐なさを指摘するものだったことは理解している。しかし、立場や経歴が違えば言葉もまるで違うものになる。現役の方に言わせれば、騙される私も悪いが 騙した方が当たり前に悪い。しかし、騙されたからと言って腐っていい理由にはならないし人に不義理をしてはならない。元詐欺師の方に言わせれば、人なんてものは信用に値しない。騙してなんぼなのだから、喰えるだけ喰っとけという。元極道の方に言わせれば、アンテナを立てて色んなものを拾って賢くならないといけない。そうでなければ、判断材料が極端に限られるか全くないと言うことになる。そうすると、人の手のひらで転がされることになるという。
実際に人を利用するだけ利用して、不要になったら縁を切るといった汚いことを散々してきた。人が金にしか見えないという時期もあった。もちろん、罪を犯すようなことはしていない。しかし、人としては最低最悪な言行であることは言うまでもなく地獄行きは必至だろう。ここまで読んだ人は恐らくだが、私のことを嫌いになるだろう。しかし、私も人間だ。道を外すこともあれば、褒められたことではない醜いこともする。事実そうしてきたのだ。だか、それだけじゃない。
助けを求められた時に私は一切の見返りを放棄したのだが、これは思い出したことがあったからだ。私は人の支えや助けがあって生きてこられた。人生をやり直すことが出来た。それを思い出して過去の過ちを恥じたのだ。妻子ある同僚が、どうしても生活費がままならないといって泣きついてきたことがあった。手には借用書と判子を握りしめていた。いつも私や周囲の人間に金の工面を助けてら貰っているからだろう、もはやそれが彼にとってはありふれた行動のひとつでしない。「お金を貸してください。もう生活できないんです。利息と合わせて次の給料で返済します」という彼の言葉を聞いたあと、私はこれまでのことを思い出して考えた。なんて置かなことをしてきたのだろうと。だから断ったのたま。「悪い、貸せないし貸さない」と言うと彼はもう他に頼るところがないと言い土下座までしてきたが私は突っぱねた。そしてバッグの中から、彼が必要だという金額にいくらか乗せて彼の手を取り握らせた。どういうことかと戸惑う彼に私は言った。貸すことは出来ない。貸してしまうと君がまた誰かから借りなければいけなくなり、やがてまたここに涙を流しに来ることになる。そんなことはもう見たくない。だから、このお金は君に託す。その代わり、責任を持って父親と夫の役目を果たしなさいと。
今までがどれくらい搾取できるだろうかと、醜いことばかりを考えてきた。しかし、今まさに人生のどん底にある人間をみて私は過去の自分を重ねた。そして、その時にすくい上げてくれた人たちのことを思い出したこ。あの時の人たちに音を返すことは出来ないが、あの人たちが救ってくれた私が誰かを救えばその音に酬いることになるだろうと心変わりしたのだ。
人は生きていれば、躓き傷つくことがあるだろう。人に裏切られ心が荒むことがあるだろう。どんなに賢い人も、偉い人も優しい人も面倒見の良い人も人間なのだから。
そして、私もまた人間だ。色んな経験から人生を見つめ直して、後悔と反省で持って成長することができた。そして、この先もきっと成長し続けていくのだ。
どんな人間にも、気持ちや意識しだいでいくらでもどこまでも道は拓かれている。
誰もがみんな、人生は無限大に拓かれている。夢や理想、その意思や想いの分だけ。
人生のどん底から這い上がったさきで、人生を失敗した私がそうだったように。
2/11/2023, 4:22:24 AM